「紅茶を淹れようか? マスター」
「ええ、ありがとう。いただくわアーチャー」
イリヤスフィール・フォン・アインツベルンの自室にはぬいぐるみと魔導書があふれている。
小さく華奢な少女の二面性を表すかのように。
白いティ・カップに注がれていく薫り高い紅茶の匂いを楽しみながら彼女は、己がサーヴァントを見上げている。サーヴァント―――――彼はだいぶ長身なので、そうするとちょっと首が痛い。頼めばイリヤのすぐ傍まで顔を近づけてくれるが彼女は彼とのこうした自然の距離感が好きだった。
なるべくは無理をさせたくなかった。なぜだろう?サーヴァントなんて、命令だけを実行するプログラムに近い存在のはずなのに。
「砂糖はいくつ必要かな」
「ひとつでいいわ。ミルクはいらないの」
イリヤのサーヴァントはそんなこと知っている。イリヤのことはなんだって知っているのだ、そう、なんだって。
そのことも含めてイリヤもサーヴァントのことはほとんど知っていたけれど、どうしてかわからないことがある。
「アーチャー」
「なにかな、マスター」
「そうじゃなくって。いつもみたいに呼んで」
イリヤ、って。
ただのサーヴァント相手なのにどうして愛称で呼ぶことを許してしまうんだろう。いや、許すどころか、イリヤは自分からそれを望んでしまう。マスター、でもなくイリヤスフィール、でもなく、イリヤ、と呼んでほしいと。
「マスター」
彼は困ったような顔をする。少しだけ。その顔がイリヤは嫌いで、好きだ。
「アーチャー」
わざと命令じみて繰り返す。にっこりと笑顔を付け足すことも忘れない。わたしはマスター。あなたは?
「…………」
「ねえ、アーチャー」
「…………」
「わたしのこと、きらいなの?」
命令じみた上に子供じみてみた。そうするともう彼は陥落する一歩手前だ。ちょろいの、とイリヤはふざけてみる。本当は本気のくせに。イリヤ、って呼んでほしい、それだけのくせに。
ふざける余裕なんて、ほんとは。
「……イリヤ」
果たして、忠実なサーヴァントは陥落した。イリヤ。低く平坦だけれど優しい声でそう呼んでくれた。何故だかそう呼ばれると胸の奥がほんわりと温かくなる。嬉しいとひとことで言いきれないこの気持ち。こころ、というのが難しいものだと知ったのはこのサーヴァントと出会ってからのような気がする。
「よくできました」
またにっこりと笑う。今度は心からの笑顔だ。
「アーチャー、わたし思うわ。あなたなんて可愛いのかしら」
「……マスター。そのような戯れは口にするべきでは」
「戯れじゃないわ、本心よ。わたし嘘なんて吐かない。アーチャー、あなたにはね」
それ以上言うと彼は何も言えなくなってしまう。ふふんだ、ざまあみろ。
ちょっと品のない言葉で彼を笑って、だけどいじめるつもりじゃなくて。でも仕方ないじゃない?彼ったら、可愛いんだもの。
どうしてこんなに執着してしまうのかイリヤにはわからない。サーヴァントは駒。聖杯戦争が終わったら消えてしまう駒なのに、変なの。
イリヤは手を伸ばす。すると彼は自分から顔を近づけてくれる。褐色の肌に自分の白い肌は目立つな、と思いながら彼女は彼の頬を己のてのひらで包み込んだ。
ひんやりとして冷たいけれど、不快じゃない。サーヴァントは死者だからなんて、そんな理由じゃない冷たさが彼にはあった。
「アーチャー」
イリヤは静かに告げる。
自分を見つめる鋼色の瞳をじっと見つめて名前を呼んで。
剣だわ。まるで。
イリヤはいつも思っていることを思う。そうだ、このサーヴァントは剣の英霊だ。この前に見せてもらった、手品みたいに出てきた剣。錬金術みたいだけど全然違う。だからイリヤには自分のサーヴァントが何をしているかはわからない。
けれどいいのだ、そんなことは。
アーチャーはイリヤスフィール・フォン・アインツベルンのサーヴァント。
その真実が。それだけがあれば、いいのだった。
イリヤは笑う。ちょっと居心地の悪そうな、でも嫌じゃなさそうな彼の顔を見て。
そうしてイリヤが本格的にくすくす笑いだすと、彼の顔はもっと複雑になる。ああ、可愛い。
「アーチャー、好きよ。だからわたしの傍にいてね」
ずっととは言わないから、いられるだけは傍にいて。
これって運命っていうのね、とイリヤは困った顔のサーヴァントを見て、晴れ晴れしくそう思った。
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