彼女の一日は早い。
「マスター、マスター朝だぞ。そろそろ起きて支度をしないか。マスター!」
だが、彼女の平常は彼の異常。小柄な少女に揺り動かされる黒髪の少年は毛布を頭からかぶって唸り声を上げている。
「んー……あと五分……ていうかまだ七時じゃないか……」
「何を言う、立派な起床時間だぞ。今日こそはしっかりと朝食を摂ってだな、あ、こら、凛!」
がばり、と毛布が跳ね除けられ少女の矮躯が少年にいささか乱暴に引き寄せられる。凛、と呼ばれた少年は猫のように笑いながら、
「……おはようのチュー、してくれたら起きるよアーチャー」
アーチャーと呼ばれた少女は目を見張って。
「妄言もいい加減にしろ、マスター!」
どんがらどかーん、とまるで稲妻のような絶叫が洋風屋敷全体に響き渡った。
カチャカチャと食器が立てる音。凛少年はナイフとフォークで半熟卵の目玉焼きを食べつつ。
「こんなに天気がいいってのに、アーチャーはどうしてご機嫌斜めなのさ?」
にこにこ今日の太陽みたいに笑ってるべきじゃない?と凛少年は言い、紅茶をひとくち。
「空気読めてないよ、アーチャー」
「空気が読めてないのは君だ、凛! よりにもよっておはようのチューだなど、何を考えているのか……」
「恋人同士なら普通じゃない」
「……いいかね。私たちはマスターとサーヴァントという間柄であって、恋人、などという間柄では、決して、ない」
「そんな強調するかなあ?」
傷ついちゃうよ、などと言ってはいるがしれっとした様子で凛少年はフレンチトーストをぱくり。その様を見て少女、アーチャーは目を閉じ頭痛でもするんですというかのようにこめかみを押さえる。すかさずそこに凛少年が、
「あれ? アーチャー、頭でも痛いの? 大丈夫? 薬あるよ、出してこようか」
「誰のせいだと思っているのだね、マスター?」
「さあ。あ、それとも今日は学校を休んで一日中ついてて……」
「凛!!」
肩をすくめてぺろりと舌を出す凛少年に、眉間に皺を寄せたアーチャーはカツカツカツ、とテーブルを爪先で叩く。
いいかね、と切りだす様はまるで家庭教師だ。その割に身長は大幅に足りていないのだが。
「いいか、君は今現在聖杯戦争に参加している身だということを忘れるな。そして君が勝利するのは決定事項、私はそれを信じている」
「光栄だね、君にそこまで言ってもらえるなんて、アーチャー?」
「茶々はいらん。それでマスター? 君にはその覚悟があるのかね」
カタン。
空になったカップがテーブルに置かれる。
口元をナフキンで拭った凛少年は一度目を伏せ、それからアーチャーを見つめる。
エメラルド色のその視線は、真っ向から己の従者を見据えた。
「言わなくてもわかってるだろうけど、言っておくよ。……もちろんさ、アーチャー」
先程までの悪戯っぽさはなりを潜め、その輝く瞳にようやっとアーチャーも満足したようだ。うん、と一度うなずいて胸に手を当てる。
「ああ、そうだと思っていたよ」
君を信じていた。
そう、しみじみと言うアーチャーに凛少年は言う。
「まあ、それもアーチャー、君がいての話だけどね」
「ふ、ついさっきの君の言葉ではないが、光栄だな」
ふふっ、と笑いを交わすふたり。
漂いだしたほのぼのとした空気は、はっと顔を上げたアーチャーの声によって不意に破られた。
「凛! 急いで家を出ないと、そろそろ遅刻だぞ!」
「……っと、もうそんな時間? でもアーチャーが言うんだから充分に余裕はあるんだろうけどね」
「油断はするな、戦争だけではなく日常でもだ! いいから早く行くんだ凛、ほら、上着を持って!」
「はいはい。…………」
アーチャーが持ってきた上着に目をやった凛少年がしばらく黙り込む。
何か不手際でもあっただろうか?とアーチャーが眉を寄せたそのとき、
「なんか……メイドみたいだよね、アーチャーって」
「た、」
たわけ、と言う前に凛少年から「じゃあね、アーチャー」と上着を受け取られ笑顔で手を振られてあっという間に目の前からいなくなられてしまったアーチャーは言葉の続きを失う。
主人と従者。
その点において、凛少年の言った戯言は間違っていなくもない、のだが。
「まったく……うちのマスターにも困ったものだ」
憎めやしない、と苦笑して頬を掻く、結局マスターには甘いサーヴァント、アーチャーなのだった。
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