「なー」
「……うん?」
「ふたりっきりだなー」
「……そうだな」
「なあ」
それまで語尾を伸ばして喋っていたランサーの声が真剣さを帯びる。それにはっとしたエミヤが振り向くより前に、眼鏡を奪われていた。
「こら……ランサー!」
「おまえの怒る声、久々に聞いた」
悪戯っぽく笑う幼馴染に、エミヤは手をふりかざして眼鏡を返せと強要する。けれどランサーは素早くて、とてもではないがエミヤでは追いつけない。繰り返すうちに、エミヤは諦めてしまった。全く、と深いため息をついて。
「悪戯をするのはいいが、仕事の邪魔は止してほしいものだな」
「悪戯じゃねえよ?」
言ってランサーは悪戯な笑みを潜めた。代わりに浮かび上がってくるのは、不穏な笑み。
ふふ、と笑って、ランサーは机の上に広げられていた本を閉じてしまう。
「こら! ……仕事が……」
「後でいいじゃねえかよ、そんなん」
おまえのスケジュール管理能力なら、充分釣りが来るって。
それでも拒むエミヤに、絡むようにランサーは手を伸ばして。
「なあ……久々に、どうだ?」
「……どうだ、とは」
「大人の付き合い、してみねえ?」
「なっ」
エミヤが目を丸くする。それになおも笑い返して――――余裕の笑みで――――ランサーは眼鏡をそっと畳に置く。そしてさらり、と上げられているエミヤの、白銀の髪に指先を通した。それは紗のような手触りで、触れればあっけなく崩れてしまう。
「ラン、サ、」
「そうじゃねえだろ」
「――――……?」
「オレの名前は何だ? エミヤ」
そこで。
彼は思い至った顔になると、真顔になってランサーに向き直った。そしてその名を呼ぶ。
目の前の幼馴染の、真実の名を。
「……クー・フーリン」
「そう呼ばれるのも、久々だな」
ぱあっと。
過去の……子供の時のように彼は笑うと、かき上げたエミヤの額にくちづけを落とした。
「わ、!?」
「昔を思い出すよな」
「そ、そんなことも、あっただろうか?」
「あった。ていうか、忘れんな」
「うあ」
くちづけから一転、軽くはあるがデコピンをされてエミヤは軽く仰け反る。それを見て彼はふふ、とまた同じ笑みを口元に刻む。
「こうやって。チョロく引っかかるのも昔のまんまじゃねえか」
だから、オレが守ってやんねえとって思ってたんだ。
「……そうか」
「そうだ」
言いながら、彼はエミヤの目蓋にくちづけを落とす。何度も、何度も、何度も何度も何度も。
右も左も予告もなしで、エミヤはまるっきり翻弄されてしまう。
「……ランサー」
「……あくまでその呼び方なのな。まあいいけどよ。んで?」
「大人の付き合いとは、どういったものなのかな?」
「…………」
ちょっと待てと。
真顔で言った彼にも、訳のわからないといった顔でエミヤは目を瞬かせている。もしや本当に?心底から?
もうエミヤは既に成人している。それなのに大人の付き合いがわからない?
「……おまえ、オレをからかってんのか」
「……いや、本気でわからないんだ」
済まない。
エミヤが本気で凹んでしまったので、彼は少しだけ、ほんの少しだけ焦って言い募る。
そんなことねえよ、悩むな、と。
「それに、よ」
「?」
沈んでいた顔から一転、不思議そうな顔で目線を上げたエミヤに彼は。


「知らないんだったらよ、覚えればいいんだからな」
「な、ランサ……――――ん……」
それから先がどうなったかは。
それは、幼馴染みふたりしか知らない。


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