「アーチャー……」
「お、おまえ……」
ゴゴゴゴゴ。
「女だったのかー!?」
だったのかー、だったのかー、だったのかー。
――――。某なんだってー、に近いニュアンスの叫びを赤い少女と青い男は発した。絶妙なユニゾンのそれは深夜の校舎の空気をびりりと震わせながら伝播して広がっていく。というか、さすがに誰かというか用務員さん辺りが来るんじゃね?
さて、その叫びを発させることとなった原因だが。
「…………ッ」
とある高校の校庭、そこには三人分の人影がある。ひとりは、黒く豊かな髪をふたつに結い上げた凛とした制服姿の少女。もうひとりは長く伸ばした髪を後ろでひとつにくくった精悍な男。
そしてもうひとりは。
「…………ッ!」
彼ら彼女らの中間位置、涙目で隠しきれない胸元を隠している銀色の髪に褐色の肌の少女。
それぞれ名を遠坂凛、ランサー、アーチャーという。
時間を少し遡ろう。
場所は冬木市、私立穂群原学園屋上。
コンクリートに刻まれた結界の基点を削除しようとした凛とアーチャーに、ひとりの男が声をかけた。そう、それがランサーだ。
ランサーは言った、「もったいねえなあ」と。そして挑んできたのだ、戦いを。
ランサー、アーチャーは敵同士。出会えば言葉を交わすことなくそれがわかる。
戦い、それだけがふたりの間にあるもの。諍い、それだけがふたりの間で起こること。すなわちどちらかが命を落とすまで。
戦うのが当然であり必然だ。
実力を以って決する雌雄であり、それならば――――。
「……アーチャー。あなたの力、ここで見せてちょうだい」
凛は校庭に場所を移すと、己のサーヴァント……しもべである……アーチャーにそう告げた。
「了解した」
言うが早いか、アーチャーの両手に輝きが満ちやがてそれは剣と形を成す。双剣を握ったアーチャーは地を蹴ると、既に紅き魔槍を顕現させていたランサーに向けて大きく振りかぶり、斬り払った。
そして戦いが始まったのだ。
……の、だ、が。
星降り、月照る夜。校庭には微妙な雰囲気が漂い、つい先程まで響いていた剣戟と張った空気はもうどっか遠くに行ってしまっていた。女だったのかー、たのかー、のかー、かー。そんなエコーが耳に痛いのに誰も言葉を発しないせいで沈黙が肩に重く、なにこれ何の拷問?ついでに瞳は一点に釘付けだしね!なんて苦しまぎれに言ってみても場の雰囲気は和まないのだった。
さてさて。
おんなだったのかー。
彼女――――アーチャーを挟み呆然としている凛とランサーは高低強弱ぴったりそろえてそう発した。発して、彼女のとある一点を凝視している。
胸だ。
片手ではとてもおさまらないような。
胸だ。
両手でも持ちこたえられるかどうか。
胸だ。
いっそ腕を持ってくるか?
胸だ。
ええい。
ボインなのだ、巨乳なのだ、うしちちなのだ!
「…………アーチャー、あんた」
女だったの?
凛が半信半疑ですといった顔で問うが、アーチャーは顔を真っ赤にして破れた胸元をクロスした二の腕で覆って下を向いている。
「坊主……いや、嬢ちゃん……なのか?」
ランサーが言っても駄目。
というか余計に駄目だろう。
だって、
「青タイツ……あんた、責任取りなさいよ!」
「青タイツ!?」
だってランサーが原因なのであるからして。
時をまた少し遡ろう。
ランサーとアーチャーはふたり、校庭で戦っていた。ぶつかりあう双剣と魔槍。赤と青の火花、凛はその様を見て息を呑む。思わず喉が渇き、胸はどきどきと高揚していた。
サーヴァント、文献でしか見たことのない存在。かつて凛の父であった遠坂時臣が参加していた“聖杯”を懸け争う聖杯戦争に参加するマスターの手足となり戦う過去の英雄の姿を、凛はその夜、はじめて見た。
(これが……サーヴァント同士の戦い……!)
凛の召喚したサーヴァントは凛よりは背が高いものの小柄な体躯で、赤い奇妙な装束を纏った少年だった。
まだ記憶に欠損はあるが、と言ったが戦い及び調査には何の問題もないということで凛は彼を伴いまずは己の学び舎に足を向けることにした。
さてさてさて。
“少年”という表記に気づかれただろうか?
