「アーチャー。……起きてる?」
とんとんとノックの音に続いて、ドアの向こうから声がした。もしかして、豪華なドアに遮られて届かなかったかもしれないか細い声。
けれど自分が彼女の――――小さな姉の――――声を聞き逃すことはない。たとえどんなことがあろうともだ。
「ああ。起きてるよ」
言葉だけでは足りないと思い、ドアの傍まで歩み寄っていき、向こう側にいる彼女にぶつからないようにゆっくりと大きく開いた。
さて、そこにはパジャマ姿の小さな姉の姿があって。
「こんな夜遅くにどうしたのかな?」
「あのね、」
ええっとね。
小さな姉はらしくなく幾分かはにかんで、パジャマの上着の裾を握る。ええっと、ね。
「今夜はアーチャーと一緒に寝ようと思って来たの」
「私と?」
「そうよ」
えへへ、とはにかむ彼女の姿は愛らしく、思わずその姿に目を細めてしまう。無条件に愛しいと取れるその姿。
「夜ひとりじゃアーチャーが寂しいかなって思って。そしたらわたしはお姉ちゃんだから、一緒にいてあげないと駄目でしょ?」
「私のために来てくれたと?」
「うん」
微笑む彼女に、一瞬目を奪われた。なんて可憐に笑うのだろう。今日一緒に歩いた中庭に咲いていた花のようだ――――思って、彼女と目線を合わせるためにしゃがみ込む。
「アーチャー、いつもひとりでしょ。だけどそれって寂しいことだわ。だからね、今夜はわたしが添い寝してあげる!」
「イリヤ……」
「姉さん、でしょう?」
「……姉さん」
はい、よくできました。
なんて風にふざけてみせて彼女は笑う。そんな彼女をいつまでも廊下に立たせていてはいけないと気づき、すぐに寝室へと招き入れた。
彼女はお邪魔しまーす、だなんて言って駆けるように室内へと入ってきた。
「アーチャー」
「うん?」
「手。出してちょうだい」

疑問符を浮かべながらも手を出せば、その上に白く細い指先が乗せられて。
「やっぱり冷たいわ。早くベッドに入りましょう、このままじゃあなた凍えちゃう」
……小さな、姉の。
手はほのかに温かく、触れていると胸のどこかがひどく苦しくなるほどせつなくなった。
「さ、早く。わたしも実は寒くて仕方ないの」
彼女に急かされて、そそくさとふたりベッドに潜り込む。アインツベルン城のベッドはふたり収容してもまだ余りがあるほど大きかった。小さな姉は矮躯であるが、自分は平均をはるかに上回る体躯である。それで差し引きプラスマイナスゼロと言えた。
「うふふ」
不意に。
胸元で遊ばせていた手をぎゅっと握られて、わずかばかり瞠目する。羽根枕に小さな頭を預けた姉はいたずらなまなざしでこちらをじっと見つめてくる。
彼女の嫌う猫に似ているな、と思い、それを口にしたら彼女はどんなにか嫌がるだろう、とそっと苦笑した。
「? どうしたの、アーチャー」
「いいや、なんでもない。それより姉さん」
「なあに?」
「私……オレが姉さんと呼んでいるのだから、姉さんも私をアーチャーと呼ばずシロウと呼ぶべきだろう?」
彼女は。
赤い宝石のような瞳を丸く丸く丸く――――見開いて、……え?と戸惑いの言葉をその桃色の唇から発した。
「え、……いいの? アーチャ……じゃなくて、えっと、シロウ」
「いいんだ」
いつもは嫌がるのに、自分から言いだすなんてと思っているのだろう。けれど時にはそう呼ばれてみたくなるときもある。
ほんの気まぐれだが、“姉”に対する“弟”の態度なら、それは許されるはずだった。
「シロウ……シロウ。うん、シロウ、シロウ」
何度か繰り返し、馴染ませるようにつぶやいてから、小さな姉はにっこりと笑ってみせた。
「シロウはいい子だね」
お姉ちゃんは嬉しいな。
小さな姉がそう言ってくれると、自分も嬉しかった。胸の奥にあった痛みに似た何かがほんのりと温かいぬくもりに変わる。
「姉さん」
「ん? どうしたの、シロウ」
「腕枕。しようか」
小さな姉は唐突な提案に目をぱちくりとさせて。
「うん――――」
やがて満面の笑みを浮かべてこくこくと何度もうなずくと、こちらの左手に絡めてきていた右手の指にぎゅっと力を込めた。そのまま、胸元に頭を擦りつけるようにしてくる。
「してっ!」


すうすうと寝息が部屋に満ちていく。
大きな弟の腕に頭を置いてまぶたを閉じた小さな姉は、その端正な顔に眠りによって訪れる安らぎを浮かべていた。
そしてまた、大きな弟も。
朝が来るまではまだ遠い。
ふたりはしばらく、同じ夢の中を共に歩くことだろう。
それは昼間に手をつないで歩いた、庭園散歩にも似た幸福感。


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