「……なあ、素敵だろう? 君のために特別に仕立てたんだ」
そこら辺の岩に腰かけ、ちゃり、ちゃり、と手の中の鍵を弄ぶ。弓兵は――――赤い弓兵はうっすらと微笑んで、檻の中の“彼”を見た。陶酔したまなざしで、褐色の頬を赤く染めて。
興奮と、血しぶきに赤く染めて。
「君が抵抗するから無駄な血が流れたよ。ああ……でもいいかな。君の血は、とても、甘いから」
惹かれて惹かれて仕方がないんだ。
弓兵はそう言うと頬に付着した血しぶきをぬるりと指先で拭い取って、そのまま薄く開いた口に含んだ。
「あ――――ん」
指を突っ込んだ後は食べ物を摂取するかのように大きく口を開け、ぬるぬると飲み込んでいく。褐色の指先に付いた赤い血を。
当たり前に、赤い血を。
それを。
牢の中の槍兵は見やりながら、ぎりりと荒っぽく唇を噛んだ。その首にはごつごつとした首輪。先には鎖が伸びて、鉄格子に縛り付けられている。
「……いい趣味してやがんな、弓兵」
「君に褒めてもらえて、嬉しいよ」
まるで子供のように弓兵が微笑むから、一瞬だけ槍兵は胸がどくんと高鳴るのを覚え、焦るように首を左右に振った。違う。
“これ”はもう、かつて槍兵が愛した者ではない。
がり。
近くの岩に爪を立てて、その結果槍兵は血を流す。黒い岩に赤い血の残滓。それはまるで。
それはまるで、目の前にいる、目前にいる弓兵の色彩のようで。
眩暈が、した。
ぱしゃんと思い出が弾けて血しぶきと混じる。檻に入れられた自分。愛していると、言ったのに。
それなのに一体どうして弓兵はこんな暴挙に出た?物足りなかった?何が。
一体何が、足りなかったというのだ。
「――――ああ」
駄目だよランサー、そう言って弓兵は手を伸ばしてくる。細い細い鉄格子の隙間を縫って、赤い聖骸布に包まれた手を。腕を。
「血を流す君はとても素敵だけれど、無駄な自傷は良くないな。流れる血がもったいない」
顎を、捉えられた。
「ん……」
かと思えばくちづけをされて瞠目する。ぬるり、ぬるり、裂けた肌を舌が舐め取る。滑った感触に背筋が粟立つ。ぞくぞくぞく。
「ん、んん、ん、」
「――――っ」
がしゃん、がしゃん。
鉄格子を鳴らして抗えば案外呆気なく弓兵は離れた。熱に浮かされた瞳でこちらを見据えてくる。口の周りに付いたどす黒くなり始めた血をぺろり、とさながら猫のように出された舌が拭う。
「ふ、は、ぁ……」
腹の辺りを押さえて、弓兵は目を細めた。そこに何かを宿したような仕草。胎動するかのような動作。ん、ん、とびくびく体を震わせて、弓兵は喘ぐ。
「舌を」
乞うように、けれど高圧的に弓兵は言った。口周りの血を全て拭って、押さえていた腹から手を離して。
「舌を、出してくれ。ランサー」
鉄格子に遮られた距離感をも物ともせず、そうやって強請る。自分でも赤い舌を――――血を拭った舌を伸ばしてきながら、弓兵は強請った。なあ、ランサー。舌を出してくれないか。
「……ふ」
仕方なく、といった風に先端だけ出された槍兵の舌にすぐさまといった勢いで弓兵の舌が絡む。思わず目を見開く槍兵には構わずに、ん、んふ、と、くぐもった声を漏らしながら実に巧みに槍兵の舌を絡め取った。
「…………」
「ん、く……」
「、っっ」
酸素が足りない。頭がくらくらしてくる。
極彩色の世界を垣間見ながら槍兵はそれでも正常さに留まろうとして、未だ血を流す指先を強く握った。
すると痛みで意識が覚醒し、槍兵は口内に侵入してこようとする弓兵の濡れた舌を手加減なく、噛んだ。
「!」
びくん、と体を震わせて弓兵が肩を跳ねさせる。けれど次の瞬間にはその目はとろりと快楽に蕩けて、悪循環の原因となった。
「あぁ……痛い……君の与えてくれる痛みは……安心するよ、ランサー……」
裂けた舌で自らの口の周りを舐め回してそう言う弓兵の姿はもう取り返しが付かないものだと槍兵に思いつかせて、いっそ、と暗い考えに浸りそうになった。
いっそ。
戻らないのなら、いっそこのまま。
「でもね」
槍兵の視界に、振りかぶられる弓兵のてのひらが映って。
ぱん。
音ばかり派手な平手打ち。けれどしっかりと、痛い。
「躾がなっていない猛犬ならば、躾をし直さなければ」
飼い主の手を噛むなんてこと、あってはならないんだよ?
言い聞かせるようにそう言って、弓兵は手の中の鍵束を投げ捨てた。ちゃりんちゃりんちゃりん……金属音を響かせ、それは闇に溶けて見えなくなる。
「しばらく反省しているといいよ。そうしておとなしくなったら鉄格子越しにだけど、私が愛してあげるから。それまで……待っていてくれるよな?」
にっこりと。
微笑んだ弓兵の顔を見て、槍兵は絶望半ばに思った。ああ。
こいつはもう、壊れきってしまったのだ、と。
「愛してるよ、ランサー」
がしゃん、と鉄格子が鳴る。それは終焉のサイン。もう二度と、槍兵がそこから出られることはないだろう。
back.