そう。少年といえば一般的にはオトコノコ、である。おとこ。男だ。性別上男、♂だ。
「だってそうだと思ったんだもの!」
明らかに焦った口調で誰にともなく叫ぶ凛。額には汗が浮いている。打って変わってランサーも同じく、だが言葉はなく、しかしすごい速さでこくこくこくとうなずいている。
「だって、だって、口調もボーイッシュだったし、髪もショートだし、いやね? わたしもちょっと思ったわよ? まだ“少年”だから顔立ちも声もなんか女の子みたいかなー、なんて。でも!」
だからって総合的に見て女の子だなんて思えなかったのよ!
凛はやはり誰にともなく叫んだ。
そう。
アーチャーは、最初“男”だと凛、ランサー双方に思われていたのだった。
――――剣と槍が幾度かぶつかり、アーチャーの手から剣が弾かれる。そこからはスローモーションでランサーがにやりと口角を上げ、槍を突きだし、一方アーチャーは回避行動を取ろうと身を捩り――――。
結果。
槍の切っ先は、アーチャーの胸元を掠めたのだ。
「…………!」
アーチャーは叫んで&うなずいている凛とランサーにはかまわずに、ただただ真っ赤になって胸元を隠している。赤い布は大きく裂け、そこからこぼれたサラシと乳。
大きい。
あ、いや、裂け目ではない。乳の話だ。
今は乳の話をしているのだ。
アーチャーのバストはそのどちらかといったら小柄……少年にしては……な体躯にしては過剰に大きすぎた。それを無理矢理にサラシで押さえつけていたのか、もう大変なことになっている。
あーすっきりした!と言いたそうだ。乳が。
まあ、その。
その当のアーチャーは涙目及び真っ赤になっているので、純情可憐と見て取れるからそんな余裕はなかっただろうが。
「……ねえ……その、アーチャー? 大丈夫、きっと大丈夫よ……大丈夫。その、根拠は、ないけど」
「…………ッ」
「……うん、だな、坊……じゃなくて嬢ちゃん、大丈夫だ、ああ大丈夫だ! きっとだいじょうぶ」
「あんたが言うことじゃないでしょこのピッタリタイツ!!」
「ピッタリタイツ!?」
うん。
青くてピッタリしている。
ふー、ふー、と息も荒く言い放った凛はアーチャーの方をちらちら見てはいるが一歩足を踏みだす勇気がないようだった。タイツタイツ言われ凹み気味のランサーも同じく、というか張本人だ。
アーチャーも当然地に根が張ったように動かない、いや動けない。
三すくみではないが三人が三人硬直してしまって。
もしやそのまま朝を迎えるのではないか――――どこかの大きな意思がそう思った、
そのときだった。
タタタッとフェンスのある方から走ってくる誰かの足音。
とっさに凛とランサーは顔をそちらに向ける。向けて、驚愕した表情になった。
「嘘、衛宮くん……!」
「チッ、見られてたか……!」
聖杯戦争に一般人が関わることは許されない。なのに凛とランサーは関わりを許してしまった。
主にアーチャーの胸に釘付けになってたせいで。
「駄目よ! 逃げなさい!」
凛が鋭く声を放つ、だが衛宮少年の足は止まらない。やがてざざっ、と土煙を立てて凛とランサーの間に入る。
真剣な、まるでひとふりの剣のようなその琥珀色の瞳が光って――――。
「え……?」
ファサァ、と脱ぎたてほやほやの制服の上着を衛宮少年は、アーチャーの、肩にかけた。
「俺にはよく今の状況がわからないけど……だけど、女の子がこんなことになってちゃ駄目だと思う」
トスッ。
「えっ、なに? 今の間の抜けた音なに?」
「…………嬢ちゃん。今のはな…………」
心臓が貰い受けられた音だ。
…………。
「ええええー……」
ないわー、という表情で一気に体の力を抜く凛。いやオレもないわーと思うけどな?と同じく脱力しながら、ランサー。
だってなんだかだってだってなんだもん。
乙女の恋愛回路は理由なんてなしに動くものなのである。
肩にかけられた上着にそっと細い指を這わせ、己の傍にいる衛宮少年を見つめるアーチャー。
その顔は赤かったが、また、恥じらいとは別の意味で赤かったという。
back.