すんすん。
「……桜?」
すんすん。
「……は!」
きゃっやだっ!
だなんて言っちゃって、顔を真っ赤にしちゃって飛びのく間桐桜さん。
それを丸い無防備な鋼色の瞳で眺めつつ、きょとんとしたのがアーチャーさんでした。
「あっ、あのっ、ごめんなさいせんぱっ……じゃなくてっ、アーチャーさんっ!」
「ああ、別に構わないよ。……それで? 私から、何か?」
くんくんと鼻を鳴らし、自らの匂いを嗅いでみるアーチャー。それに真っ赤な顔のまま桜は慌ててみせて。
「ち、違うんです! それはそのっ、しますけれども、とてもとてもっ」
「するのかね?」
「ちちちちがうんですぅ!」
きゃあああっ!
とうとう真っ赤になった顔を手で覆ってしまった桜にさすがに心配そうな顔を見せて、アーチャーは「桜?」と問いかけて、
「……ええ、するんですよね、いい匂い、」
「……桜?」
「食べちゃいたいくらい。……いい、におい、が、」
「…………桜?」
くすくすと。
わらって、ごーごー。
「くうくうおなかがなりました……」
「……さくら?」
にっこりと。
笑う、桜。
真顔のアーチャーのこめかみから垂れる汗ひとすじ。彼は思った。
喰われる。
「それでは桜、私は用事を思い出したよ。何か食べたいのなら戸棚に煎餅か饅頭が入っているから食べ……」
「そんなんじゃ物足りないんです」
「……洋菓子が好みかね? だったら少し遅くなるが、遠坂邸にケーキを焼いておいてあるからそれをすぐに持ってくるので待っていてくれたま」
「アーチャーさんが食べたいです」
「は?」
「アーチャーさんが食べたいです」
だって。
「だってとってもいいにおい」
「…………桜?」
ぶわっ。広がる影、闇、黒、黒、黒黒黒黒黒。桜の纏う桜色のワンピースは赤と黒のしましまワンピースとなり、藤色の髪は見事に色が抜ける。にたり、と唇が裂けて微笑み、人型はさながらクラゲのシルエットと化した。
「食べさせてください」
「さ、さささささくらっ!?」
「ふふ、アーチャーさんを齧ったらどんな味がするかしら」
甘い?苦い?塩辛い?酸っぱい?
それとも。
「でも、わたしどうせひとのみだもの。わからないかしら、ふふ」
「落ち着け、落ち着くんだ桜!」
「あら、アーチャーさん。まるで先輩みたいな喋り方するんですね?」
「待て! いいから待ってくれ!」
「いいですよ? 待ってあげます。さん、にい、いち、はい」
「それは待ってるとは言わない!」
「待ちました。わたし、とっても待ちました。おなかがすきすぎてめまいがします」
だから、と。
だから、と彼女は。
「食べさせてください」
にっこり。
今度は、砕けるように笑った。硝子が落ちて、接して、砕けるように。粉々になるように。めちゃくちゃになるように、めいいっぱいの笑顔で笑ってみせた。
その笑顔を見たアーチャーの背筋を、思わず駆け抜けていく寒いもの。ぞぞぞぞぞ、と体を震わせたアーチャーに、やだあ、ときゃらきゃら桜が笑ってみせる。
「かわいい怯え方するんですね、アーチャーさんったら」
それで。
「それで、もう食べてもいいですか?」
「だから!」
「待てません。食べちゃいますね?」
くすくす。
「あーん」
ゆうっくり、ゆうっくり。闇が、開いて。
アーチャーの意識はそこへと飲み込まれていった。――――とか?
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