「ま、遠慮しないで一杯やれや」
「……っとと」
新しいバイト先の倉庫からくすねてきたのだと無邪気に笑いながら彼が言うのでそれを思わず咎めたら、冗談に決まってるだろうと反対に怒られて目を丸くした。
というわけで、酒盛りが始まった。
「それにしてもアイルランドの光の御子の嗜む酒が日本酒とは……なかなか見られない光景だな」
「そうか? そんな貴重そうに拝むもんでもねえと思うが」
そんなことよりさっさと呑めよと言われて慌ててなみなみと注がれた酒を口にする。と、意外に甘い味が口に広がった。
「ますます意外だな。辛口を君は好むと思っていたよ」
「何でだ」
「つまみに渋いものばかりを選ぶではないか」
「でも甘党だぜオレ?」
首を傾げてそう言うのは可愛さアピールだろうか。自分にアピールしてどうしようというのだろうか。つまみが欲しいのか?
言えばすぐ作ってやるというのに。
そんな彼は持参のさきいかを口に運んでもぐもぐと噛みながら行儀悪く、
「ふぉまえと、」
「は?」
「んっくん」
音を立てて噛み切った口の中のさきいかを飲み下して、彼はこちらの顔を指差してくる。ますますもって行儀が悪い。そもそも胡坐をかいているし。
……酒の席で正座をしろとは、さすがの自分も言わないけれど。
「おまえと酒が呑みたくてよ。店長に“一番美味い酒はどれだ”って聞いてみた。そしたらこれが出てきた。だから今、おまえとこうしてこの酒を呑んでる」
「……えーと」
これは、口説かれている?のだろうか?
ふたりっきりで、縁側で。邸宅中の皆が寝静まった深夜である。トイレか何かでもない限り誰も出てこない。
もしかして。
もしかして、襲われたら。
「なあ」
「ッ!?」
「なんだその格好」
思わず正座したままでずさっと後ずさった自分を指差して笑い、彼が杯を傾ける。と、それがすごく様になっていて、アイルランドの英雄なのに変だと思った。
だけど、おかしい、とは思わなかった。
変、と、おかしい。その言葉ふたつの違いはそう無いようで、結構ある。説明すると長くなるので割愛するが。
あと、恥ずかしいし。
「あー」
「な、何だね」
「おまえ、オレに襲われると思っただろ」
「!?」
心を読んだ!?
エスパーか!?光の御子はエスパーなのか!?
ついつい現代に根ざした言葉で連想してしまい、いやいやと首を振る。正しくは読心術、と言い直すべきだろう。特別な力を持っていなくとも、人心をまとめる力を、カリスマめいたものを持っていれば割と簡単であろう世渡り術だ。
彼はもう酒に酔ったかのようにけらけらと笑い、けれど素面でこちらを見つめる。赤い瞳が綺麗で、月明かりを映して輝いていた。
青い髪もが。
そのほの白い月明かりを受け止めて、柔らかく反射して弾き返す。
それは決して乱暴ではなく。
影響力を、持つ効果。
ほんのりと、今度はこちらが酒に酔ったかのような心持ちでその姿を見ていれば目が合って、つい顔を伏せてしまう。すると、顔を覗き込まれた。かわす。覗き込まれる。かわす。覗き込まれる。かわす、……エンドレス。
「なぁ」
肩を抱かれて、残り半分ほどになった酒がぴしゃりと指にかかった。その指を伸ばした舌でぺろりと舐め上げてきながら彼は、案外に真面目な顔で言う。
「口説いても、いいか」
「……まだ、だったの、か」
「うん、まあ」
まだだった。
そうこぼす彼に耳が熱くなる。恥ずかしい。勝手に先読みして勘違いしていた。
やけのようになって杯の中の酒をぐいーっとあおると、近くにあった酒瓶をむんずと掴む。
そして杯の中になみなみとこぼれるほど注いだ。
「お、おい」
さすがに驚いたのか今度は彼が目を丸くする。それを尻目にまたも二杯目を一気にあおって、酒瓶を三度目掴もうとして、その手首を掴まれた。
「……やめとけ」
「はなして、くれ」
「やけ酒は美味くねえ」
ていうか、酒に失礼だろ。
そう言うので、ああ、そうだな、とすとんと納得した。失礼か。そうだろう。酒もどうせ呑まれるのなら美味く呑まれたいはずだ。
だって、そのために生まれてきたのだから。
酒の運命に対して考えていると、「で」と彼が口にした。
「さっきの答えは?」
「え?」
「口説いてもいいかって、その答え」
途端、ぎしりと体が固まる。そういえば肩を抱かれたままだ。動揺は明らかに彼に伝わったろう。
でも今さら恥ずかしくもない。もう酔ったのか。何だか頭がふわふわする。
「ああ――――」
気付けば、こくりと頷いていた。
顔は伏せていたので彼の顔は見れなかったけれど、ぱちぱちと瞬きを何度かする気配は伝わってきて。


「じゃあ……」
こうやって呑みながら、じっくりと口説かせてもらうか。
そう言った彼の声は、ひどく甘い酒のような後味を鼓膜に残していったのだった。


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