どかん。またマスターが爆発した。
どうしてこんなことで?一体何故。聞いたとしてもおそらくはまともな答えは返ってこないので私は黙る。黙って彼のヒステリーが通り過ぎるのを待つのだ。
「ったく遠坂に続いて衛宮の奴まで……気に食わない、ああ気に食わない! マスターは僕だけでいいんだ、何しろ最後に残るのが僕ひとりきりだからね! なあアーチャー、おまえもそう思うだろう?」
トオサカ。エミヤ。記憶にないが、きっと新たに出現したマスターなのだろう。
私のマスターが私を召喚したのは大分以前のこと。それで浮かれてしまったのだろう。“何者にも先んじてサーヴァントを召喚した僕が一番なのさ”!……と、まあこんなところか。
「そうだな、マスター」
「どうしてくれようか、遠坂も衛宮も……僕がせっかく誘ってやったってのにそっぽ向きやがって、挙げ句の果てに同盟なんか組みやがった! ……ふ、ふん! いいのさ、僕はひとりきりでも充分な戦力を有しているからね! 雑魚のひとりやふたりがくっついたって負ける気がしないさ!」
ならば、どうしてその肩は震えているのだろう。そう聞いたらきっと「寒いからだ! 暖炉に火を灯せよ!」などと言い出す気がしたので私は沈黙した。
子供を虐める趣味は私にはない。……例え、かつて同い年であった“友達”が相手だったとしても。
「おいアーチャー」
不意に尖った声が聞こえて、私は伏せていた顔を上げる。そうすればそこには気まずそうなマスターの顔。
「おまえは……僕の勝利を信じてるよな?」
ああ。
慎二、そうやってちょっとしたことで弱々しくメッキを剥がしてしまうのが君の悪いところだ。もっとしゃんと背筋を伸ばして堂々としていればいいのに。
いくら魔術回路がなくとも君は私を召喚出来た。これは誇るべきことであって、決してコンプレックスなど持つ必要はない。
けれどそう、それをそのまま言えば必要以上に彼が増大するのは目に見えていたから、私は再び沈黙した。コンプレックスを持つ必要はないとは言え、不必要に増大してもらっては困る。
その隙を突かれて脱落――――などとなれば、彼もまた無念なことだろう?
「信じているよ、マスター。君は私のマスターだ。……私が信じない、はずがない」
でもこれだけは言っておこうと口にした言葉は彼に光を与えたようで、ぱああああ、とその顔に輝きが宿る。輝く貌の何とやら。そんなサーヴァントが四次にはいたらしいが、はてさて。
「ふ……ふん! よくわかってるじゃないか、所詮おまえは僕のサーヴァント、奴隷なんだ! 僕の思うがままに動いてくれないと何かと困るんだよね、だから」
「……マスター?」
「……な、何だよ」
途端にびくりと後ずさってみせるマスター。駄目だ、全然駄目だ。気迫で私に(しかも本気など微塵も出していない)負けるようでは。
あのトオサカとエミヤという名の少女と少年たちになんてとてもじゃないが勝てっこない。
「…………」
ふう、とため息をついた私に俄かに彼は元気になって。
「何だよ何だよ、何か悩み事でもあるのか? この僕が有能すぎて困るとか? 確かに上司が有能すぎると部下としては何となく肩身が狭いよなー、ははっ!」
「…………」
ふう、ともうひとつため息。さすがにマスターも怪訝に感じるかと思いきや。
「いいぞいいぞ、アーチャー、僕をもっと称えろ! 褒め称えろ! いやあ気分がいいなあ! 身分が上の人間になるってのはこんなにも気分が」
「君は少し身の程を弁えた方がいいぞ」
「え?」
……あ。
つい、本音が出てしまった。
口を押さえても漏れた言葉は戻らない。さすがに言い切ったのはまずかったか、と思った私の前でマスターが取った行動と言えば。
「嫉妬かい? 嫉妬なのかいアーチャー? そりゃあ確かに僕は有能すぎる人間さ! おまえが憧れるのもわかるよ。だけどさ……才能ってのは人を選ぶんだ!」
うん。
君に、才能の女神は微笑まなかったようだな。いや訂正。
笑いの才能の女神は微笑んだようだったが。
だって、すごかったのだ。トオサカ少女とエミヤ少年がマスターだと知れた時のマスターのリアクションと来たら。
『ふふふふふたりがかりなんてずるいんじゃない!? そ、そうか、おまえら僕にブルっちゃってんだね!? 僕のこの泉のように溢れ出る才能に! はははは、申し訳ないけど才能っていうのは選ばれた人間にしか与えられないものでね!』
才能才能と連呼して、そのまま後ずさって、一目散に戦場から離脱したのだった。
どうしようもなく、ブルっているのは彼自身だったろう。
そうやってダッシュで我が家……つまりここ……まで逃げ帰ってきた彼は椅子に座ると、
『お茶』
『うん?』
『うん? じゃなくてお・茶! って言ったんだよ僕は! 今すぐ紅茶を振る舞えって言ってるんだ! そうだな……カモミールティーとかいいな!』
『…………』
それは精神を沈静させる効果のあるハーブティーだった。
無意識に癒しを求める彼のブルっちゃったっぷりを嘆かわしく思いながら私は彼の望み通りにしてやったわけだが、その時も凄かった。
カップを持つ手がカタカタカタカタ始終震えて、中に入った適温の紅茶がばしゃばしゃと彼の手にかかって。
『……アーチャー、お代わり』
びしょびしょに袖口まで濡れた手で彼は私にそう言った。お代わりなのは自由だが、ほとんど自分の手元にこぼしたせいでせっかくのカモミールティーが台無しだった。カモミールティーは確かに香りからもリラックス効果があるが、そう辺りそこら中に振りまいては何の意味もない。
結局二杯目のカップで半分ほどを一気に飲み干した彼はだん!とカップをテーブルに置いて、「ケーキ」と小さな声で口にした。
『……は?』
『だからっ、ケーキっ! おまえの焼いたケーキが食べたいって言ったんだよっ! 光栄だと思ってすぐに準備しろっ!』
竜巻のようなヒステリック。
本来なら怒るべき場面だったのだろうが、あまりにもそのヒステリックが唐突すぎてきょとんとしている私に向かって、マスターはテーブルをバンバン叩くと、ケーキっ!ケーキっ!と騒ぎだしたので速やかに私は任務を遂行した。
戦闘を放棄して自宅でカモミールティーとケーキでティータイム。
随分と優雅なデビュー戦だった、とここに記しておこう。
「ア……アーチャー」
「はいはい、何かなマスター?」
「ケーキ。食べたい」
「……わかった」
どうやら今日もその再現になりそうだ。私は深々としたため息をつくと、さっさとエプロンの紐を後ろで結んでキッチンへ向かうのだった。



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