「罪深き者に神の慈悲を」
褐色の顎を節くれ立った指先がなぞる。
「許しを。そして裁きを」
低い声が、粛々と教会の天井に反響して浸透していく。
まるでそれに耳を犯されているようだとサーヴァント・アーチャーは思いながらちゃり、ちゃり、と男が胸に飾ったロザリオが立てる音に、なるべく意識を集中させた。逆らうように。逃れるように。
「神よ。嗚呼、神よ」
それを最後に“神”への願いは終わったらしい。……ふう、と重々しく男が息を吐いて、それがやけにアーチャーの耳をくすぐる。
眉を寄せたアーチャーに能面のような顔を向けつつ、それでも男――――言峰綺礼は笑ってみせた。
(器用な男だ)
アーチャーは言峰の笑みを聞いて内心で思う。アーチャーから言峰へと言葉を紡ぐことは滅多にない。とは言っても言峰でさえもアーチャーへ向けてべらべらと言葉を寄せるほど弁が立つ男ではないのだが。
ただ。
ただ、点を突くように――――一点を抉るように、一言を落とす。重い一言を。
それによってアーチャーが動揺することに悦を感じているのだ。愉悦を感じているのだ。明らかにそれは見て取れることだった。誰にでも、例え子供だとしてもわかることだった。
「……アーチャー?」
ああ。
今日もまた心が抉られる、と内心でアーチャーはため息をつく。首が締め上げられる思いだ。どうせなら一息に。そう思ったこともある。
けれどそれでマスター……凛に被害が及んではならない。決して、ならないことなのだ。
元々この事態の発端は、アーチャーのマスターである遠坂凛の安全の確保を条件として成り立っている。凛の安全を。凛を。凛を助けてくれ。
神に頭を垂れるように教会の床に額を付けたアーチャーを、やはりその時も能面のような顔で言峰は見下ろしていた。それでも。
それでも、言峰は、愉悦を感じていたのだろうけど。
「凛は、今どこで何をしているのだろうな」
「……私には、知れぬことだ」
「パスが繋がっているだろう。それで知れないのか?」
「…………っ」
何を言う。アーチャーは思う。自分でやらせたくせに。凛との間に繋がったパスを無理矢理に遮断させて、言峰はアーチャーを凛から引き離したくせに。
肉体的にも精神的にも、アーチャーを凛から遠ざけておいて何をのうのうと。
だがそれをアーチャーが口にすることはない。ただただ飲み込んで、胃を重くして、気をも重くする。
そして思うのだ。凛。無事でいてくれ、と。
凛。凛。私の凛。
狂おしい程の親愛を、アーチャーは凛に感じている。けれど彼女の傍に立つことは出来ない。もう、きっと戻れない。
彼女の元へとアーチャーは帰れないのだ。言峰の元へと縛り付けられて、一生……サーヴァントに生涯があるのかどうかは疑問だが……そのままでいる。
きっとそうなる。
「アーチャー」
言峰の低い声がアーチャーを呼ばわる。初めてその日かすかに表情を動かして、言峰はアーチャーの顎へと触れていた指を喉元へと滑らせた。
「そろそろ時間だ。……喉が、渇いただろう?」
「…………」
餌の。
時間だ。
途端にアーチャーの体を襲う飢餓感。焼き尽くすような渇きを喉が覚える。欲しい。欲しい。潤いが欲しい。
でないと喉が張り付いて、声が出せなくなってしまう。……その前に声帯が焦げ落ちるのが早いか?
とにかくどちらにしてもアーチャーの声は出なくなる。
「言え。私に……おまえの本心を」
「…………!」
どくん。
心臓が高鳴る。
「さあ」
言峰の。
触れている喉が、熱くて熱くてたまらない。
「浅ましく強請るといい。“欲しい”と。サーヴァント……奴隷らしく、私の魔力が欲しいと強請るがいい、アーチャー」
「――――ッ」
どくん、どくん、どくん、どくん、
「…………ぃ」
「聞こえない」
「ほし、ぃ、」
「聞こえない」
「欲しい!」
大きな声はからからにひからびて、さながら救助を求める遭難者のそれだった。
喉が喘ぐ。苦しい。呼吸が辛い。苦しい。苦しい。苦しい。苦しい。
くるしい。
「……よく、言えたな」
言峰の唇がかすかに吊り上がる。感じるのは耐え難い屈辱。
けれど次の瞬間に流れ込んできた膨大な魔力はそれを押し流すほど甘美で、アーチャーは知れず陶然とした声を漏らしてしまった。
あぁ、吐息に似たそれがこぼれる。
言峰はそれを見てもいっそう悦ぶでもなく、中途半端に笑んだままだった。それでも感じているのだろう、愉悦を。
泥のような魔力。それに浸されて、アーチャーは鈍い夢を見る。


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