おまえ相変わらず器用だな、と背後から声がする。パックに入った苺をひとつぶ取り上げて当然のように口に入れようとするから、手の甲をぴしゃりと叩いてやった。
「意地汚いぞ」
「……なんだよ、こんなにたくさんあるんだからいいじゃねえかよ、ひとつくらい」
「ちゃんと配分を考えて買ってあるのだよ」
だから、勝手に手を出してもらっては困る。
他の果物と一緒にクリームのあいだに挟む分、クリームの上に飾る分。数を考えて、きちんと。
してあるのだ。だから、困る。勝手に手を出されては。
ちえ、と舌打ちをしたランサーを呼ぶ。なんだよと振り返ったその口に、傷んだ部分を半分ほど削いだ苺を入れてやった。
そうして笑う。
「さすがにここまで傷んでしまってはなんだからな。始末してしまってくれ」
それでも苺は大粒だ。
もご、とランサーは頬をふくらませると、ころころ口の中で半欠けの苺を転がして。
にっ、と笑った。
「このオレを始末係に使うとは、度胸があるなアーチャー?」


軽い足音が廊下を駆けてくる。そのまま居間を通りすぎて、
「やっほー!」
「……っと」
どん、と背中に体当たりされて少し驚く。けれど彼女の体重は軽かったので、大した被害は出なかった。
「メリークリスマス。ご機嫌いかがかしら、アーチャー?」
「メリークリスマス、イリヤスフィール。君こそ機嫌はいかがかね」
「最高だわ。だってこんなすてきなケーキが用意されてるんだもの!」
ぎゅうぎゅうとしがみついてくるイリヤに苦笑して、はしたないぞイリヤ、とたしなめるように口にした。イリヤはあら、ごめんなさい、と淑女のように詫びて、しかし最後に一度ぎゅう、としがみついてから離れる。
軽くステップを踏むように後ろに下がって、スカートの裾をつまんで一礼。そこまではよかったのだが、ぺろりと赤い舌を出したことでだいなしになってしまった。
「イリヤスフィール」
「いいじゃない。わたしは“いつも優雅たれ”なんて信条を掲げてるリンとは違うのよ。だってわたしは存在しているだけで優雅なんだもの?」
「あら、それは聞き捨てならないわねイリヤ」
あかいあくまが あらわれた!
しろいあくまは わらっている!
遠坂凛は当然のようにパックから苺をひとつぶつまむと、ぽいと口の中に入れた。素早い。止める間もない。
最速の英霊より速いとは何事だ。
しかし彼女相手に怒る気にもなれずに、まあいいかと淡々とクリームを絞りだしていると遠坂凛がその手元を覗きこんできた。
―――――へえ、と彼女は言う。
「あんた、やっぱり器用なのね」
「お褒めに預かり光栄だよ、マスター」
「あら、真面目に誉めてるのよ? ……それにしてもずいぶんと大きなケーキね。テーブルからはみだすんじゃないの?」
「大人数だからな……それに」
「ああ……セイバーね」
「セイバー対策だとしたら甘いんじゃないかしら。だってこれ、彼女ひとりぶんじゃないんでしょう?」
イリヤが髪をかき上げて言う。しん、とその場の空気が凍った。
しばらくしてからそれは解凍され、……ああ、うん、とどちらからともなくつぶやく。
「他にも用意するしな。きっと大丈夫だろう」
「ええ、そうね。藤村先生も山ほどチキンを買ってきてくれるって言ってたし」
「チキン? ここでは焼かないの?」
「藤村先生にはチキンにはちょっとこだわりがあるんですって」
ふーん、と残念そうに言うイリヤ。
「アーチャーのチキン、食べてみたかったわ」
その頭を撫でながら、目を細める。
「いつかふるまわせてもらうさ。約束しよう、イリヤ」
イリヤは目を丸く見開くと、次の瞬間華のように笑って。
どん、と勢いよく抱きついてきた。
「ええ、約束よ! アーチャー!」


