第五次聖杯戦争に参加するマスターであるイリヤスフィール・フォン・アインツベルンは窓の外を見ていた。
幼く細い膝の上に重ための魔道書を置いて、白銀の長い髪を背に流し。
彼女のサーヴァントである“彼”が手入れしている庭を、花がまだ咲かぬ庭を見て、ただし意識は半々に割って、
「ねえアーチャー、あなたが育ててくれている花はいつ咲くのかしら」
「そうだな、もう少しは待ってもらわないといけないだろう。何しろ植物の世話には手間と時間がかかる」
問いかけられた彼はそう答えた。だがしかしイリヤはそんなことは知っている。種をぽんと撒いて水をかけただけで花が咲けば話は早い、けれどそんなことは有り得るはずがない。
いつか読んで聞かされた「みどりのゆび」に出てきた少年ならばもしかして可能かもしれないが。
「ふうん。そういったことはあなたの得意だと思ったのだけど。アーチャー、あなた家事が得意でしょう? 家事にだって手間と時間はかかるわよね?」
「……得意不得意で言えば不得意ではないが、かといってだな、マスター……」
「イリヤ」
でしょう、と窓の外に視線を投げたまま。すると息を呑む気配がして、しばらく彼は逡巡しているようだった。
「……イリヤ」
「はい」
よくできました、と膝に置かれた褐色の手の上に重ねた手に力を込める。まったく、このサーヴァントと来たらちょっと目を離せば己の立場を見失う。さんざんイリヤが「マスター」ではなく「イリヤ」と呼べと言っても隙さえあらばこうだ。
椅子に座った彼の膝の上にちょこなんと座ったイリヤは、内心ため息をついて薄く曇った空を見上げる。
彼の瞳の色に似たグレイの雲。イリヤは生まれてからあまり青空というものを見たことがなく、たとえ見たとしても窓越しだとかで、直には見たことがあまりない。だから大海原や花畑などといった数々と同じく、イリヤの中で青空は、いつか彼と一緒に見てみたい風景のひとつになっている。
いつか行こう、青空の下へ。そのときは白いワンピースを新しくあつらえて行こうと思う。そしてきっと言ってもらうのだ。「似合っているよ、イリヤ」と彼に。
言わなければどうなるか身をもってわからせるつもりではあるけども。
スパルタ教育も時には大事よね、とイリヤは嘯いて、今日も寒いわねと背後に語りかける。
「ああ。今日の夜も冷え込むだろうな……夕飯は体が芯から温まるものにしよう」
「本当? だったらシチューがいいわ、具沢山の!」
「そうか、ならばホワイトシチューにするかな」
「楽しみね」
イリヤはにこにこと笑って首だけで背後に振り返った。すると想像以上に穏やかに笑う彼の顔とぶつかって、思わず目をぱちくりとまばたきさせてしまう。
「――――? イリヤ?」
「、 ううん。なんでもない」
なんて顔で笑うんだろう。
何度も見てきた顔だけど、いつも見るたびに思う。なんて顔で、このサーヴァントは笑うんだろうって。
その笑顔を見るたび、イリヤの胸はほんわりとなると同時にきゅっと小さく締めつけられるように痛んだ。なんて、
なんて幸せそうな顔で笑うの?
こんなにちょっとしたことだけで、こんなにわたしが些細なことに嬉しがってみせただけで。
それだけで、どうしてあなたはそんなに幸せそうな顔で笑うのと。
聞いてみたくても、イリヤはどうしても己のサーヴァントには聞けなかった。
たとえば、イリヤがちょっとだけ紅茶の味をいつもより余計に褒めたりだとか、イリヤがちょっとだけ体調が良さそうにしたりだとか、イリヤが思わずこぼした笑顔を見たりだとか、そんな、そんなことだけで彼は今みたいに幸せそうに笑う。
もしどうしてと聞いてみても知らない、と彼は言うのかもしれない。
不器用な彼だから本当に知らないのかもしれないし、知られるのを恥ずかしがって隠しているのかもしれない。
でもイリヤはそれについてたずねたことがないから、真相など知らない。


どうして?


何にも臆せず彼には迫っていけるイリヤだったけれど、それだけは未だに聞けたことがない、のだ。
「アーチャー、」
イリヤは彼の名前を呼んでにっこりと笑う。そして不安定な体勢のままその体に抱きついた。
「! マスター……」
それにイリヤ、でしょうといつものように言い返して、イリヤは自分よりずっとずっと大きな体にぎゅうぎゅうとしがみついた。まるでそうでもしなければ彼がどこかに行ってしまうかのように。
「アーチャー、わたし寒いわ。あなたの体で温めて」
「……君が望むなら、そのように」
言って、イリヤを包んでくる体は硬く冷たい。だが、イリヤはまぶたを閉じてその感触に浸った。
剣の繭に包まれてイリヤは眠る。
他の何物にも代えがたい剣の英霊。それを腕に抱いてイリヤは思うのだ。
自分は終わりに泣き叫ぶ愚かな子供ではないけれど。それでもあともう少しくらいは。
このサーヴァントと、共にあらんことをと。


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