Illyasviel 
「アーチャー」
「ん?」
足元で、子猫のような声がした。
昼食の野菜炒め(中華風)を作っていたアーチャーは手を止めぬまま、下に視線を落とす。するとそこには小さな姉。
「どうしたんだ、イリヤスフィ……姉さん」
「えへへ」
よかった。シロウ!と言われる前に自分で言い直すことが出来た。その結果か小さな姉はこぼれるように、嬉しそうに笑ってくいくいとその白い手でアーチャーが纏う服の裾を引いてくる。
「あのね、アーチャー。その服って、スペアはないの?」
「どういうことかな」
「そのままのこと!」
ちょっとだけ姉の機嫌が悪くなる。このまま放っておけば人形に魂を移し変えられかねないため、アーチャーは火の元を止めると、姉の目線まで腰を屈めてやって聞く。一体どういうことなのだと。
「スペアはもちろんあるさ。これは概念武装などではなく、ただ人の身が纏う衣服なのだから」
「じゃあ! じゃあ、それ、わたしに一式貸してちょうだい!」
「何?」
アーチャーは首を捻る。どういうことだろう?考えてもわからない。
姉はにこにこと笑っている。仕方がないので完璧に調理を中断して、アーチャーは姉の手を引いて自分の部屋へと向かうことにした。


「ここがアーチャーの部屋なのね。……殺風景だわ。何もないのね」
「机と本棚があるだろう」
「椅子もぬいぐるみもないじゃない。花瓶すらないわ」
「椅子や花瓶はともかく、ぬいぐるみは……」
「わたしのをひとつあげましょうか?」
「気持ちだけ受け取っておくよ」
「むう」
むくれてしまった小さな姉の機嫌を回復するために、アーチャーは素早く彼女の願いを聞いてやることにする。押入れにある衣装棚の中から、黒いシャツとスラックスの一式を取り出した。
「これでいいのかな?」
「うん。それでいいの!」
はい、とまるで渡してちょうだい?というように姉は手を出してくる。なので、アーチャーはその小さな両手に綺麗に畳んだ服の一式を乗せた。
「…………」
「…………」
「……もう、アーチャー!」
「え?」
突然、いや、再度か。
姉にむくれられてしまって戸惑うアーチャーに、出口を指して小さな姉は言った。


「これからレディが着替えるのよ。男性は出ていって!」


着替える。着替える……。
頭の中でその言葉がぐるぐると回る。だが具体的な答えとなっては出てこない。ただぐるぐると回遊を続けている。
だって、その。あの小さな姉に、あの服は。
「アーチャー!」
うーんとアーチャーが考え込んでいたとき、襖の向こうから声がした。これは、呼んでいるということだろうか。
そろそろと静かに静かに襖を開けていった、アーチャーが見たものは。
「じゃじゃーん!」
「…………は?」
「どう? どう? 似合う似合う?」
「いや、その。どう言ったら……何て言ったらいいのか……」
わかる。こういうときのベストアンサーは“似合うよ”だ。けれどぽかんとある種、魂を抜かれてしまったアーチャーはそのベストアンサーを小さな姉に向けて返すことが出来なかった。結果姉は三度目のむくれ顔を披露し、もう、シロウったら!と、その禁じられた名を呼んだ。
「シロウったらやっぱり女心ってものがわかっていないのね。いーい、これはね、“彼シャツ”っていうのよ」
「か……れ、しゃ……つ……?」
駄目だ、頭の中がオールひらがなだ。
小さな姉はアーチャーのシャツだけを着て、むんと胸を張っている。だが考えてほしい。アーチャーと小さな姉の体格差を。
もちろん裾は引きずり、腕はまくりにまくっても足りない。胸元は際どく覗けそうときている。
「“彼シャツ”っていうのはね、女の子が好きな男の子のシャツを着ることなんだって! 昨日見たドラマで言ってたわ!」
「好きな……男の子?」
「あ、でも勘違いしちゃ駄目よシロウ。わたしがあなたを好きだっていうのはあくまでも親愛。家族愛なのよ。わたしはあなたを好きで好きで仕方ないけれど、誰にも渡したくないって思うけど、それでもリンやサクラたちが抱くような異性愛じゃないんだからね」
「はあ……」
そう言われましても。
「それにしても、“彼シャツ”があるのなら、“彼女ドレス”があってもいいと思わない? ……ねぇ、シロウ」
顎に指先を当て、んーと考えていた小さな姉が、やがてニタリと微笑む。彼女は言った。


「ねぇ、シロウ。これからわたしのお城に来る気はない?」


その後、その気もないのにアインツベルン城に連れ去られ、危うく“彼女ドレス”の憂き目に遭いそうになったアーチャーだった。


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