瞳は水晶。
髪は絹。
肌は、蝋。
「ランサー、ただいま。今日もまた、いい食材を手に入れてきたよ」
アーチャーはそう言って、靴を脱いでリビングに入っていきながら微笑む。物言わぬ人形に向かって。うん、うん、そうか。君も言っていたものな。
「昨日、君が肉を食べたいと言っていたから。だから、新鮮な鶏肉を買ってきたよ」
赤い水晶はぱちんと音を立てて点灯させられた部屋の明かりに俄かに輝きを増した。それを見て眩しそうに目を細め、アーチャーは笑う。
その顔は幸福に満ちた顔だった。無残なほどに、幸福に塗れた、そんな顔だった。


生き人形。
そんな名前を付けられるほどランサーを模した人形は精巧で、アンティークドールのような外観であるのにまさに今にも喋りだしそうに、動きだしそうに見えた。青い絹で作られた人形の髪をさらさらと手触りで愉しみ、アーチャーはことことと音を立てる鍋の様子を見る。
今日のメニューは鶏肉のホワイトソース煮込み。寒くなってきた冬にはちょうどいいだろうという彼の心遣いだ。
そう。
例えそれが、人形に対する心遣いだったとしても。
作られたのはきっちりふたりぶん。出来上がったものを食器に注いで、アーチャーはランサーの人形をリビングの椅子まで運ぶ。抱き上げて、抱きしめて、もう二度と離したくない離れたくない、というかのように。
「さあ、出来たよランサー。この前はトマト煮だったから、今度はホワイトソースにしてみたんだ」
答えはない。当然だ。相手は人形。魂を宿さぬ、ただのヒトガタ。
その前にことん、と食器とグラスとを置くと、アーチャーは自分の前にも同じものをそろえてランサーの人形が座る椅子の前に腰かけた。
そして言った。


「いただきます」


ランサーの人形の前に置かれた皿は空っぽ。人形がもちろん食べた訳ではない。アーチャーがふたりぶんを食べたのだ。けれどアーチャーの頭の中では、“ランサーが食べてくれた”ということになっていて、彼はにこにこと嬉しそうに笑いながら人形の口元を拭ってやっていたりする。
「どうかな、今日のは自信作だったんだ。上手く出来たと……思うんだが」
もちろん人形は何も言わない。けれど、アーチャーは微笑んで。
「ありがとう。嬉しいよ」
そう言って、席を立って、食器をトレイに乗せるとキッチンへ向かった。しばらくして流水音が聞こえてきたが、当然人形は何の反応もしなかった。
「ランサー」
やがて洗い物と片付けを終えてリビングへ戻ってきたアーチャーはランサーの人形の前に座ると、テーブルの上に置かれているその蝋で出来た白い手を取る。
そうしてはぁ……と熱いため息を漏らしながら、蝋が溶けてしまいそうな熱いため息を漏らしながら、その手の甲にくちづけた。艶々とした表面はアーチャーを拒まない。それどころかしなやかに彼を受け入れて、増長させる結果となる。
「ランサー。私はね、君を愛しているんだよ。……もう、何度も言ったことだけれど」
ぎしり、音がしてアーチャーはランサーの人形の膝の上に乗り上げる。そうして“本物”そっくりに造られたその端正な顔を見つめて、赤く彩られた唇にそっと己の唇を寄せていった。ちゅ、っと軽くリップ音を鳴らしてアーチャーは人形の唇にくちづける。それから舌をぞろりと出して、艶々とした表面を軽く舐めた。何度も繰り返せば蝋で出来た表面がてらてらと光る。それを焦点の合わぬような瞳で見やって、アーチャーは人形の手を握る。
そうして、切なげに口を開いた。
「愛しているよ。愛しているよ、君を愛しているんだランサー。私はもう君なしではいられない。そんな風に君がした……ああ、勘違いしないでほしい。責めている訳じゃないんだ。ただ、わかってほしいだけなんだ」
人形は、何も言わない。だが、アーチャーはこくん、と頷いて。
「わかってくれて嬉しい。……君になら殺されてもいいよ、あの時のように心臓を貫いて、君の手で貫いて、私を殺してくれても構わない」
もう、君を愛せなくなるのは少し残念だけれど。
アーチャーはそう言いながらも、今度は蝋で出来た人形の指を一本一本口に含みながら、ぞろりぞろりと舐めていく。
「ん、ふ……ん、きみ、のゆび……あまくて、おいしい……」
もう一方の自由な手、だらりと垂れ下がった人形の手に己の指を絡めて、アーチャーは紅潮した頬でそう言い募る。蝋が甘いなど、正気の沙汰ではない。
でも、それでもアーチャーはそう思っている。
思い込みが、味覚さえ変えるのだ。
唾液が飽和状態となって口元から溢れ、アーチャーの黒いスラックスにぽたりと落ちる。丸く、濃く模様が出来た。
「っ……ん、ん、はぁ……っ……んふ……っ……」
それさえも構わず、アーチャーは人形の指を愛撫し続ける。口淫し続ける。


これはもう、狂気の沙汰だ。
けれど。
恋愛なんて所詮、全てが狂気の沙汰だろう?


「ランサー……君が愛しいよ。君は私の太陽だ。眩しくて、神々しくて、とてもじゃないが真っ直ぐには見られない……」
私は闇に属する者だから、とアーチャーは言って。
「けれど、今だけは君は私だけのものだ。なんて幸福なことなんだろう、そしてなんて罪深いことなんだろう! ああランサー、それでも私は」
アーチャーはささやく。物言わぬ人形に。
何かが返ってくることを期待しているのかいないのか、それとも。
彼の中では既にこの人形は“本物”よりも確固とした立ち位置を獲得しているのだろうか。
「愛しているよランサー、愛している、愛している、愛している、愛している、愛している、」
だから。
「だから、君を決して逃したりはしないよ……ランサー……?」
ひっそりと。
アーチャーはささやいて、己の涎まみれになった人形の指先をてのひらで包み込んで、微笑んだ。
「君は、ずっと私のものだよ……」


物言わぬ人形。
それが、かたり、と動いたような。
そんな、気配がした。



back.