「……好きだねぇ、おまえさんも」
「ああ、好きなんだ」
その返事を最後にまた作業に戻ってしまった愛しのこいびとに、ランサーは少しばかり切ない気持ちになってみたりなどする。
自分がちょっかいを出さない限り、こいびと、アーチャーは自分の派生品に夢中だ。
そりゃあ派生品だってランサーであることは変わりないから問題はないはずなのだけれど、それでもまるごと愛してほしいではないか。
乙女回路を持ったアーチャーとお付き合いさせていただいているせいで自分まで乙女じみたかとため息をついたランサーだったが、アーチャーはそれをちらりと見もしないし気付きもしない。
ただ、作業――――ランサーの髪を梳くことに興じている。


“君の髪は、見事だな”
ふと、縁側で和むバイト帰りのランサーに声をかけてきたのは同じく家事を終えたアーチャーだった。
その声が本当にふと、といった様子で漏れたものだったから、ランサーも何気ない様子で「おう」などと返してしまった。だが、それがいけなかった。
“少しばかり触れてみても?”
“構わないぜ”
構えというのだ。
あそこで止めていたのならばこんな事態にはならなかったのだろうか、けれど止めていたのならばアーチャーは目に見えないけれど機嫌を損ね去って行ってしまったのではないか。
やはり乙女じみた思考がランサーの頭の中をぐるぐる稼働中の洗濯機のように回り回りぐるぐるぐる、もうどうにでもしろという心境にさせる。
ポニーテール、ツインテール、三つ編み、サイドテール。
少女めいたヘアースタイルをランサーの髪に施してひとしきり真面目に遊んだ後、アーチャーは今度はただ髪をひたすらにブラシで梳き始めた。
丁寧に、丹念に、ごつごつとしているが繊細な指でアーチャーはランサーの髪に簡素な化粧を施していく。
艶を出すこと。
絡まりを防ぐこと。
とは言ってもランサーの髪にそんなものは双方とも存在しない。ある日凛に「あんたの髪無駄に綺麗よ男のくせにむかつく」と不当な評価を隕石の直撃のように受けて断ちバサミでじゃきんと根元から断ち切られそうになったのは別によくもないかといって早く忘れたいわけでもない思い出だ。
彼女、凛の妹である間桐桜曰く、凛の髪は癖っ毛であり、毎朝セットに難儀しているらしい。
それを毎朝最後にはアーチャーがブラシで梳かし、いつもの髪型に整えリボンを結び、コートを着せて学校へと送り出すのだ。
内緒ですけれどわたしそれでも姉さんの髪には憧れているんですよ、と仄かに頬を染めて告白された時にはいいことを聞いたものだと思ったものだったが。


少女の初々しい告白というものは男にとって望ましいものである。内容にもよるが。


「――――なあ、アーチャー?」
「何だろうか」
だから、その手を止めて聞いてほしい。
やはり思考が乙女じみてきている、と危険信号を鳴らしつつランサーは下ろした髪を梳かれるままで。
「そろそろそれ、終わんねえかな」
「うん、まだ終わらないな。髪の手入れというものには時間をかけるものだから」
「心のケアも時間をかけるものですよ?」
何故か敬語になった。
アーチャーを背負った後ろからは不思議そうな気配がして、それでも彼は「そうだな」とは答えずまたもやブラシを手に取って、
「……おまえ、オレの話を聞かねえつもりかよ!」
声をつい、荒げてしまった。
しまった――――そう思って喉を鳴らす、ごくり、といやに生々しい音が沈黙の間に割って入った。
どれくらいこの沈黙は続くのだろうとランサーが思いかけた時だ。
「聞いているよ。……けれど、不快にさせたのなら謝ろう。だけど、君の髪だから」
「……は?」
「君は私の、……する人だ。その髪がせっかくこんなにも美しいのに、それを保たないという意味が私には到底わからない」
理解出来ない、と言うアーチャーの声がランサーには理解出来ない。
なのにアーチャーはランサーを置いていく。いい意味で置き去りにして、言葉を次々と低い声で紡いでいく。
「こんなに、綺麗な髪なんだ。だから手間暇をかけて、時間をかけて大事にして美しさを保たないと」
「おい……アーチャー?」
「私の髪は見ての通り質も良くなく、手触りも悪い。だから、それだから君の髪こそは大事にしたいんだ」
ランサー。
息を付くように、自然に口にして、アーチャーは笑った。
ようだった。
「いけないかな」
「…………」
駄目だ。
そう、ランサーは思う。
もう、何でもかんでも好きにしろと思った。自由気ままにすればいい。思う通りにすればいい。こんな真っ直ぐな奴にどうして否ということが出来る。おまえの言うことはおかしいなどと戯言を返すことが出来る。
「……ねえよ」
「ん?」
「いけなく、ねえよ」
だから、続き。
「…………」
背中に感じる温度は、普段抱きしめる体より高い。純粋な喜びから、裏のない喜びからこの温度は発生したのだと知って、ランサーは心底打ちのめされた。
ちくしょう。
けれど最後のあがきに、仕返しに、全てが終わったのなら今度はまるっきり同じことを背後の相手に施してやろう、と、少々調子外れの鼻歌を聞きながらそう、ランサーは思ったのだった。



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