「ひどいよね」
姉さん。
「ひどいよね、ずるいよね、シロウは」
小さくて、白くて長い髪で、赤い瞳の、オレの姉さん。
ずっと前にオレが。
オレが した。
「イリヤのこと、すっかり忘れて新しい友達と楽しそうに遊んで。どうして? 昔はあんなに楽しく遊んだじゃない。秘密のお部屋で、ふたりっきりで。なのにどうして忘れちゃったの?」
カタカタと震える。
それは(怒りに)姉さん?
それとも(恐怖に)オレ?
姉さんはずいずいと迫ってくる。やめて。怖いんだ。
あんなに大好きだったはずの姉さんが。


今は、限りなく、怖い。


「シロウ」
「だって仕方なかったんだ!」
何が?
「そうしなきゃ、そうしなきゃ、――――は」
誰は?
誰が?
オレは振り絞るような声で、叫んだ。
「姉さんは死んでる……!」
姉さんは能面のような顔になって。
それから、華のように微笑んだ。
「ええ、そうよシロウ。あなたが殺したの」
まっ逆さまに。
落ちた。
階段の底は暗くて何も見えない。
「だけどねシロウ、姉さんはシロウのことを恨んだりはしてないわ。だって大事な弟だもの。大好きよ、シロウ。だからわたしのすぐ傍に来て」
「い……やだ」
「シロウ」
姉さんは言った。永遠に刻を止めた、甘く甲高い声で。
「夜の国で遊びましょう。永遠に、永遠に、永遠に。もう逃がしたりなんかしない。ずっとふたりっきりで、わたしたちは過ごすの」
「嫌だよ――――嫌だよ、姉さん」
「どうして?」
姉さんの赤い瞳がぎらりと光った。思わず引きつった声が喉の奥から漏れる。
「シロウはわたしが好きでしょう? 殺したいくらい。だからわたしは死んだの。そう、シロウ、あなたのために」
「…………っ」
助けて。
誰か助けて。姉さんが死んじゃうよ。オレのせいで。
姉さんが死んじゃう。
血がいっぱい流れて。ねえ誰か助けてよ。姉さんが、姉さんが――――!
「だれ、か、」
誰も来てくれるわけがない。だってここは姉さんのテリトリー。彼女が言うなら夜の国。
「愛してるわ、大好きよシロウ。さあ、姉さんの傍にいらっしゃい。優しく優しく、抱いてあげるから……」
耳を塞ごうとする。だけど出来ない。体が動かないんだ。
姉さん。姉さん。これはオレへの罰?姉さんを してしまったオレへの?
「ごめんなさい」
言葉が口を割って出る。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、」
でも、わざとじゃなかった!
「怯えないで、シロウ」
いつの間にか間近に迫っていた姉の声に喉が鳴る。


「ずっと。ずうっと一緒にいましょう」


その言葉と共に視界が真っ暗になって、「ひ」と詰まった声を上げてしまう。
“姉さん”だ。
震えながら何度目かの「ごめんなさい」を繰り返そうとしたその時。


「大丈夫だ」
「え……?」
知らない。知らない声。
オレよりずっと大人の男の人の声。それで気付いた。
オレの目を覆っていたのは、その男の人の手だったことに。
「大丈夫だ。おまえは悪い夢を見てたんだよ」
「ゆ、め?」
「悪魔は倒した。本物の姉ちゃんを、おまえは目を覚ましたら取り戻せるから安心しろ」
「あく……ま……?」
それに、本物の姉さんって?
この手の主は誰だろう。
暗くて何もわからないけど……大きくて、温かい。
姉さんの手とは全然違う。
「おら、寝ちまいな。そしたら嫌でも現実がおまえを迎えてくれる。……エミヤ」
エミヤシロウ、と声の主はささやいて。
背中に、腕に、体中に感じる温かさを感じて、オレは全てから解放されていく気がしていた。


「アフターケアもばっちり、か。あんた、あいつを甘やかしすぎじゃないの?」
「いいんだよ。だって、あいつはオレのもんなんだから」
扇情的なライダースーツを着込んだパートナーはその言葉に返すものを失った。ぱちぱちと瞬きをしてから、ふ、と笑む。


「とても毎回“捕まえる”を選んでた奴の言葉だとは思えないわね」
「っ……仕方ねえだろ!? あれは捕まえるって!」
気の抜けた会話。それを交わしながら、彼ら彼女らは異界の一室から消えていった。


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