Rin tohsaka 
空になったティーカップに二杯目の紅茶を注ぎながらアーチャーは目を閉じ己のマスターにつぶやく。
若き魔術師、遠坂凛は朝の紅茶を二杯飲む。ここ遠坂邸にいるならばどうあろうとそれは変わらない、寝坊して遅刻寸前だとしても凛は紅茶を飲まなければ目が覚めないと言うし、アーチャーは凛が朝食を摂らないことを好まない。
遠坂凛があらゆる意味で遠坂凛であるために、朝二杯の紅茶は必要不可欠なのである。
「……凛。朝食中に行儀が悪いぞ」
優雅たれといった持論はどうした?
言い終えると同時に雫が落ちて波紋を作る。フレンチトーストにポーチド・エッグ、グリーンサラダ、ルビーグレープフルーツ。
アーチャー曰く手抜きの朝食を平らげた凛は二束目の新聞を畳み広告を手にする。艶のある黒髪、魔術師―――――しかも女性であるのなら重要視しないとならないそれがかすかな首の動きにつられて揺れた。
「アーチャー、あなたにはテーブルの上の食器が見えない? “アーチャー”としての自慢の目は一体どうしたの? 必要なら別に眼鏡をあつらえてあげてもいいけど……サーヴァントって視力が落ちるのね、びっくりしたわ」
「へりくつを言うものではない」
「あんたほどじゃないわよ。なに、それとも気づいてなかった?」
「紅茶を飲み終えるまでが朝食中だろう。隙が多くなる飲食中は常よりさらに優雅であるべきではないのかね? マスター」
赤い主従は軽々と言葉を投げあいそれぞれの距離を測る。ここに衛宮士郎辺りを放りこめば一気に空気読めない、などと言われて戸惑うことうけあいだろう。
凛はがさがさと「広告ってどこからどう見ても過剰装飾ね、まあ目を引くために作られたものだから仕方ないけど」なんて言いつつ黄や赤、黒が使われた新聞より光沢のある紙の束を手にしては流し読みし、畳んで脇へ避ける。あとでまとめてラックに放りこむのだ。
その間アーチャーは食器を重ねてテーブルを拭く。調味料の小瓶が詰まった陶器の籠を持ち上げたところで凛が声を上げた。
「へ、え……」
アーチャーは顔をそちらに向ける。するとがさり、とひときわ大きい音を立てて凛が最後の広告を畳むところだった。
「凛? なにかあったのか」
「うん」
それなりにね、と返すと凛はカップに口をつけた。ひとくちを喉を動かし飲んでから、籠を持つアーチャーに向かい当然のように。
「アーチャー。帰ってきたら出かけるから、用意しておいて」
「なに?」
まばたくアーチャーにかまわず凛はカップに口をつける。二杯目は温めなのでくいくいと飲めてしまうのだ。
水を飲むようにくいくい紅茶を喉へ滑らせていく凛にアーチャーは、
「出かけるとはまた、一体どこへ」
現在アーチャーが外に出る必要はないはずだ。むしろ遠坂邸に位置しているのが最善と先日凛と話したばかりだった気がするのだが。
凛とつながりが薄くなっているアーチャーはセイバーほどではないが魔力が不足しがちだ。だから、陣を敷いた場にいて補給する必要がある。すぐさま危機に陥る、消滅するといったことはないにしろ補給の時間を裂いて昼に出かけるのなら夜を待ち、霊体化して闇にまぎれれば。
「駄目よそれじゃ。いーい、ちゃんと支度しておくのよ。あんたがいないと話にならないの」
人じゃないものがまぎれられるような夜じゃ駄目なのよ夜じゃ、
言い終えて最後の紅茶を飲み干した凛は椅子から立った。鞄を手にする。
「わかったわね? わかったわよね、なんてったってあんたはわたしのアーチャーだもの。そこまで理解力が低いなんて思ってないから安心して」
「凛!」
信じてるわ。
にっこり笑うと歩きながらつらつらと喋っていた凛は〆の言葉を口にすると同時に扉を閉めた。
後にはアーチャーひとり。
“遠坂凛”はいつまでたっても突拍子もない。
ひとりごち、ため息をつくとアーチャーは食器を片づけ始めた。

「…………凛」
「なに、意見があるなら言ってよ。あっ、これなんかいいんじゃない?」
これこれ、とガラスケースの中を凛が指さす。しまいには爪先で叩き始め、それでもアーチャーが近寄ってこないのに片眉を上げると、黒い絨毯を靴底で踏みつける。
「ちょっと。これなんかいいんじゃない、ってわたし、言ってるんだけど」
凛がひときわ高い音を立てて示したのは細い印象の銀色のリングだった。
サイズは男物だ。つまり凛はアーチャーにそのリングはどうかとすすめているのだ。
凛に言われたとおりに支度をして帰りを待っていたアーチャーが連れだされたのは新都のビルのワンフロアに入った店舗。
そのジュエリーショップは、ちょうど今日から一週間、一周年記念セールをやっているのだと凛はけろりと言った。
「だから先程から言っているように、私にそのようなものは必要ない」
「必要ないとか必要あるとかあんたが決めるんじゃないの。資金はわたしの財布から出すんだから、あんたはせめて意見くらい言えってのよ」
「だから無理して購入することはないと」
「無理してるって誰が言った? 確かにうちはそんな余裕があるほうじゃないわよ、ただでさえお金かかる家業だしね」
どこか矛盾したことを言いながら、凛はそれでもガラスケースを眺めるのをやめない。
「……凛」
「だから、はもうなしにしましょアーチャー。わかってるんでしょ? わたしは言いだしたらやめないわよ。それがよっぽど馬鹿らしいことじゃなきゃね」
ならば止めにしよう、そうアーチャーは言いたかった。
必要ないと。そもそも自分は、と。
「これは一種のペナルティで、ご褒美で、そのどっちでもないの」
宝石の輝きがアーチャーを見据える。
凛が振り返っていた。ガラスケースに片腕を乗せて、そのまま。視線と言葉に思考を止めたアーチャーへと。
「ほっとくとあんた、馬鹿なことしだすでしょ。ほっとけないけどずっとわたしが見てるわけにもいかない。だからこれは、そのときの代わり。わたしだけじゃない、他のみんなの代わりでもあるのよ」
黒い髪が揺れる。
強い、視線と言葉の力。
「アーチャー、あんたは馬鹿だから。わかってるくせに忘れるから、そのたびにこれを見て思いだせって言ってんの。首輪じゃあかわいそうだから指輪にしてあげたのよ、感謝しなさい。それとも首輪がいい?」
言いきった凛を、アーチャー、そして店員が目を丸くして見つめる。
女子高生の口から首輪、などと。さんざん好き放題言った挙げ句のその締めくくりには場の雰囲気が持っていかれるだけの効果は充分にあった。
凛の帰りが遅くなり閉店間際に滑りこんだため、他の客がいなかったことがせめてもの幸いだった。
しばらくして、低く喉を鳴らす響きが場に落ちる。
「……それは、困る」
眉を八の字にし口元に手を当て苦笑したアーチャーは、
「そのようなものを始終首につけられては、かなわんよ」
心底困った、というようにそう、口にした。
凛はその顔を眺め、にっこりと笑う。
“遠坂凛”。
そうでしかありえない、その姿かたちで。



「なら、こっちに来て一緒に選びなさい。自分のものよ?」



「ちなみに、マスター。宝石つきのものを先程からことごとく避けているのは一体何故かな?」
「だってもし緊急のときがあったら、ついうっかりそれを使っちゃうかもしれないじゃないの」
「…………」
「……冗談よ冗談」


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