あれ、と。
続いて、ああ、と。
思って、馬鹿だなと思った。
あんなところで、独りで。誰にも言わず、誰もいない場所で。
たった独りで。
泣くなんて、と。
何が原因なのかはわからない。
幾度辛くてもその度に強いよう振る舞ってみせるから、がたが来たのか。
それとも、一撃で大打撃を受けるようなことがあったのか。
その場へと歩み寄っていって抱き締めることは出来た。
でも、出来なかった。
見られたくないだろう、と思ったから。弱さを見られたくないだろうと。
それは奴のプライドとかの問題ではなく。
……なくて。
声もなく泣く奴の姿をじっと見やりながら、思考をゆるりと巡らせる。その鋼色の瞳から滴る涙を舐めたなら甘いのだろうか、辛いのだろうかとそんな埒もないことをふと、思った。
感情から滴る涙は味が違うから。だから、味を確かめたくなったけれど。けれど、それは出来ない。
あそこに自分が現れることは出来なかった。抱き締めて、声をかけ、大丈夫だと体温を移して、安心させて。
そんなことは実に簡単だったけれど、それは無理なことだ。
簡単だから無理なこと。無理な約束は得意だったけれど、それとはまた違うことで。
そわり、ぞわり、と背筋を何かが駆け上る。這って、割って、なぞって、頭の先まで駆け上がっていく。
声もなく泣く姿に覚えるものがあった。
熱く、冷たく、鈍く、鋭く、弱く、強く。
正反対のそれぞれがかわるがわるに交互に現れては消えては生まれ、また消えて。
仮初めの心臓がどくり、と音を立てて鳴った。
どく。
どく、どく、どく。
……どくん。
握り潰されそうな感覚に、俄かに眩暈がする。
滴る涙。
蕩けた鋼色。
うっすらと赤くなった褐色。
薄闇に溶け込む黒の上下。
何もかもが、ああ、何もかもが。
口が奴の名前を呼ぼうとゆっくり開く。だが、すぐに閉じた。
出来ない。それは、出来ない。
ままならない。
見ているだけで心臓が鼓動する。
目を離して行ってしまえばいいのにそれが出来ない。
引きつけられて。
惹きつけられて、いる。
涙する姿に。ただそれだけに。
馬鹿だ。奴も。自分も。どいつもこいつも。
どうしようもなく馬鹿で、どうしようもない。誰かのてのひらに乗せられたような感覚。頼りない、もどかしい。
目を逸らせなくなる。だんだんと視界が狭まる。奴の泣く姿だけしか見ていられなくなる。
収縮していく視界。駆動する心臓。鼓動。繰り返す。繰り返す。繰り返す、繰り返す、繰り返す。
赤くなっていく。真っ赤に。血の色に。
立ち去らないとと思うのに、足は接着されたように動かずに。
魅入られた。その言葉が、実に似合っている。
男が泣いている。それだけなのに。
ああ、それだけ、で。
それだけで、こんなに簡単に打ちのめされた。
腑に落ちる。
呑み込まされる。
足は動かない。
目と心臓だけが駆動する。
声もなく泣く姿。
それを網膜に、記憶に焼き付ける。
心臓に刻み付ける。
「――――」
僅かに、声が出た。
成り損ないの、声が出た。
見続ける。じっと、ただ、ただ、見続ける――――。
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