「あー、駄目だね。あいつはタラシだ。アンタも苦労してんだろ? 今すぐ捨てちゃってさ、オレに乗り換えなよ」
「……むう」
アーチャーは顎に手を当てる。
乗り換えなよ、そんな言葉に乗るわけには行かない。だが、彼がタラシだというのは事実である。
商店街で、公園で、雑木林で、彼は様々な女性にこなをかけていた。
「まったく。アンタもオレのマスターも、どうしてあんなろくでなしがいいんだか」
嘆息する口調でけれど嗤う。ケラケラと腹を抱えて今にも笑い転げそうだ。頭に巻いた赤い布が揺れて、いやに目を惹く。
自分と同じ色だというのに、どうしてこうも違うのだろう。
「とにかくさ。あいつは駄目だ。駄目だ、駄目だ、駄目駄目だ。周りの相手にいい顔してるくせに残忍で酷薄で。ありゃ罪作りだよ。見てみな、オレのマスターなんぞ外面に騙されてめろめろだ」
恋愛感情とは違うと思うけどね。
そう言って少年の形をした影はキシシと笑う。全否定。いっそ愛しているくらいに少年は男を憎んでいる。
「あいつに比べてオレはいいぜえ。なんてったって一途だ。あ、マスターは別換算で頼むな。アレはオレのだから。で、オレはマスターの」
「なら、一途とは言わんよ」
ため息をついた。
そう?と少年の影がささやく。やけに大人じみた、年頃に似合わないささやきだった。
足を組み換えて影は首をかしげる。なぁ、アンタオレのものになる気はない?
「捨てちゃいなよ、あんな奴。我慢して付き合っていったって最後には泣くだけだ。何てったって処女百人斬りの伝説を持つ英雄様だ、いやいや。オレなんぞの低俗な英霊にはとてもじゃないが敵わねえ」
「低俗な英霊? よく言う、――――アンリマユ」
影の右眉がぴくり、と上がった。だがそれだけだ。にっこりと、らしくなく邪気のない笑顔で影は笑った。
「オレはさ。この世すべてのだなんて言われるけどそんな大したもんじゃない。ただの亡霊だよ。アンタと一緒だ。さ迷ってるんだ、ただふらふらと」
目的があってこの世に存在してる奴とは違うよ、と例の男をさりげなく貶める。
風船のようにふらふらしてるんだ、と影は己を述べた。
「だから、アンタに持っててほしい」
オレの手綱を、とささやく。
「あいつの手綱なんか離しちゃってさ。大丈夫、あいつなら誰にだって拾ってもらえる。だから、な、」
ふたりで持ち合っていよう、と。
まさしく影のように、少年の姿をした者はアーチャーの心に忍び寄ってくる。
「嫌い、なのだな。君はあいつを」
「そっか? そんなことねえよ。オレはあいつを何とも思ってない」
「何、とも……?」
「そうさ。何とも。だからこんなこと言えるんだ。嫌いならもっと悪し様に述べる。もうぼろぼろにな」
とっくにぼろぼろだと、アーチャーは思うのだが。
「けれど」
けれど、私は彼を嫌いになどなれない――――。
体と心を繋いでしまった、だから口にする。それだけがよすがというわけではないのだが。
「どうして?」
「気持ちの問題さ」
「そんな気持ち、捨ててしまえよ。あいつだって必要とあらばアンタを捨てる。なのにアンタは尚もあいつに縋るの?」
不思議そうに聞いてくる影。
アーチャーは少し考えて。
「捨てられた、としても」
私は彼を憎めない、そうそっと口にした。
影は黙って。
苛々としたように、口にし返した。
「気に入らないな」
「どうして?」
「そりゃ、お気に入りのアンタがオレの言うことを悉く無視するからだよ」
「無視などしていない。聞けない、と。ただそう言っただけだ」
「それだ。それが無視なんだ。どうして? あいつは残忍で酷薄だよ。そりゃあ多少は情があるかもしれない。だけどそれだけ。いざとなれば、局面となれば、あいつは軽々とアンタを捨てるよ」
「――――」
そっと。
影が、微笑む。
だからオレにしときなよ、とアーチャーを誘う。
だが、アーチャーは首を振った。
「なんで」
「残念だが」
私は。胸に手を当てて、左胸に手を当てて、アーチャーは静かに口にする。
「もう、私は彼に捕まってしまったんだ。捨てられるのならそうされないようにするまで。追い求める。どんなに女々しいと罵られようとも。そうするさ」
きっとな。
影の口が、への字になる。
「気に入らないと」
いう顔をしているな、と言ったアーチャーに、ああ、と影が答えた。
「オレならあんたを大事に壊してやれるのに」
「壊されるなら彼がいいんだ」
アーチャーは微笑んで、そう口にしたのだった。
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