「―――――この世界は消滅するの。きっと…………あと一ヶ月も持たないと思う」
赤い少女は驚くほど静かにそう告げた。パニックはなかった。皆、知っていたのだろう。だからあえて口に出した少女のことを讃えて、何も言わなかったのだ。
それに思ったのだ。
それだけこの醜くも美しい世界が存在するのならば充分だと。


夕焼けの中、なんとなく喉が渇いた。オレンジジュースに似ていたからだろうか?
ふ、と自分の子供のような考えに苦笑する。
小銭をポケットで弄びながら無数に立ち並ぶ自販機に歩み寄っていくと、その中のひとつの前に彼が立っていた。
「……衛宮士郎か」
「なんだ、おまえか」
どうしてこんなところに?と聞かれそうで横を向く。この男に子供のようだと言われるのが一番頭にくる。
そういうわけで二人とも口をきかない。先月までは無数に空を飛んでいたカラスの姿もない。
早くいなくならないかな。
そう思ってこっそりとコンクリートのかけらを蹴っていると、がらんがらん、と鈍い音がふたつした。
ふたつ?
「ほら」
「あ……」
投げられるでもなく、押しつけられるでもなく。
さらりと差しだされたそれを、とっさに素直に受けとった。
それは、自分が昔も今も好きだったジュース。
「あ、えっと、い、いくらだ?」
「いらん」
「え?」
「私の奢りだ」
え?
驕り?
わざとらしく間違えた変換をしてみせるが、それでも鼓動は落ち着かない。冷たく汗をかいたレトロなジュースの缶は手の中で生ぬるく温度を変えていく。
オレンジジュース色の夕焼けを背負った未来の自分の姿。白い髪にオレンジ色が照り返して、染みこんでそのままとろけていきそうで、生唾を飲む。
意味もなく口を動かす。
笑顔。
皮肉ながらも優しい。
それに促されたようにプルトップを開けてジュースを一気にあおった。心臓の音だけが耳元でどくどくとうるさい。
カラスの鳴き声はもうしない。
永遠に。


アパートのそこかしこで歓声がする。隠れる者、走る者、逃げだす者、追いかける者。それぞれが自分の肉体だけを使って年齢も立場も関係なく遊んでいる。階段に潜んだ金髪の少女は長い髪の少女とくすくす笑いあっている。桜、見つからないように。そうですね、セイバーさん。
甘やかな少女たちの声と、男たちの歓声。階段を駆け上る騒がしい音がますます少女たちの笑い声を高くさせる。
二人はそっと見つめ合って、互いの唇に指を当てた。
微笑み合う。
「つかまえたっ」
「きゃっ」
「凛!」
背後からいっぺんに抱きしめられた少女たちは驚いたが、そのあとにあかいあくまに頬ずりをされて笑い崩れてしまう。やわらかな肌と甘い甘い香り。ねえさん、と長い髪の少女は笑って片目をつぶり、金髪の少女は耐え切れずに大きな声で笑い始めた。
その笑い声が聞こえたのか聞こえないのか、青い英霊の歓声が遠くから響いてきた。
重なるように英雄王が拗ねる声。少女より長い髪の美女はどこかに隠れているのだろうか。
屋上からそれを眺める侍は、何を考えているのかよくわからない笑みを浮かべて鉄柵に顎を乗せていた。


神父が「遊ぶのもいいが生きる方法を見つけろ」などと言っているが誰も聞かない。


「終わっちまうんだな」
青い英霊、槍兵はブランコに腰かけてつぶやく。
隣のブランコに腰かけた赤い英霊、弓兵は黙ったままでいる。だがその眉間にいつもの皺はなく、表情も安らかだ。
槍兵は少し黙り、ブランコに腰かけたままで弓兵の座ったそれの鎖を引き寄せる。絡み合って、がしゃがしゃと鳴る錆びた鉄、古い血の匂い。
少しかたむいた頭を抱えて白い髪を指と唇で愛撫しながら槍兵はささやいた。
「おまえ、よかったとか思ってねえか」
「なにがだ」
「世界が終わってよかった―――――とかだよ」
「ああ」
喉の奥で猫がまどろむように笑う。抱かれたままでそっと首を左右に振った。そうではない、と低い声に槍兵は安心したようにそうか、とだけ答えた。
しばらく沈黙が落ちる。槍兵はくちづけと愛撫を髪に何度も繰り返している。最初は表情がなかった弓兵もだんだんとくすぐったそうに首をすくめだして、なにかが溢れるように目を細める。
なにかとても愛しいものが。
溢れていってしまうけれどその分、いや、それ以上補充されていくからかまわない。
「なあ」
「うん?」
「一緒にいような」
「…………」
「最後までとは言わねえから、できるだけ、一緒に」
今みたいに。
弓兵はわずかに目を丸くする。
そして笑った。
とても嬉しそうに笑った。嬉しそうに、嬉しそうに、嬉しそうに笑ったのだ。
「ああ、できるだけ、な」
槍兵はふ、と息を吐いて微笑んで、その顎をとらえて「な」の形に薄く開いた唇にくちづけた。
夕焼けがそんな二人の上にオレンジジュース色の光を投げかける。


もう、朝日は昇らない。


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