「凛。凛!」
低く大きな声が、遠坂邸のとある一室に響き渡る。
魔術の道具やビーカーにフラスコ、かと思えばタウン系雑誌など。
ある種で混沌とした部屋の右隅にあるベッドの上には、こんもりとした大きな山がひとつ、存在していた。
「凛、いい加減起きんと遅刻するぞ! いつでも余裕を持って優雅たれ、が君の家の家訓だろう!? このようなことでは……」
「……んー」
「凛!」
「アーチャー」
もごもご、と山の中から声がする。少し高めな少年のものだ。
凛、凛、とその声の主に呼びかけていた男は瞠目し、凛?と怪訝そうな声でおそらくは少年に向かって呼びかける。
「どうした、凛。何か体の不具合でも……」
「して」
「は?」
「ちゅーして。おはようのちゅー。でないと起きないよ、僕」
「…………」
沈黙が部屋の中に満ちる。アーチャー?とからかうように男を呼ぶ少年の――――凛の声。
男は、アーチャーはしばし瞠目を繰り返した後にだんだんと顔を赤くしていき、最終的には震えながら。
「誰がするか、いいから早く起きんかこのたわけ――――っ!!」
ご近所三軒隣まで響くような声を上げて凛を怒鳴り付けて、いたのだった。


「アーチャーのちゅーがないと一日の活力が湧かないっていうのにさ」
意地悪だよねえ、とつらっと言ってのける凛の前に朝食、ちなみにフレンチトーストとグリーンサラダ、オニオンスープにミニオムレツ、デザートはベリー系のソースをかけたヨーグルト……を並べるとアーチャーは未だ顔を真っ赤にしながら震える声で、
「朝っぱらから何だが、地獄に落ちろマスター。朝だからといって寝ぼけたことを言うのも大概にしたまえ」
「え? 僕はいつでも本気だけど? ……いいんだよ? 今からでも、ちゅーしてくれても」
意地悪だよねえ、などと言っておきながら自分の方がよっぽど意地悪な様子で凛は笑い、目の前にだん!と置かれた紅茶の注がれたカップに目をやる。
ほかほかと立ち上る湯気、淡い芳香。目覚めの一杯をとりあえずひとくち味わってから凛は。
「駄目だよアーチャー、食器は丁寧に扱ってくれなきゃ。僕が君を扱うみたいにね」
「……とりあえず言いたいことは様々あるが、君が私を丁寧に扱ったことなどあっただろうか?」
「何言ってんのさ!」
凛はばん、と先程のカップが立てた音に負けないくらいの大きさの音量でテーブルを叩き鳴らす。やめてもうライフは以下略。
「僕は丁寧に、死ぬほど丁寧に君を扱ってるじゃないかアーチャー! この前のあの時だって……」
「わーっ! わーっ、わーっ、わーっ!」
すると途端にさらに真っ赤になってアーチャーが絶叫する。凛は両耳の穴に指を突っ込んで、その絶叫をやり過ごした。
やがて絶叫を終え、肩で息をしているアーチャーへと心配そうな顔と声で、
「どうしたのさアーチャー? あんまり心配かけないでよ」
「君が! 原因! なのだがね!?」
「もーアーチャーうるさい」
でもそんなところが可愛いんだけどね、と言ってのけて凛はまたひとくち紅茶を飲んだ。実に的確に凛好みの味、温度を保っている紅茶を。
もうほんと、こんなところがほんとに愛しいんだけど、どうしたらいいんだろ。
内心でつぶやいて、凛はもうひとくち紅茶を飲む。アーチャーが何やらぐちぐちと愚痴を言っていたけど聞かない振り。
愚痴を言っている時のアーチャーも可愛いけど、あえてここはスルーで。
「……だ! 聞いているのかね、凛!?」
「え? あーうん、聞いてる聞いてる、しっかり聞いてるよ」
「……聞いてないだろう、君!」
あれ、なんでバレたのかな。
「ちなみにアーチャー」
「何かね、マスター」
「おはようのちゅーは今でも受付中だよ?」
「……は?」
「そして受付中のちゅうとちゅーを掛けてみました」
「そんな報告はいらない!」
結構上手く行ったと思うのだけれど。
駄目だったかなーと凛が思っている間にも、時間はどんどん過ぎていく。
アーチャーはてきぱきコートや鞄の準備をして、食べ終わった後の食器なども片付けていく。その姿はまるっきりサーヴァントではなく家政夫さんだ。
(……というか)
もーなんていうか僕のお嫁さんに出来ないかな、令呪使って、などと埒もないことを考えてしまう凛だった。
「ごちそうさまでした」
全ての料理を片付け紅茶も飲み終え、ぱしんと両手を合わせた凛にアーチャーが「あ、ああ、」と今さらながらに気付いた顔をする。
そして凛の傍まで歩み寄ってくると、その身なりをチェックして。
「……よし。寝癖もない、制服に皺もない。今日も完璧だぞ、凛」
あー、かわいい、と。まるで凛のことを自分のことのように誇らしげに語るアーチャーに、凛は少し俯いて。
「アーチャー、それでさ」
ちゅーは、してくれないの?
その台詞にアーチャーは少しの間、硬直して。
真っ赤になったまま、かろうじてといった風に、凛の頬にくちづけを落としたのだった。


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