Illyasviel,Shiroh
いかにも甘そうなそれを、ふたりのエミヤシロウはそろって見下ろした。色鮮やかにもほどがある。そして見た目の甘ったるさにも。
もう見ているだけで胸焼けがしそうだ。舌が甘さで爛れそうだ、いや爛れ落ちそうだ。とろとろと、ゆるく広がるクリームのように。
そんな甘さに負けないほど甘く可憐に微笑んで、イリヤは小さく首をかしげている。
「どう? 美味しそうでしょう。ラ・フルールの限定ケーキなんだから。一周年限定で朝から並んでも買えるかどうかなのよ?」
「……並んだのか? イリヤ」
「ううん。セラとリズが並んだわ」
「……あのメイド服姿で、か」
「? ええ、そうよ」
シロウもアーチャーも変な顔、と言われてふたりは顔を見合わせた。
確かに変な顔だ。
だけれど一緒に並んでいた列の面子のほうがもっと変な顔をしていただろう。早朝からあのメイド服姿。前後は特に最悪だ。
前は背後からひしひしと何かを感じ、後ろは視線をどこへやっていいのかわからない。露骨に逸らすのもなんだし、かといって凝視するのも。
「……アーチャー、今日は助かった」
「……おまえに言われるのも気味が悪いが。気分はよくわかる」
美味しいケーキには美味しい紅茶を、と当然のごとくメイドがついてくるところをアーチャーが懸命に死守したのだった。
セラの前で手際よく紅茶を煎れてみせ「まあ、この腕前でしたら」と、渋々アインツベルン城へ帰したのだ。ちなみにリズはと言えば、無言で親指を力強く突きだしてきた。……いい仕事、とワンテンポ遅れてそう添えて。
「それにしてもイリヤ、セラはさ。なんで俺には厳しいのにアーチャーにはそうでもないのかな」
「ええ? わからないのシロウ。確かにシロウもアーチャーもふたりとも“シロウ”よ。だけどシロウはお兄ちゃんで、アーチャーは弟だから」
「そこ、何を言っている!?」
「ああ、だからか」
「だからか、ではない衛宮士郎!」
「だってなんていうか……そうだろ?」
「オレを馬鹿にするな!」
「はいはい」
真顔の士郎に激昂するアーチャー。そんなエミヤシロウたちのあいだに平然と割って入る姉であり妹であるイリヤスフィール・フォン・アインツベルン。小さい手で軽々互いを押しのけてしまう。
「ふたりとも喧嘩しないの。ティータイムに騒ぐなんてはしたない。マナーくらい守れるでしょう? お兄ちゃんはわたしより、ずっと大きいんだから。アーチャーもね」
体だけは、とつぶやいて目を見開いたアーチャーにイリヤはぺろっといたずらに舌を出して笑う。
「さ、じゃれあいっこはこれくらいにしてお茶にしましょ! せっかくの美味しいお茶、冷めちゃったらもったいないわ」
いただきまーすとカップを両手で包むイリヤ。当然にアインツベルンの高価な代物だ。メイドたちも、物だけはと置いていったのである。士郎もカップを手にする。結局最後になったのはアーチャーだった。
「意外と平気なもんだな……」
フォークを口にくわえ、士郎がもごもごとつぶやく。大量のフルーツとクリームで飾られた、ほとんどがクリームじみた暴力的な甘さに見えたケーキは食べてみればそう珍味でもなく、むしろ上品であっさりしている。
「そりゃあ一周年記念のケーキだもの。でも、それとは別にアーチャーの紅茶が一緒だからっていうのもあると思うわ」
「イリヤスフィール」
あきらめたようにため息混じりにつぶやくアーチャーに、士郎が。
「なるほど」
イリヤがうなずく。実に誇らしげに。可愛らしく胸まで張っている。士郎へどう反応しようか演算していたアーチャーはその様子を見てあきらめてしまった。小さな姉のこんな姿を目にしてしまってそれを不機嫌になど出来るものか。
ふたりとも人形にしちゃうんだから!だとか言われるのが問題なわけではない。“エミヤシロウ”の不和をイリヤは嫌い、悲しむ。
ひとりの大事な肉親が悲しむ。それは、擦り切れたアーチャーとて。
遠く、ここではない場所に置いてきてしまったこのイリヤスフィールではないイリヤスフィールを、
「アーチャー」
そっと何かが口元に触れた。
視界に飛びこんできた微笑みに、アーチャーは言葉を失う。穏やかに細められた赤い瞳。ほころんだくちびる。
「考えながら食べちゃ駄目じゃない。ついてるわよ」
ハンカチでアーチャーの口元を何度も軽く拭ってイリヤはしょうがないなあ、ところころ笑う。
「リンに見られたら笑われちゃうんだから。サクラはなんて言うかな。セイバーは食いついてきちゃうかも?」
「あ、」
「美味しいもの食べてるときは余計なこと考えてちゃ駄目なんだから。楽しいことしてるときは楽しいって思えばいいの。他のこと考えてるなんてもったいないよ、ねぇシロウ?」
“わたしたち、シロウに教えてもらったでしょ、シロウ?”