のれんをかき分けて入ってきた衛宮士郎は、一瞬複雑そうな顔をした。けれど場所を移動する気はないのか、足を進める。
「なんだ小僧。何しにきた? 凛やイリヤスフィールの相手でもしていればいいだろうに」
「そういうわけにもいかないんだよ。そのふたりからリクエストを受けたんだ」
彼女ら曰く―――――“士郎(シロウ)の作ったケーキが食べたいわ”ということだそうで。
エプロンをつけながら眉を寄せている衛宮士郎を見て、思う。遊ばれているな。
自分も、衛宮士郎もだ。
「それで?」
「え?」
「何を作るんだ」
「え……ああ、ブッシュドノエルでも作ろうかと思う。やっぱりクリスマスだしな」
材料残ってるか?と聞かれ、その気安さに少し戸惑った。しかしすぐに意識を立て直して、
「自分で冷蔵庫を見てみろ。料理をする身だ、見ればわかるだろう?」
「む」
口をへの字に曲げると、言い返してくるかと思った衛宮士郎は時間があまりないことに気づいたのか慌ただしく冷蔵庫へと向かう。拍子抜けしたようにその後ろ姿を見ていたが、そんなものを見ていても何の得にもならない。
ため息をついて最後の仕上げを始める。
没頭して―――――どれくらい時間が経っただろう。ふう、とため息をついて完璧に仕上がったケーキの全体図を見るために後ろへ下がると、何かにどん、とぶつかった。
「うわっ!?」
サーヴァント特有の反射神経で振り返ったとたん、顔にべったりとなにかが付着した。
やたらと甘い匂いを放つそれは、衛宮士郎の手の中のボウルに入っているクリーム。
「ただいまー士郎、チキン買ってきたわよー……って、あらー。アーチャーさんったらきれいにお化粧されちゃって」
顔色と同じそれ、ファンデーション?とあくまで冗談でもなさそうな口調で言ったのは手にビニール袋を大量に提げた藤村大河だった。彼女の方からは香ばしい、焼けた肉の匂いが漂ってくる。
「士郎、アーチャーさんの顔、拭いてあげなさい」
「なんでさ!」
「だってわたし手ふさがってるもの。それに士郎が汚したんでしょ? アーチャーさんの顔」
「へ、変な言い方するなよ藤ねえ……」
「え? わたし何か変なこと言った?」
「い、いい、自分で出来る……!」
そう言ってキッチンペーパーを手に取ろうとすると、ムキになったように衛宮士郎が詰め寄ってくる。
「なんだよ、俺に顔拭かれるのがそんなに嫌か!」
「は!? 何だ貴様、何を……」
「拭いてやる、こうなったら拭いてやる、ほらこっち向けよアーチャー! 隅から隅まできれいにしてやるから!」
「変な言い方をするな!」
そこに、厄介な男がやってきた。
「なんだ、騒がしいな……ってよお、虎の姉ちゃん」
「お、こんにちはー!」
「相変わらず元気がいいなあ。で、この騒動はあんたのせい……じゃねえのか」
「士郎とアーチャーさんのせいかな。ふたりとも、喧嘩するほど仲がいいっていうからねえ」
「「誰が!」」
……不覚にも、衛宮士郎と声がそろってしまった。本当に不覚だ。
ランサーはきょとんとした顔でこちらを覗きこむと、ぎょっとしたような顔をしてそれから大声で笑いだす。
「なんだおまえ、その顔!」
鏡は見ていないがそんなに滑稽なのだろうか……。
落ちこんでいると、ランサーは中へと入ってくる。そうすると決して広くはない台所はにわかに密度を帯びた。ぎゅうぎゅう、だ。
いつのまにか布巾を手にしていた衛宮士郎を押しのけて、ランサーはこちらに寄ってくる。
顎に手をかけられた。
「ランサー!?」
「もったいねえ。舐めとっちまえこんなもん」
「ランサー、ちょ、なに考えて……! 藤ねえの前で!」
「あら、ランサーさんとアーチャーさんって仲がいいのねー。士郎とアーチャーさんとおんなじ」
けたけたと屈託なく笑う藤村大河。ちょっとは気にするものではないのだろうか、いや、それが彼女、藤村大河だ。仲良きことは美しきかな、だなんてうなずいている。
ランサーは本気のようで、顎から手を離さない。逃げようとしたが後ろには完成したケーキがある。もしぶつかったりなどしたら。
「ランサー、こら、やめろよ! ランサー! 本気で怒るぞ!」
「ほう? 坊主もこいつの顔をそんなに舐めたいってのか? けど駄目だぜ、こんな美味そうなもんを前にしてわざわざ譲るなんて真似はオレには出来ねえからな」
「な―――――!」
顔を真っ赤にする衛宮士郎。きっとこの顔も真っ赤になっているのだろう。くそ、と歯噛みする。
「ランサー……!」
力ではかなわない。そもそも藤村大河がいる以上、物騒な真似にも出れない。このまま屈辱的な状況に押し流されるしか―――――ないのか?
そう思っていたころだ。
「あまい。いい、匂いする」
ひょこりと彼女が顔を出した。日本家屋には不似合いなメイド姿。どこかうつろな瞳はじっとこちらを見ている。
そして。
「―――――な」
「―――――あ」
「―――――あらら」
ぺろり、ぺろり。
桃色の舌を出して顔を舐めていく彼女の名は―――――彼女の名は―――――なんと言っただろうか……。
「うん。おいしい。ごちそうさまでした」
「お……おそまつさまでした……」
ぺこりと頭を下げる彼女に向かって、居間から声が飛んでくる。イリヤのものだ。
「リズ! なにしてるの!」
そうだ。彼女の名は、リーゼリット。イリヤ付きのメイドだ。
リーゼリットは「うん、イリヤ。すぐ行く」とおおよそメイドらしくない言葉遣いでそう返してから台所を出ようとする。
「…………」
だが、足を止めて振り返り、こちらをじっと見つめて。
「あなたも……食べてみたら、おいしい? 今度、ひとくち。かじらせて」
爆弾発言を落としていくと、さっさと台所を出ていった。
「…………」
「…………」
「…………」
三種三様の沈黙。
しばらくしてから、藤村大河が頬に右手を当ててつぶやいた。
「やっぱり、外人さんってどこか違うのねー」
「そういう問題か!?」
そのあまりにものほほんとした感想に、衛宮士郎が絶叫した。


