「傷付いた?」
ぞわり、と。
ひどく虚ろで空っぽな、あの彼が発したとは思えない声が臓腑を撫で上げた。
“アーチャー”
そう言って明るく笑って。どこか頼りなくふわふわと見えて、これは自分が守ってやらなければと思っていた少年。けれど彼は強くなった。
かつての自分を上回ると認めさせるほど。
敵を倒して苦しみも悲しみも清濁も合わせて飲み込み、生きる喜びを得て。
アーチャー。
一緒にいてくれてよかった。
だから俺はここまでと。
言ってくれた彼が何故こんな暗い底知れぬ目で自分を見ているのだろう。
「そうだよな、痛いよな、ごめんな、傷付けたよな。でもお互い様だから」
今。
彼は、何と。
「マス、ター」
「俺は確かにアーチャーを忘れてた。だけどさアーチャー。アーチャーも俺を忘れてた。否定した。知らないって。誰だって。ぼろぼろの俺を知らない奴を見る目で見たんだ」
それは、それは、
「それは……っ」
「解決した」
そのはずだ。
彼はため息をついた。短く一度。暗い瞳が隠されて刹那ほっとする。
だけど。
「そう思ってた?」
「ひ、っ……」
竦んだ。
声が、喉から絞り出された。
ゆるりと開いた瞳はまるで風穴。ひゅうひゅうと高い音を立てて吹いて、この体を縛り付ける。
「あの場はね。そんな振りしたよ。ああ思い出してくれたって感動した。でも戻ってひとりになった時ふと考えたんだ。一度でもさアーチャー。おまえは、俺を忘れてたんだなって」
許されない。
許されない罪だったとは思う。
消えかけてまで自分の記憶を取り戻してくれようとした彼に一度でも投げ掛けた心ない言葉を今でも覚えている。
「だからさアーチャー」
彼は言った。
「俺、おまえ許さないことにした」
ひどく簡潔に。
いつもは饒舌なほど語る彼が。
ただそれだけを。
「え、……?」
「だからさ、許さないことにした。これっていけないこと? 俺が悪いの?」
傍目から見れば身勝手だ。子供の我が儘。駄々。癇癪。
忘れられて傷付いた。一度は許した。でも改めて考えてみれば許せない。ならば許さないことにしよう。
そんなの。
通らない、と言えるけど。
「ねえ、俺が悪いの?」
一度でも防衛本能のためとは言えこのかけがえのない彼を忘れた自分に、一体何が言えただろう。
何も言えない自分に彼は言う。重ねて言う。
「抵抗してもいいよ。何なら殺してもいい。俺は無力だから簡単でしょ?」
「馬鹿なことを……っ」
「俺、本気だよ」
殺せるわけがない。
こんなにも。
こんなにもこんなにもこんなにも愛しい彼をどうやって。ああ、早く伝えないと。そうしないと、そうしないと間に合わない!
焦る自分を彼は見下ろして、
「簡単だよ。あの時みたいにすればいい。忘れちゃえばいいんだ」
間に合うことは。
なかった。
「俺を殺してよアーチャー。殺戮してよ。そしたら許せる。笑ってさよなら出来るから」
優しい声だったらよかったのに。
やっぱり。
やっぱりやっぱりやっぱりやっぱり常に彼は落ち着いて。
ひとりで。
決めてしまっていた。
これまで。
そしてこれからを。
ふたりで決めていくはずだったのに、彼は、彼は、彼は!
「さあ」
冷めた目で。
自分の。
オレ、の、てを、つかんで、


「やって」


自らの、首に絡ませた。


「マスター……ッ……」
「何? こんなこともひとりで出来ない? 最期まで俺に手伝わせるの?」
くたびれた声で彼はオレに言う。オレはほとんど泣きそうになって、というかもうみっともなく泣いてしまっていて、彼の首にかけた手をぶるぶる震わせてどうにか剥がそうとしてだけど出来なくて、そっと上から添えられた手の温度に馬鹿みたいに的外れに安心して、
「しょうがないな。手伝ったげる」
さいごだよ、と微笑んだ彼にどうしようもなく後の祭りで泣き笑いを返していた。



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