Lancer
「は?」
思わず聞き返す。赤い瞳がきらめいて同じ言葉がもう一度繰り返された。
「一周年なんだよ。オレたちが……ってから、ちょうど」
ランサーは基本的に口を大きく開けてはっきりと喋る。なので発する声が、言葉が聞こえない、聞き取りにくいということはないのだが一部分に妙な雑音が入った。
「ランサー、」
「ワンスモア?」
「いや、だからな、」
目を閉じて顎を引いてうなずく。揺れるピアス。やけにスローモーションな動作に焦る。だから、と伸ばした指先五本はだけど間に合わない。何の役にも立たずに宙に浮く。
「オレたちが付き合い始めてから、今日で一周年だ」
「…………」
花が萎んでいくかのように手指が内側へ。
だからな。“な”は、“あ”と音を引く。丸くぽかんと閉じられない口は間抜けだっただろう。ランサーは初めは訝しげに。それから、無邪気な子供のまなざしで見上げてきた。
頬杖をついて。
「どうした?」
「あ……ああ、うん……」
「こんなことなんでもねえだろ、おまえなら? オレがなに言ったって平気な顔してるくせに。今日はまたなんで、そんなおかしな反応返してくる。ズレてるしブレてるし明らかにおかしいぞ、本当にどうした?」
「…………」
また黙りこんでしまうと眉根が寄せられた。立ち上がる。空気が動く。
近づいてくるのは気配、それに温度。体温だ。死した存在。息絶えた亡骸が蘇りこの世に生を受けてしたことと言えばだ。
ランサーの動作は大きい。同時に細やかである。ぱっと見、無神経に見えてしまうかもしれないが重ねていけばおのずとわかる。言葉と、付き合いと、それと。
青い髪に白い肌、指先。冷えた印象を与えるカラーリングはしかし触れてみれば知れる。鉄を。鋼を溶かしてしまうくらいには、それは熱を持っている。それを知っている。いやというくらいに、いや、いやではなく、いや、いや―――――。
「アーチャー?」
「、」
おかしな声が出た。
ひ、だとか、い、だとか、引きつった。脳内問答を繰り返している間にあっさりと詰められた距離と触れてきた、額に、てのひら。息を吸いこみ後ずさるとランサーがまばたく。大丈夫か、言いかけてやめ、
「どうした?」
先程と同じ言葉を繰り返した。眉根を寄せて真剣な顔つきで、口を大きく開けてはっきりとよく聞こえるように、だ。
「理由があるなら聞かせろ。無理強いは元来嫌いな性質だがな、そうまで変な様見せられるとさすがにたまらねえ。そうだな、頭に来るのと辛い……辛いのか? まあ、そんな感じに近い気分になる。オレとおまえは付き合ってる。今日でちょうど一年だ。何の因果か知らねえが敵同士として出会ったのに好き合って、こういう仲になった、」
そこでランサーは言葉をいったん切ると、瞳の赤さに凄味を上乗せした。
ルーン魔術に長けているとは言えキャスターのクラスに相当するとはとても言えない。だというのに空気が重さを帯びた。肩にもずしりとした重さ……と思ったところで片方の手が肩を押さえているのに気づく。犬歯が剣呑に。なんてありきたりな表現、けれどもそうだとしか言いようのないくらい剣呑に覗く。
頭に来るのと辛いのと。
それは真逆で、同一。それだから。
「オレはかまわねえよ。元々生きてる頃から日が昇りゃ敵と味方が裏返ってたなんてよくある話だったしな。都合と気分と状況、ああ、ついでに運命ってやつか。くそくらえだとは思うがそいつに導かれなきゃ、おまえに会うこともなかったもんな?」
「……ランサー、」
「……ん?」
「…………、」
「よし、特にねえなら続けるぞ。オレたちゃ当に死んだ身で寄す処がないと簡単に消えちまう。役割は一月も経たずに終わって、はいさようならってはずだったのにまた喚ばれて気がつきゃ一年だ。それはそれなりに特別で、縁がなきゃなりたたねえことだとオレは思うんだがおまえは違うってのか、アーチャー」
聖杯戦争の駒として召喚された身。
役割を終えれば消えるはずだった身はいまだ現世にある。消滅を願い剣を握った手が今、握るのは、握られているのは何かというと。
目前にいる。
ち、と舌打ちをした。頭に来るのと辛いのとが半々ならばこちらは様々な感情と乾いた口内を潤すための行為、他に。
「ランサー」
赤い瞳が次を待つ。もう後はないと言っている。
告げた。
「―――――そう、はっきり口にされると。なんだ、その……意識してしまって。照れ、る」
噛んだ。
赤い瞳がゆるんだ。犬歯に宿る剣呑さが同時にとろけて、「は?」とランサーは先程の己のような声を、それより間の抜けた声を上げた。鈍く噛んだだけの、血も滲まなかった舌を噛みきってしまいたく……それだってこの身では再生してしまうだろう……なりながら再度、
「き、聞いていれば恥ずかしいことをべらべらと。君はやはり、あれだな。伝説通りになんというか……あれだ。けしからん」
「……意味わかんねえんだが」
「わからなくともいい!」
鈍感なのか何なのかわからん!と眉間に皺を寄せて目を閉じ、声を張り上げれば瞠目する気配だけが伝わってくる。
ああもうまったく。一度決壊してしまえばずたぼろだ。
額をすり、とまだ当てられていた手が撫でていって、そのまま肩へスライド。両肩に重みがかかるがやわらかく温かい。包みこんでくる。時折軽く叩いて。
「なんだ。なんていうかその……悪かった、か?」
「思ってもいないことを言うな!」
「落ちつけ、落ちつけって、な? なんだこう、苛々したときには甘いもんがいいんだ、ああ、な?」
そう言いながらランサーはポケットに手を突っこみ、探りだした。
……こちらの。
確かに、ランサーが機嫌の悪いときなどに与えるあれを持っているのは己であるが、だがしかしだ。
片手で肩を抱いたままひとのポケットをごそごそとかき回すのはどうなのか。真剣であるから性質が悪い。
「お、あったあった」
言って取り出したランサーの言葉尻が不明瞭に濁る。び、と何か剥がれる音。
足の甲に落ちてきたのはたぶん、中味を包むフィルム。
「これ喰って落ちつけ。な」
同時にきゅっと唇を割って丸い艶々したものが口内に入ってきた。甘い。酸味がある、いわゆる甘酸っぱい、それは常備しているキャンディだ。
ランサーの好きなイチゴ味の。
大きめなそれはもてあまして口の中で転がる。しばらくもてあます。肩を掴む手が、何故だか肩を揉み始めた。
目を閉じていても感じる視線の行く先は見据え、外され、見据え。
「……やべえな、オレも落ちつかねえと駄目だわ、こりゃ」
などというつぶやきが聞こえたか聞こえないかで、唇を奪われていた。
舌を噛みきっておけばよかったと思った。
絡められて吸われてキャンディを挟んで擦り合わされて、そんなことは噛みきっておけば当分はできなかっただろうから。
丸めた足指がなにかを掴む。感触にやはり落とされたのはフィルムだったのだと思った。
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