いつかは邪魔が入ったから、今度こそシロウとふたりっきりでざぶーんデートがしたいの!


突然そう言いだしたイリヤに、家事をしていた手を止めてアーチャーは彼女の方を見やった。何だねいきなり、言いかけた言葉は案外に真剣なイリヤの表情で押し止められる。ぐ、と思わず息を呑んだアーチャーに、イリヤは身をぐうん、と乗りだして。
「ねえ、デートしましょうシロウ。セラとリズにはわたしから話をつけておくから、だから、ね?」
「……イリヤスフィール、どうしたというのだ? “衛宮士郎”とデートがしたいのなら直接本人に……」
「もう! わかってるくせにシロウのいじわる!」
「うわっ」
体を、全体重を預ける勢いで胸元に飛び込んできたイリヤを、アーチャーは畳んでいた洗濯物を放りだすことで何とか受け止めた。畳に転がってしまうという醜態はさらさずに済んだが、胸は高鳴っていて。
隙間なく密着しているという今の状態からでは、その胸の高鳴りがイリヤにバレてしまいそうだとアーチャーは何気なく危惧した。
「シロウ、わたしと一緒にざぶーんに行きましょう? 水着も用意してあるのよ、シロウに似合いそうなのを!」
「プ、プールなど……私の行くところでは」
「セイバーやリンたちのときには行ってたんでしょう?」
何故だかランサーと一緒にね、つぶやく言葉にぎくりとアーチャーの体が強張る。しかし後ろめたいことなど何もない。
ただ、イリヤの凄みのある視線に慄いただけで。
「それは……事実だが」
「ほら! 行ってるんじゃない、プール! それでどうしてわたしと一緒には行けないの? わたしと行くのはいや?」
「嫌だなんて、」
そんなことがあるわけがない。
そう返せば、それじゃあどうして、と話はループしてしまう。
アーチャーはため息をついて、渋々といった風に答えた。
「ふたりっきりというのは、その」
「うん」
「その、緊張、するだろう?」
「わたしはシロウとふたりっきりだと、嬉しくなってワクワクするわ」
シロウは違うの?
再びイリヤの猛攻撃。ねえシロウ?どうなのシロウ?違うのシロウ?答えてシロウ。
その“口撃”にシロウであるところのアーチャーはますます進退窮まって、畳の上をずりずりと移動する。けれど腹の上にイリヤが乗っかっているせいで、そんなことをしても何の意味もないのだったが。
「シロウは」
そこまでわたしとふたりっきりがいやなの?
「……そんな、」
はずがない。
ただ、緊張して何か失態を演じてしまわないか不安なだけで、イリヤとどこかへ出かけること自体は素直に嬉しい。
そうアーチャーが訴えると、イリヤは目を丸くしてから、まばたきを二・三度して。
「それならいいじゃない」
嬉しいんでしょう?
「だから、それを素直に受け入れられないのが私だと……」
言って、いるんだよ。
「シロウってヘン。嬉しいことを素直に受け入れられないだなんて、お姉ちゃんあなたをそんな風に育てた覚えはありません」
「育てられた覚えもないのだが――――」
「もう! つべこべ言ってないで、お姉ちゃんの言うこと聞きなさい!」
アーチャーの腹の上でぴょんと跳ね、イリヤは頬を膨らませた。上目遣いでじっとねめつける、なんて様を見せられればイリヤ大好きのアーチャーだ。とてもじゃないが、勝てやしない。
「わかった! わかったから……」
せめて、支度する時間をくれないか。
両手を上げてホールドアップ。降参の姿勢を取ったアーチャーを、イリヤはその赤い瞳で見つめて。
「わーい! シロウとデート! シロウとデート!」
「…………!」
首っ玉にかじりついてきたイリヤの重みと動揺に耐えかねて、今度こそアーチャーはイリヤごと畳に転がったのだった。