ハンカチが離れていく間際に小指が触れて、思念を残していく。
「楽しい時間はきっと、あっという間に過ぎちゃうよ」
だからめいいっぱい楽しまなくちゃ損、な、のっ!
どこかせつなくささやいてから叫ぶと、打って変わったように無邪気に笑ってイリヤはアーチャーに向かってダイブする。
面影に縛られていたアーチャーはとっさに反応できず、な、とだけ声を上げ、
「―――――ちょ!?」
視界いっぱいに白い影、その端に慌てて立ち上がる士郎の姿をとらえて、畳に転がった。
「あはははは! アーチャー、簡単に転がっちゃうなんて、駄目じゃないサーヴァントなのに!」
「姉、……イ、リヤ、」
「なにやってるんだよふたりとも、危ないだろ!」
胸元に子猫のようになついて笑うイリヤのぬくもりと感触に呆然としながら、アーチャーは士郎の声を聞く。ひっくり返った皿にはまだ、ケーキが残っていてべったりとクリームが。
そのせいか周囲にはやわらかく甘い香りが漂う。
カップは倒れなかったようだ。紅茶とクリーム、どちらが被害が大きいかといえば圧倒的に紅茶だ。濡れるし染みになる、よかっ、た?
「まったく、口元どころじゃなくて腕にも顔にもついてるぞ! アーチャー!」
クリーム!と叫ばれて触れようとすれば、胸元から見上げてくる赤い瞳。
小さな体をさらに縮めて丸まったイリヤはその赤さを自在に変える。くるくる回る、万華鏡のごときそれを見てアーチャーは呆然とし、そして。
「……なら、始末すればよかろう。衛宮士郎」
口端を吊り上げてまくり上げていた腕を士郎へ差しだしていた。
赤い瞳が笑み、琥珀色の瞳が丸くなる。
―――――よくできました。
「は!?」
クリームの乗った褐色の腕を差しだされて士郎はなんでさ、とお決まりの文句。
「生憎と私はイリヤスフィールが乗っているため動けん。ならばおまえが始末するしかあるまい」
「そうよ。アーチャーはいまわたしのベッドをしてるの。それともクッションかしら? どっちでもいいけど。だから駄目」
「そら見たことか。下手にイリヤスフィールに暴れられれば被害が拡大しよう。それは望むところではないだろう?」
「そうよね、シロウは問題事が嫌いだもの。後片づけとかそういうのは好きだけれどね」
白い髪の姉弟に次々言葉を投げつけられて、今度は衛宮士郎が呆然とするばかりだ。アーチャーはそれを見て笑む。
イリヤのように。イリヤが、言ったように。
「衛宮士郎」
「シロウ?」
低い声と高い声が、唱和した。
畳に横たわったアーチャーの上で足を軽く揺らすイリヤ。
衛宮士郎はそれを見て。
むっと唇を尖らせるとアーチャーの腕を取り、すい、といなし、体を、顔を寄せ。
「……これで満足かよ?」
目を丸くするふたりに向けて、アーチャーの頬を舐めた舌をべえと突きだして笑ってみせた。
その笑顔は例えるならどこかの悪魔、じみていたという。
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