hello.
くい、と少年の白い手に顎をとらえられて私は眉をよせた。暗い部屋はまるで海の底のようだ。蝋燭の光だけがゆらめいている。さて、ここはどこだろう。少年は甘めの端正な顔立ちを何故だかいやらしく歪めて、私をなぶった。エミヤ。そう、私の真名を呼んで。
「衛宮、あのときはよくも簡単に僕を置いていったな。―――――今度は逃がさないぞ」
逃がさない?私を?私が逃げるとでも?
細い指先が口の中へと入ってきた。舌をひっぱる。子供のようだと思い、これは子供だ、と気づく。そうだ、これは子供だ。まだまだ、未熟な子供。
過去の自分自身と同じ制服を着た、この少年は。
「…………は、なにが正義の味方だ。おまえはいつも僕を笑わせてくれる、衛宮」
少年はなにかを思い返すように宙を見て、それから私を見た。笑う。口端だけを吊り上げた、それは呪いのようだった。

シ ン ジ

ふと、そんな名前がよぎった。

「……今日からおまえは僕の奴隷だ。いいな。返事をしろ」
ぐい、と舌を引かれて、絨毯に唾液が落ちる。苦痛の表情を浮かべて、私は返事をした。
過去に、自分が生み出してしまったゆがみに。
「了解した……地獄に落ちろ、マスター……!」


if.hollow?
「……今日からおまえは僕の奴隷だ。いいな。返事をしろ」
「了解した、地獄に落ちろマスター。ところでその破れた股間はファッションか」
「流せよ! ほんとおまえは空気読めないよな!」
「そうか、素で破れていたのか。なら脱ぐといい。縫ってやろう」
私は少年があまりに不憫になって手を差しだした。すると彼の細い体はわななきだし、む、と眉間に皺を寄せる暇もなくドゥビドゥヴァー、と奇妙な音と共に盛大に涙を彼は溢れさせた。
「やさしい……衛宮、おまえやっぱりやさしいよ! お母さんみたいだよ!」
口を手で押さえて嗚咽を堪える少年から、私はズボンを受け取った。なるほど、ここまで穴が空いていたとは。……さぞかし……だったのだろう。
「そうか。貴様は気持ち悪いな。相変わらずな」
磨耗した身でも思い出せる。なんという強烈な記憶だろう。私は無表情で針と糸を動かしながら、小さな声でぽつりとつぶやいた。


please.
「兄さん……お弁当……」
おどおどと少女が少年に小さな桜色の布包みを手渡そうとする。が、少年は鼻を鳴らしてそれをしりぞけた。
「は? いらないよ。僕には……これがある」
その手には少女が持っているのと同じような布包み。ただ、少し大きさが違うのと、包んである布の色が真っ赤なだけだ。少女はそれを見て驚愕にまなこを見開く。まさか、とつぶやいて。
「は……! え、まさか、これは……先輩の!? いえ、そんなはずはありません! まさか!」
「そのまさかさ。ふ、桜。おまえは知らないだろうが僕には……フン。フフン。フフフフン。教えてあげないよー」
笑み崩れて腕組みをする少年。垂れた目がさらに垂れた。にやりとやにさがる表情。幸せいっぱい夢いっぱい。そんな少年はじゃあ先に行くからな、と言い放ちスキップをしながら通学路へと向かう。少女は懸命にその後ろ姿に手を伸ばしながら叫んだ。決して答えが返ってはこないことを知っていても。
「兄さん! 待って! にいさあああん!」
@令呪一回(毎日弁当を作れ)


good by.
「マスター……そろそろ私は行かなくてはならないようだ」
そう告げると、少年は目を見開いた。背後で教会が燃えている。ごうごう、ごうごうと。その火勢と煙に負けることなく激しく私の腕を掴んだ少年は、一気に言い募った。どもりながらも、噛みながらも、その口は懸命に動いていた。
「どうしてだよ! なんでだよ!? 僕らは勝ち抜いたじゃないか! 敵のサーヴァントもマスターもみんなみんな倒して、僕らが聖杯を手に入れたんじゃないか! なのに―――――なのにどうして!」
そうだ。私たちは勝った。聖杯戦争を見事勝ち抜き、聖杯を手に入れたのだ。だがしかし、それは邪悪。
それをこの少年に使わせてはならないと私は思った。ああ、その前に……言っておかねばならないことがある。
「済まない。私はもともと世界のものなのだよ」
少年は目を見開いた。腕を掴む手に力がこもる。正直、少し痛かった。
「そんなの関係ないね! 衛宮、許さないぞ! 僕を置いていくなんて誰が許すか! の、残ってるんだからな、令呪、そう、令呪、だ! こうなればおまえの意識を奪ってただの人形にしたって―――――」
ああ、それだけは。それだけは、■■■。

「やめてくれ、慎二」

「え、みや」

微笑んだ私に、少年は呆然としたように手を離した。足元に転がるいびつな聖杯。それを胸に抱き、私は少年に向かって立つ。さよならだ。
「君は未熟だったが、良いマスターだった。……地獄で待っているよ」
最後にそう言い捨てて、私は彼の前から消え去った。えみや。聞く者の心を揺さぶるほどの慟哭が、かすかに座へと帰る私を追いかけてきた。
だが、彼の手は永遠に届かない。過去も、未来も、そして今も。
届かないのだ。


back.