ざざーん、ざざーん。
「ほらシロウ、こっちこっちー!」
ロッカールームから走りだしたイリヤは、先に着替えて外で待っていたアーチャーの手を握って細波が寄せては返す波のプールへと飛び込んでいった。
「こら、あんまり慌てると危ないぞ……!」
「平気よ、わたし大人だもの! 転んだりだとか、そんなこと絶対しないんだから!」
ぱしゃぱしゃとその細い足首で波を分け入ってイリヤはアーチャーの手を引く。ピンク色の水着は人工の日光に照らされ目に鮮烈に映り、アーチャーをどことなくドキドキさせた。
「シロウは泳げる? わたし泳ぎが上手いのよ、もしよかったら教えてあげるわ」
「いや、残念だが私は泳げるよ。人並み程度にはね」
「なあんだ。……でも、それはそれでいいかな」
にっこり、イリヤは太陽のように微笑んで。
「シロウに泳ぎを教えてあげるのも楽しそうだけど、やっぱり一緒に泳げる方がいいものね」
イリヤから貰い受けた新品の水着がどこか浮いているように思え、アーチャーはきょろきょろと自分の姿を見回す。ざぶざぶと波をかき分け、イリヤは不思議そうに首をかしげた。
「どうしたのシロウ? 別にあなた、どこもおかしくないわよ?」
「いや、水着……というものを久々に身につけたものだから、少々違和感があってね」
「わたしの選んだ水着がシロウに似合わないわけないのに」
変なの。
あっけらかんとそう言い放って、波のプール中ほどまで来たイリヤは浮力にぷかりと体を浮かせた。
「さあ、わたしと勝負しましょうシロウ。あの沖までふたり一緒に泳ぐの。先に着いた方が負けた方に何でも言うこと聞かせられるのよ」
「何? ちょっと待ってくれ、それは――――」
「レディー……」
ゴー!
言ってイリヤはとぷんと水の中に潜る。そしてそのまま滑らかなクロール泳法で泳ぎ始めた。
「待っ……」
アーチャーの叫びは一歩届かない。彼は慌てて先を行く姉を追い、同じくクロール泳法で泳ぎ始めたのだった。


「ふふん、わたしの勝ちね。連戦連勝だわ」
それから数回。
繰り返された姉弟内での“勝負”は、意外にもイリヤの全戦全勝で決着がついた。
「さて、一体何をお願いしようかしら。美味しいケーキでも焼いてもらおうかな、それとも新都へのデート権を手に入れちゃおうかな。シロウったらなかなかわたしとデートしてくれないんだもの。こういう機会でもないと、約束を取り付けられないのよね」
「商店街などには一緒に行っているだろう……?」
「あれはデートではありません。ちなみに公園も含まないわよ」
本当か。
アーチャーにとっては、頻繁に行われる姉弟間の秘密のイベント的なものだったのだが。
「はあ、それにしても疲れちゃった。ちょっと休憩しましょ」
ぷかり、と。
波間に浮くイリヤの周りで、ちゃぷちゃぷと水がたゆたっている。
調整された水温は妙に体に馴染んで心地よく、アーチャーはそんな彼女を見ながらふと、とあることを思った。
「イリ……姉さん」
「うん? 何、シロウ?」
「姉さんは、まるで人魚みたいだ」
「えっ」
それまで波とたわむれていたイリヤは、アーチャーのその言葉にぱっと顔を上げる。驚いたその顔がやけに可愛らしくて、アーチャーはつい相好を崩してしまった。
「きれいだよ」
姉さん。
「…………っ」
つい。
つい、口からするりと出た言葉。
それが随分と恥ずかしい台詞だと気づいたのは、頬を赤く染めたイリヤが抱きついてきてからだった。
そしてふたりは波間に沈む。
ぱしゃぱしゃと水音を立てながら、姉弟は慌て、やがて我に返り、そしてふたりで大声で笑いあった。
わたしったら、はしたない。
なんてことを照れくさそうにイリヤが言って、でもそんな姉さんも可愛いと思う、とアーチャーがまたもや爆弾発言をし、再びふたりは波間に沈むのだった。


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