夜になるのはすぐだった。メリークリスマス、だなんて歓声が沸き起こった後、クラッカーのけたたましい音が響き渡る。火薬の臭い。
ケーキと共に作っておいた様々な料理と、藤村大河がこだわって買ってきたチキンとを並べると食卓は溢れんばかりにいっぱいになった。
それでも大人数で手をつけるとなくなるのはすぐだ。特にセイバーと藤村大河がいるから、タイミングを見計らって冷蔵庫にも備蓄してある料理を出してこないといけない。
「シロウ、アーチャー。あなた方の料理はやはりとても美味だ。わたしは幸せです」
「大げさだなセイバーは。あ、なにか取るか?」
「はい。では、そこの唐揚げを」
「アーチャー。わたしサラダが食べたいわ。取ってくれるかしら」
「あら、わたしが先よリン。アーチャー、マリネを取ってちょうだい」
「……凛。イリヤスフィール。順番だ。淑女が醜く争うものではないぞ」
本当ににぎやかだ。
にぎやかで、にぎやかで。
意味もなく笑いがこぼれてしまいそうになる。みっともない。
「ところでイリヤちゃん、今年はサンタさんになんてお願いしたの? 人形? それともぬいぐるみ?」
「やだ、タイガったら。まだそんなもの信じてるの?」
「ええ! イリヤちゃんは信じてないの!? オーマイゴッド……子供たちの夢が潰えていくわ……」
サンタさんは子供に信じられなくなったら消えてしまうのよ!と叫ぶ藤村大河に、間桐桜が控えめに言う。
「あの、藤村先生? それって妖精のお話じゃ……」
「サンタさんだってある意味妖精でしょ! だからイリヤちゃん、信じてあげなくちゃ駄目! わたしからのお願い!」
「もう、しょうがないわねタイガは…………そうね、それならわたし、人形が欲しいわ。シロウと、アーチャーにそっくりの人形が」
今、なにか聞き捨てならないことを聞いたような気がするが気のせいだろう、ああ、気のせいだとも。
んふふん、と赤い唇に指先を当てて微笑んだイリヤから無意識に視線を逸らす。と、衛宮士郎と視線が合った。
何故だかふたり見つめあってしまい、ほう、とため息を漏らす。
「よーし、今日は無礼講よー! ……と言っても子供たちはノンアルコールのシャンパンだけどね! 飲みねえ飲みねえ!」
「えーずるーい! わたしだって立派なレディなんだからー!」
「なに言ってるの! イリヤちゃんは一番お子様でしょう! はい、シャンメリーどうぞ」
「タイガのばかー!」
「イリヤ、大声出す、よくない。セラに怒られる」
「リーゼリット、ですからあなたはお嬢さまをそのように……」
喧騒から少し離れて、用意されたグラスに口をつける。喉を滑り落ちていく感覚は、素直に心地よい。だが後片づけもあることだし、ほどほどにしないといけない。
「ねえ、アーチャー」
遠坂凛がグラスを手に、膝で畳を擦って近寄ってくる。にぎやかな喧騒の中、小声で。
「なんだね、凛」
「聞きたいことがあるの。正直に答えて? いいわね?」
「……あらたまって。いいだろう、何でも聞きたまえ」
「あなた、幸せ?」
遠坂凛は。
その名のとおり、凛、とした表情でこちらを見つめてくる。
喧騒の中、彼女のまわりだけがぽっかりと浮いたようになっている。彼女は真剣だった。遠坂凛という少女は、ひどく。
ならば―――――。


「ああ、幸せだよ」


答えると、彼女は何度かまばたきをした。それから微笑むと、よし、と満足そうにうなずいた。
「それならいいのよ」
そうして、何事もなかったかのように喧騒の中へ戻っていった。
「あ、士郎、わたしワインが欲しいわ。注いでくれる?」
「子供は駄目だって藤ねえに言われたばっかりだろ! あ、こら、遠坂!」
グラスをかたむける。中の黄金色の発泡酒に歪んだ己の顔が映る。
ずいぶんと―――――ゆるんだ、顔をしているものだ。
「なに笑ってんだ、おまえ」
肩を抱かれてグラスの中味が揺れる。映っていた顔は崩れて、見えなくなった。
「さて、そんな顔をしていたかな?」
「なに言ってやがる。いつもの仏頂面が嘘みてえにうれしそうな顔しやがってよ」
―――――妬けるぜ、とつぶやいた彼は。


「アーチャー! 士郎がわたしの言うこと聞かないのよ! どうにかしてちょうだい!」
「な……っ、なんでそこでアーチャーを出してくるんだよ!」
ぎゃあぎゃあと騒がしい、少年少女たちの声を聞いて。
目をぱちくりとさせて、苦笑すると手にしたグラスを奪い取って肩に手をかけ、喧騒の中へと。
「行ってこい」
静かに、押しだしたのだった。



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