胸糞が悪い。
そのときのランサーの心境と言えば、それ一色だった。
ふたりがかりでひとりを甚振るやり方も。そんな奴らを一閃する気概をも持たない自分も。気に食わない、気に食わない、胸糞が悪い。
――――吐きそうだ。
「ッ……! く、っは……あ、」
男の喘ぎは耳に障るかと思えばそうでもなくて、それがまたランサーの心象を悪くする。自分に飽きていく、飽いていく、軽い自己嫌悪。ぽたぽたと神父の操る泥が男へと向かって落ちていく。それによって汚されていく男。どろどろになって。薄汚れてという表現では足りずに穢れて。
「―――――フェイカー」
金の髪のサーヴァントが、英雄王ギルガメッシュが男の名を呼ぶ。本名ではなく蔑称を。いかにも愉しそうな顔でもって、声でもって、雰囲気でもって。
わかっている。ランサーがこの場で取るべき正解の道は今すぐ魔槍を手に取って首を跳ねてやるべきだ。
男の。
首を、跳ねてやるべきなのだ。
だってそうじゃないか。あんな無残な様になって。かつて“校庭”という場所で戦ったときの毅然とした態度はどうした。どこに捨ててきた?
隣にいたはずの少女はどこに置いてきた?凛と立っていたあの少女。あれをどこに置いてきた。
きっと、おそらくはあの少女の安全と引き換えに男はあんな目に遭っているのだ。だから?だからどうした?
「そら、もっとあがいてみせよ。我を楽しませているうちは弄んでやるが、そうでなくなった場合は……」
「く……!」
大事なものは命を失くしたって守り通す。そんな男だと、ランサーは思っていたのに。勝手にだが、思っていたのに。
「ランサー。おまえは参加しないのか?」
ランサーを召還した女魔術師の腕を奪って命をも奪って、所有権を己へと移し変えた神父が無表情に問いかけてくる。誰が。
誰が、こんなことに参加しろというのだ。
「悪いがオレはそういうの趣味じゃねえんだわ。せっかくのお誘いだが、辞退させてもらうぜ」
「趣味ではないというのはこの行為についてか? それともあそこに転がる供物に対してか」
「ここで馬鹿正直にてめえに答えたってどうなるわけじゃねえだろ。とにかくオレは何にもしねえからな」
魔槍をコツン、と床で鳴らしてどうしてもやらせたいのなら令呪を使え、と話を打ち切る。どうしてだか床に這った男が衝撃を受けたような顔をした気がしたが、それでランサーの心が動くわけもなし。
助けてほしかった、とでもいうのだろうか。なら言えばよかったのだ。「助けて」と。


ランサーがその言葉を聞き入れたかどうかは知れないが。


「…………、あ、く、」
「全く、どこもかしこも汚らわしい。だというのにこの我直々が触れてやろうと言うのだぞ。心して頭を垂れるがよい」
「何を……っ、!」
がつん、と。
鈍い音がして、男の手の中で剣がばらばらになって破片が煌き砕け散る。ランサーは思った。
あの二対の剣の輝きはそれなりに好きだったのにな、だなんて。
男によく似合っていたのに。
そうして目の前で男は犯されていく。英雄王に獣の体勢を取らされて犯されて、好き放題されている。ランサーの心の中で何かがぐらり、と揺らいだ。
けれどそれっきりだった。


しん、と沈黙が耳に痛い。犯されて犯されて犯されきった男は、ぐったりと床に伏している。神父も英雄王もそんな男に構わずに、さっさとここから出ていってしまった。
ランサーは何とはなしにぼろぼろの男を見やる。かつ、こつ、かつ。自分が歩み寄っていく足音を聞きながら自分は何をしているのだろう?と考える。
こんなにまでなってしまった男を今さらどうしようというのだ。どうしてやろうというのだ。
この自分が。ここまで放置した自分が。
罪悪感はない。そんな女々しいものはない。後悔もない。そんな後ろめたさも持たぬ。
ならばこの感情は何だというのだろう。この込み上げるものは。立ち上がることさえ無理であろう男を見ているうちに湧き上がってくるものは。一体何なのだ。
誰か教えてくれ。誰か。
誰か。
「――――」
ランサーは手を伸ばす。そうして、目を閉じたまま意識を飛ばしている男の頬に触れた。
涙と汗で濡れた頬に。指先だけでそっと触れた。
「…………」
「――――」
相手は動かない。ぴくりともしない、瞼は開く兆しも見せない。ただ、とくん、と閉じた目から新たな涙がひとすじ溢れてきただけだった。
現実感、というものがランサーの心にはなかった。どこか遠いものを見るようだった。
それでもランサーは頬に触れた指先を離せないでいた。熱い、熱を出した子供のような体温の男の頬に触れたまま。
じっと、そうしていた。
殺してやるべきだろうか。ふと、物騒なことを思う。けれどそれが最善の道ではないかと思うのだ。今ここで、敵地でぬけぬけと意識を失っているのだ。それはもう殺してもいいということだろう。
なんてランサーは無茶な思考を回す。起きろ。起きろ、起きろ、起きろ、殺されたくなければ。
誇りがまだ、あるのなら。
「…………」
「――――」
ランサーは魔槍を手に取る。そして、振りかぶって――――、


ザッ。


突き刺したのは床。男の頬すれすれの位置を槍の先端は穿っていた。ランサーは舌打ちをする。自分の甘さに。男の、哀れさに。



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