地獄の毒々麻婆地獄。
意味は重なるが、まあそんなこったどうでもいいだろう。
「……無理はしなくともいいのだぞ?」
「いや、大丈夫だ」
答えるもののレンゲは一向に動かない。体が、ランサーの体全体が目の前の料理に対してびんびんに危険信号を発していた。死ぬ、いやもう死んでるけど死ぬ、再度死ぬ、速やかに、速攻に、速達で、死の通知がランサーさん判子くださーい!と元気良くやってくる。
自分病んでるかもな、とそんな思いにとらわれかけていたランサーは思った。あのダニ神父ほどじゃねえけども。
そう、事の始まりはやっぱりあのダニ神父ソン。特に用事も与えず言い聞かせず、水遣りや花の剪定、買出しなどの雑用をランサーへとやらせていた言峰綺礼が呼ぶので何かといやいや向かってみたらこれである。
“さあ、これを食するといい”
力になるぞ、と出されたのは真っ赤な、地獄のようにどこまでも真っ赤な麻婆豆腐だった。まず思ったこと。
目にしみる。
「ランサー、本当に無理しなくとも……」
「だから大丈夫だって!」
決意を込めて言ってみせる。そうだ。自分は大丈夫だ。英霊なのだ、英雄なのだ。半神半人なのだ。こんな人間の食べるものでどうにかなったりはしない。しない、しないと思うのだが。
(ちくしょう、手が動かねえ……!)
臆したことなどなかった、これまでずっと。
生前の戦いのときも最期のときも、第一のマスターにこの世に召喚されて説明を聞いたときも。
なのにどうしてこの手は動かない!
くそ、ちくしょうめ。ランサーは意気地のない自分を叱咤した。たかが人間の食べ物じゃないか。それを掬い取って口に運ぶだけ。何故それができない?
レンゲを持った右手は一向に動かない。それを、傍にいる相手――――アーチャーがどこか心配そうに見つめていた。ああ、そんな目をするな。おまえにそんな顔をさせるために、オレはこの地獄と対面してるわけじゃない。
だったら何なのかと問われれば、きっとそれは間違いなく神父の仕業だった。
「どうしたランサー、手が動いていないぞ?」
うるせえ、そんなこたわかってんだ。
非常に憎々しく思い聞こえるその声は無駄に美声で、教会の中で反射してこだまし、ランサーの耳を痛めつけた。
言峰綺礼。職業神父、性格最悪。
彼を、ランサーの二代目マスターを称するのはきっとこれだけで足りるだろう。他に何が?いや、ない。さ・い・あ・く、とたったの四文字で済んでしまうくせにその性根は捩子くれ曲がっていて、ランサーにはとてもではないが理解しがたかった。
「さすがに私も仕事をやらせるだけで報酬を与えないのも悪いと思ってな。こうして礼に出たのだが、さて、一体何が気に食わん?」
おまえの性根だよ。
言えたら楽だっただろうし、実際に言えたはずだ。だが、ランサーは臆していた、目の前の産物に。
麻婆豆腐、確か四川の料理だったか?その味は適度に辛くどちらかといえば大人向けだが、子供向けにか中辛、甘口も用意されている。しかし目の前の産物はそんなものではなかった。一般的に辛口と呼ばれるものを越えていて、この目にしみる感覚はおそらくは最上位。
ハイエンド中のハイエンド、激辛でもきっと生温い。
「どうしたランサー? 早く食べたらどうだ」
刻一刻と迫るタイムリミット。
別に特に無理をして食べるものでもことでもないのだ、口に合わないと言って席を立ってしまえばいい。それができないのは。
「ランサー……」
そうだ。
この料理が、アーチャーの作ったものだったからだ。
ランサーは自由にならない体に鞭を打ち、ちらり、と彼女の方を見る。白い髪、褐色の肌、赤い概念武装。いつもの彼女、変わらぬ彼女。
だが、しかしだがしかし。ただひとつだけ変わっているところはあったのだが。
ごくり、とやけに大きくランサーの喉が立てた音が教会内に響く。アーチャーはそれを見てさらに普段とは変えたものを変えた。
心配そうに彼女の眉は寄り、眉間には皺。言峰の傍らにいながらじっとランサーを見て胸元に組んだ手を合わせている。
そうなのだ。
アーチャーは、ランサーを心配していたのだ。
「ランサー、はっきり言ってこの料理はマスターの口にしか合わない。だからレンゲを置いて席を立ってくれ」
「…………」
「ランサー、頼む」
そんなことを言わせてしまってはいけない。いけなかったのに、言わせたのはランサーだ。
こんなもの、ただの麻婆、食べられないでどうする。惚れた女の作った飯だ、ちょっとくらい辛かったってどうにかなるもんか。
そうランサーは思うが体が言うことを聞かない。体は正直、よく使われる表現である。
ちくしょう……!
レンゲで掬えばいいのだ。そうして口に運べばいい。そしてアーチャーに“美味い”とさえ言ってやればランサーは満足する。そうだ、ただそれだけのことだ。
それが、どうして、できない。
「くっ……」
地獄変麻婆豆腐がランサーの目前に運ばれてきたとき以来の、それはランサーが漏らした言葉だった。
つい口から漏れてしまった言葉とも言えないそれ、それをあの!外道!神父は!耳ざとく聞きつけて!
「どうしたランサー、彼女の料理が食べられないのか?」
「――――ッ」
ランサーは弾かれるように顔を上げて言峰の方を見た。その言峰はいつもの無表情、けれど雰囲気が嗤っていた。
これはランサーをいじるときの雰囲気である、ああ、もう、本当に、勘弁してほしくなるくらい苦手な雰囲気。
「彼女がせっかく精魂込めて作った料理が食べられないとは男失格だなランサー。英雄としても見下げたものだ、案外私のおまえにとっての評価も……」
とうとうと垂れ流される言峰の台詞に。
ぶちん、と音を立ててランサーのどこかがキレた。
「あっ!?」
「ほほう……」
がつがつと、もぐもぐと、ぱくぱくと。
喉の奥に流し込むようにランサーは麻婆豆腐を貪った。最後の豆腐のひとかけらまでもが皿から消えるまで食べることを止めず、ただ、ひたすらに目の前にあるものを喰らうことに専念した。
「…………」
だん、と置かれる白い皿。
残さず綺麗にすべて全部を平らげたランサーは。
「ランサー!」
アーチャーと言峰の前で、思いっきり全身を床に落としたのだった。
後日。
質素なベッドの上で目を覚ましたランサーの前にはアーチャーがいた。心配そうな顔をしていた彼女はランサーが気づいたのを知ると、珍しくその相貌に喜びの色を見せ、けれど君のしたことは無謀すぎる、とランサーを軽く叱ってみせた。
プラマイゼロ。言峰にはしてやられたが、これで一歩前進と言えたのかも、しれない。
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