「……っと」
「……あ、」
衛宮邸、縁側。
顔をつきあわせた二人は全くもって気の抜けた声をそろって漏らした。それでもってから、ぴりぴりとした雰囲気をあからさまに周囲に漂わせていったのだった。
(――――あれ)
重ねた洗濯物をそれぞれの部屋に運んでいた途中のアーチャーは、縁側から聞こえてくる声にいったん足を止めた。そして物陰に身を隠しその声を聞く。
(爺さん……と、ランサー……?)
「だからですね、オレはあいつのこと大事に思ってるんです。たぶんあん……じゃなくて、義父さんが思ってるよりずっと」
「今“あんた”って言いかけただろう君。……まあそれはいいよ。でもそれ以降は聞き逃せないな。僕の認識が間違ってるって言いたいのかい君は?」
何を話しているんだろう。
とんでもなく見当が付かなくて、身を隠したまま「???」マークを脳内に浮かべていたアーチャーの耳になおも飛び込んでくる、切嗣とランサーの言い争いのようなもの。
たぶんきっとそれはそう言っていい。それほどの険悪さは見えないとしても確かにそこにあった。二人が巧妙に隠しているだけで、たぶんきっとそこにあった。
「僕の方がね、士郎を大事に思っているんだよ。君の思いは……想い、かな? 僕のそれよりも弱い」
「何でそう言い切れるんですか。オレだってあいつのことを深く想ってます。血縁関係なんかのあれこれやは関係ない。そもそも義父さんとあいつからして血縁関係にはないじゃないですか」
真実の、と言ってランサーはおそらく煙草を噴かす。切嗣は目を細めて彼を見ただろう。気配で何となく察知は出来た。
目を細めて、眇めるようにして相手を見るのだ。銃の狙いを定めるように。
「……君、度胸あるね」
「光の御子ですんで」
「関係あるのかい?」
「あるのやらないのやら」
馬鹿にしているのか、なぁなぁにしているのか。アーチャーは思って冷や冷やとする。今すぐ切嗣が立ち上がって懐から銃を取り出し、ランサーの白い額に突きつけるような気がしてたまらない。そうやって、ぱぁん、と。ランサーの頭は西瓜を床に落としたように破裂する。そして中味をだらりと廊下に垂れ流すのだ。
「……でしょう?」
いささかスプラッタな想像をアーチャーがしている内に話はいつか進んでいたらしく、少々慌てて耳を澄ますと何だか険悪な雰囲気は強まっていた。ぴりぴりと、切嗣とランサーの間の空気は高まって静かに高まって。
(ランサー……騒動を起こさないでくれよ?)
かと言って出ていくにも行かず、アーチャーは洗濯物を抱えて曲がり角に佇むのみだ。それしか出来ることはない。
心がどきどきと騒ぐ。それでも。
それでも、二人の間にアーチャーは出ていくことは出来ない。卑怯者のように潜んで見守るしか出来ることはないのだ。
「そうかな。僕は違うと思うけど」
「オレはその意見こそ違うと思いますけどね。それにしたって義父さんは意地悪すぎる。オレとアーチャーの仲を何があろうと引き裂きたがってるみたいにしか思えませんよ。まるで駄々を捏ねる子供ですね」
「……へえ、僕が子供だって?」
そんなこと初めて言われたよ、ときっとにっこり笑って切嗣が言って、そうでしょうね、と声の様子で知れるしらっとした様子でランサーが返す。ああ、とアーチャーは焦ることしかやはり出来ない。
こんなところに出ていくなんて出来ない。どんな顔をすればいい?なんて言えばいい?ねえ。
わからない、わからないから。だからアーチャーは身を潜めるのだ。気配を消すのだ。もしかしてばれてしまったかもとしても、それでも曲がり角で影と化す。
見えないはずの影と化して、二人の動向を見守るしかないのだ。
「君は正直にものを言うんだね。それでよくトラブルを起こしたことはないかい?」
「おかげさまで。円満な人間関係を築けてますよ。ご心配ありがとうございます」
「ううん、いいんだ。元々そんなものしてはいないからね」
ああ、また切嗣が笑った。
それくらいアーチャーには軽くわかる。そんなだから胸をどきんとさせて軽く爪先で柱を蹴った。早く。早く早く早くこの話が終わらないかなという思いを乗せ。
この二人の会話が、終わらないかなという心底からの思いを乗せて。
「はっきり言うとさ。僕の方があの子のことを大事に思っているよ? 何て言ったってあの子の父親なんだからね」
義理だけれど、と切嗣が言えばすかさずランサーが返す。打たれたサーブを打ち返すかのように。
「オレだって大事に思ってますよ。どんなにかって言うと、自分を殺してもいいくらい」
「僕は死なないよ。もし死んだりしたらあの子は悲しむからさ」
「ええ。わかってます。それでも、その上でも、オレはあいつのために死ねるくらいあいつを愛してる」
「……勝手な、愛情だよ」
吐き捨てるように切嗣が言って、ああ、とアーチャーは思う。頼むから。頼むからランサー、爺さんを刺激しないでくれ。
それでもランサーはその声を聞かない。というか口にされてないのだから聞こえない。強い強い心からの放たれた意思を、それでも捉えることはランサーには、出来ないのだ。
「反吐が出るね。まるで僕が飲み込まれた泥みたいなさ。君、一度呪われてみるかい? そしてあの子を遺して、そのまま逝ってみるかい? そうすれば、わかるはずだよ? 僕の無念が」
「だから生き残る、って言ってるじゃないですか。生き汚いんですよオレは」
「それじゃあ僕が殺してあげようか、御子様。銃の取り扱いには自信があってね、魔術師殺しとも呼ばれていたのさ。だからたぶん、サーヴァントも消せるはずだと思うよ?」
「憎いんですね、オレが」
「ああ、憎いとも。あの子の心の隙間につけ入ってそれでいてへらへら笑ってる君がね。どうしてくれようかって最初は思ったさ。殺してやろうってね。即座に思ったけれどあの子が悲しむって思えたらそんな気はなくなった。あの子を泣かす気は僕にはないからさ。……でも」
薄く、切嗣が微笑む気配。
「それでも、君があの子を悲しませるって言うんなら、勝手な行動で悲しませるって言うんなら、僕は容赦なく君を殺すことにしたよ、光の御子くん?」
「…………」
ランサーが押し黙る。けれどもそれは圧されたのではなくて。
では、なくて。
「……オレは」
しっかりとした、はっきりとした、男の口調で、ランサーは。
光の御子、クランの猛犬、英雄クー・フーリンは言い切った。
「オレはあいつを愛してます。ずっと添い遂げようとは言えないけれど、……いつか消えるのがオレたちサーヴァントの宿命ですから言えませんけど。それでも消える寸前まで傍にはいたいし、消えたとしても座まで迎えに行って、何があっても追いかけて、抱きしめて、オレのものにしたい」
言い切られた言葉にアーチャーの顔はかあっと赤くなる。今度は切嗣が押し黙る気配。静かな時が流れる。ありふれているが痛いほどの沈黙。
二人は口を開かない。ただただ沈黙だけが、衛宮邸縁側に横たわる――――。
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