「君が私の……マスター、なのかね?」
アーチャーはそっと、つぶやくようにそう言った。
そこはとあるホテルの一室。カーテンを閉め切って電気さえも点けずに。
だから辺りは薄闇に沈んでまるで深海のようで、そこに彼女は立っていた。
艶やかな黒髪を肩までで切りそろえ。
ナイフのような鋭い瞳。
体には硝煙の匂いが漂い付き纏う。
そんな、女性がそこにはいた。
「わたしは」
彼女は口を開く。
「わたしは、“魔術師”という者ではありませんが――――こうしてあなたがわたしの前にいるのならば、わたしはあなたのマスターなのでしょうね」
涼やかな声だった。
そっと鈴を叩くような。そんな。
りぃん、と鳴るような音だった。
アーチャーはそんな彼女をそっと辿ってみる。確かに魔力の感覚は彼女からは得られない、けれど何か“繋がっている”ものが彼女からは感じられる。
衛宮、切嗣――――そんな名前が、面影が過ぎって、消えた。それだけだった。
しかしそれだけで、それだけで充分だった。
アーチャーは組んでいた腕をほどくと、ふ、と笑う。
そして聞いた。
「ならば私は君のサーヴァントだ、マスター。名前を聞いても?」
「舞弥。久宇舞弥、と」
マイヤ。
その響きを、アーチャーは心に刻み付ける。
「私のことはアーチャーと。これで契約は完了した」
「…………」
舞弥は無口な女性だった。そんな彼女に、アーチャーは聞く。
「さて、マスター。私は君の使い魔だ。何か希望があるかな? あるならば今の内に言っておくことだ。令呪を必要とするものならば、それ相応の代価を頂くが……」
「わたしには、望みなど」
目を伏せれば黒髪が表情を隠す。プラスティックのように無機質な、表情を。
「……ケーキ……」
「は?」
何だか。
この場の空気にとてもそぐわない、言葉を聞いたような、気がした。
「ケーキバイキングに……以前連れていってもらったことがあって……いえ、余計なことでした。忘れてください」
「いや、忘れろと言われてもだな、君、」
簡単に忘れられるものか、今の発言が。
というか。
「……ケーキが好きなのか? マスター……」
「…………」
舞弥は。
こくん、と。
一度だけ、それでも確実に頷いた。
アーチャーは呆然としながらその場の空気が変わっていくのを悟る。目の前の女性はまるで少女に見えて。
十代と言ってもいいような、少女に見えてしまって。
「……作ろうか?」
「え?」
「だから、ケーキだよ。バイキングとまでは行かないが、ワンホールくらいならば作ることが出来るぞ? ああ……でも、こんなところでワンホールも作っては腐らせることになってしまってもったいないか……」
「食べられる、」
「え」
「わたしなら、それくらいは」
たべられ、ます。
そう言って俯いた我がマスターに。
アーチャーは二度目、呆然としながら「そ……そうか」などといった生返事を返していた。
「ならば、作ろうか。材料は外で調達してくるとして……調理場はさすがにこんなところでは出来ないかな? オーブンも何もないものな。ああ、でも……」
簡単に出来るケーキのレシピを頭の中で組み立てるアーチャーに、舞弥は。
「……本当に?」
「ん?」
「本当に、作ってくれる……の?」
アーチャー。
そう、彼女がアーチャーを呼んだから。
「ああ」
アーチャーは苦笑げに、それでもしっかりと微笑んだ。
「マスターの望みならば」
そう言ったアーチャーに、舞弥は顔を上げて。
少女めいた笑みのようなものを、浮かべてみせたのだった。



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