ぴちゃ、ぴちゃ、と暗がりから濡れた音が響き渡る。
「んん……ふ、ラン、サー……」
「嫌じゃねえだろ御主人様? 悦くしてやるからよ、おとなしくしてな」
「あ……」
玉座に腰かけたアーチャーの素足に、跪いたランサーがくちづける。そのまま喘ぎをスルーしてそれぞれの指を口に含み、ちゅっちゅっと音を立てて吸う。
「ん……」
鼻にかかった甘ったるい低い声。その口元に不意に浮かぶのは笑み。
「っ、つ」
がっ、と振り上げた足でランサーの口内を蹴り上げて、アーチャーは微笑んだ。
「奴隷風情が、生意気を言う」
荒げた息の下から言うのが、むやみやたらと扇情的で。
ランサーの口端から垂れたひとすじの血。それにさらに興奮したかのように両頬をそれぞれのてのひらで包んで、はぁ、とアーチャーは熱い吐息を漏らす。
そんな彼を見てランサーは一瞬、ひどく冷たい瞳をしたかと思うと玉座に座ったままの彼へと襲い掛かっていた。
「ラ、ンサー……」
ふふ、と艶っぽくアーチャーは微笑んでその暴力を享受する。甘受する。受け入れる。
びりびりと破かれる上質な絹で出来た服。それはあっという間に服ではなくただの布切れとなって、はさりと磨かれた床に舞い落ちた。
しかし大事な部分を覆う布はそのままに。即物的で俗物的ではないのがランサーという男。
奴隷という位置にいながらも、その矜持は立派なものなのだ。
どちらかと言えば、捻子くれているのは女王であるアーチャーの方。相手が傷ついたことで興奮する。ぞくぞくとする。
典型的なサディストであるが、同時にマゾヒストでもある。だって、現に今。
力任せに襲われて、うっとりとした様子でランサーの暴虐を受けているではないか。
「ランサー……もっと、ひどく……」
「ひどく? 具体的に言えばどうしてほしいんだよ?」
「……そんなの、言わずともわかっているだろう?」
「言われねえとわからねえなあ、ああ、わからねえとも」
そんなことを言いながらもランサーの白い手が、アーチャーの褐色の胸板を這い回る。時折指先がいやに初々しい色の尖りに引っかかったりして、その度にアーチャーは「っん、」などと喘ぐような声を出してみせるのだ。
「奴隷風情が、そう言っただろ? だったら貴族様でも王様でも、何でもてめえの身分に相応しいお相手のところに行けよ。……もし奴隷風情に溺れたりなんかしたら、いい笑い者だぜ?」
「うる、さい……っ」
アーチャーは。
少し不機嫌そうになった顔で瞳でランサーを睨み据えると、両腕を伸ばしてその首を捕らえる。そうして、彼の体を引き寄せて。
「――――」
「ん――――ふ……」
初っ端から、深いくちづけ。舌を絡めて、吐息を奪って、ぞっとするほど。
そのくちづけは長らく続いた。やがて耐え切れなくなったのか、アーチャーがぷはっと唇を離すと、言った。
男ならば……いや、例え女でも壊したくなるほどの、それは真剣な顔だった。
「君がいいんだよ、ランサー。身分の差? それがどうしたというんだ。確かに私は“奴隷風情が”と君に言った。けれどそれはサインだよ、もっと愛してくれ、というね」
「……回りくどいな、おまえの誘いってのはよ?」
「いいから」
私を、愛したまえ。
毅然とした態度で艶然とした言葉を吐いて、アーチャーは大事な部分を覆う布をちらり、持ち上げた。奥の暗がり。闇の都合で見れないけれど、きっと想像力がそれを補完する。完全としたものにする。だからいいのだ。
「私を、めちゃくちゃにしたまえ――――ランサー」
誘いと言うにはあまりにも短絡的すぎる言葉を吐いて、アーチャーは右腕をランサーへと向けて伸ばしてみせた。そこに纏わり付いていた布がはらり、と、舞い落ちる。
ごくり、と。
ランサーが喉を鳴らす音が聞こえた。
アーチャーは笑う。嗤う。ほら、これで自分の思い通り。思い通りにならないことなどあってはいけないのだ。だって自分は特別な存在。
ランサーはその下の立場にいる存在。だから。
「私を抱いて……くちづけをして、そして思う様……めちゃくちゃに……んっ」
唇を、奪われた。
演説の途中だったのにと少し残念に思わなくもなかったが、これもまた思うがままだったので薄く笑うことで飲み込んだ。
「ん、んっ、ふ……ぅ、」
手首を掴まれて、玉座に背中を押し付けられて。
冷たい大理石が背中に痛い。けれど、それがいい。元々あってないような体温が奪われていくのが心地良い。
その分を、失われた分をランサーが補填してくれるから。
補充してくれるから、何も不満はない。
愛している。自分より下の存在であるランサーを。
関係ない。身分など。ただのポーズでこうしているだけ。結局行為の時はランサーが主導権を握るのだから、何の問題もないだろう?
ああ、温かい。
いや、熱い。
このまま溶けて流れて、床にどろどろと落ちていってしまいそう、だ――――。
「んぅ……っ……」
ランサーのくちづけは心地良かった。ひどく。ずるく。こんなくちづけを受けていてはとてもではないがランサーを手放せないではないか。
手放す気など、毛頭ないが。
見目の良いランサーを狙う他の相手はたくさんいる。自らの奴隷にして、その愛撫を受けようとする輩は目が眩むほどの数、いる。だけど許さない。ランサーはアーチャーのものだ。所有物扱いしてもいい。だって、ランサーは奴隷だから。
それでも、愛しているよ、ランサー。
思いながら、くちづけを受け続けてアーチャーはどんどんと蕩けて、順調に溶けて流れて床にとうとうと落ちていってしまおうとしていた。
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