艶然と微笑むその顔と、紅潮した肌色にまずい、と思った。
「お、おい、アーチャー?」
「……ん?」
依然微笑んで顔を寄せてくれば、その唇から案の定香る酒精。香料と何かハーブらしきものの混じったそれにとにかくまともなものではないと思った。
――――アインツベルンの嬢ちゃんか、それともマスターの嬢ちゃんか。
どちらにしても女絡みには間違いなくて、とことん自分は女運がないのだと思う。正気で迫ってこられるのなら(恥じらいを乗せ、赤面しながら)いいものを、何故に正気を失った状態で絡んでくるのか。仕掛けてくるのか。ああもうまったく!
ランサーは圧し掛かってくる重みに舌打ちをして体勢を立て直そうとするがいかんせん取られたのはマウントポジション。体格でも体重でも勝られてその上で、またマウントポジションとなれば勝ち目は薄い。
「っ、の、」
迫られるのは前述した通り嫌ではない。ただしそれは相手が正気の場合。
正気を失った相手に迫られて押し倒されて顎先を舐められても何の嬉しさも感動も覚えないのだ。というか顎先を舐めるな。卑猥だ。悪いとは言わないが……、いや、言うか。今の状態なら。
「ふふ。感じるか、ランサー?」
「いや――――」
感じるとかそういう次元ではない。ただただ焦るばかりだ。早くどいてほしい。それを言いたい。今の状態だ、言ってもたぶん傷つくことはないだろう、正気を失っているのだから。けれど言ったとしてもおそらくは認識しない。綺麗にスルーして自分の都合のいいように解釈する。例えば、
「照れているのか? ……可愛いな」
ほら!
「照れてなんかねえ。とにかくどけ。いいからどけ。今のおまえは正気じゃねえ。……そんなおまえを抱くのはオレの流儀に反する」
「君の流儀? 悪いがランサー、そんなものは関係ないよ。“私が”“君に”抱かれるんだ。勘違いしてもらっては困る。生殺与奪は全て私のもの。君に自由はない。君はただ黙って横になっていてくれればいいんだ。……私が、全部、するから……」
ぞくぞくぞくぞく。
日頃なら嬉しいはずのウィスパー・ボイスが今は悪寒を引き起こす。生殺与奪とは随分と穏やかではない。命は、心臓は彼に握られた。おまけに貞操も。
何度も抱いた身だ、今さら貞操など惜しくもないがやはり正気の相手にそれは捧げたい。何度繰り返してもその答えは同じ。
正気を失った相手に、大事なものをくれてやる義理など今の自分にもこれからの自分にもないのだ。
「……いいからどけ。これ以上言うことを聞かねえと、オレも実力で訴えることになるぜ」
「ふうん? 暴力に訴える気かね。それもいいな、暴力的な君に犯されるというのも嫌いじゃない。自由を奪われて、押し倒されて、口を塞がれて……」
「だから!」
ああもうまったく本当に狂っている!
「いいからどけ! 今すぐどけ! じゃねえと……」
「じゃない、と?」
「実力行使も辞さねえぞ」
「だからそれも逆効果だと言っているのに。わからない男だな、君も」
褐色の手がするりと革パンの中心を即物的になぞって、下から上に撫で上げる。思わず反応してしまった自分に対して男は笑いながら、
「ほら。反応している。君の体は正直だよランサー、君の口なんかよりずっとね。君の口は嘘つきだ、嘘ばかりをつく。すぐばれてしまうというのにね。何故? どうしてそんな嘘ばかりつくんだ? 体は、こんなにも正直なのに」
それはオレが言う台詞だ。
そう自分が思ったか、否か。
とりあえず男は肉食獣の、ライオン辺りの喉を撫で上げるようにそこを撫で擦りながら笑う。褐色の肌を赤く染めて。酒精に塗れた息を吐き。
香料とハーブの匂い。何にしてもまともじゃない。
「の、やろ、」
「無駄な抵抗だよ、ランサー。……ふふ、いいな。それにしてもいいな。いつも私を襲う君が私の支配下に置かれている。私の思いのままにされている。ふふ。ああ、いいな……本当にいいよ、ランサー……。もっともっと私を興奮させてくれ。そうしたら私も君を興奮させてやるから。こういう言い方は穏やかじゃないか? ならば言い直そうか。……お互いに高めあおう? ランサー」
何がお互いに、だ。
勝手に迫って勝手に高まっているくせに。何もかもあれもそれもこれも勝手なひとりよがりのくせに。
どうして正気で迫ってこないんだ。恥ずかしいのか?けれどそれでも怪しげな薬酒に頼ることはないだろうに。いや、無理矢理に飲まされたのか?それならば、まだ許してやってもいい。まだ。
けれど相手が正気ではないからその真相は結局わからなくて、自分は相手を拒み続けることとなる。
愛してほしいのなら。
正気で、かかってこいというのだ。
「…………?」
頬に触れた手に相手が不思議そうな顔をする。その顔をじっと見ながら言ってやった。腹から据わった声で。揺るがぬ声で。
決して、その声が相手に届かぬことなどないように。
「いいかアーチャー。オレはおまえが好きだ。……いや、愛してる」
「それならばランサー、私の体を」
「いいから聞け。……だから、大事にしてやりてえんだ。酒の勢いでもつれ込むほどオレも愚かじゃねえ、つもりなんだ。だからもうやめろ、な? その代わり正気に戻ったらおまえのしたいようにしてやる。……ただし、正気に戻ったおまえは潔癖性の見本で、簡単にオレに抱かせたりなんかしねえんだろうが」
すり、と撫でた頬が熱い。
それを酒のせいと取るか告白のせいと取るか。
顔が赤い。
それを酒のせいと取るか告白のせいと取るか。
どちらだ?どちらを選ぶ?どちらが勝る?そんなものは自分次第。
勝手にする。相手も勝手にしているのだから。だから。
「……な。もう、今日は寝るなり何なりしちまえ。そうしたら明日にはきっといつものおまえに戻ってる。性質の悪い薬も抜けていつものおまえに戻ってるさ。記憶もきっと消えてるんじゃねえか? だから恥ずかしさに悶えることもねえよ、安心しな」
「だが、ランサー、私は」
「はいはい」
肩をぽんぽんと叩いてやって、自然にくい、と押す。そうすれば案外簡単にその体は傾いだ。とさ、と畳の上に投げ出された体にしめたと思って目蓋を手で覆う。
「寝ちまえ。な? 悪い夢だったと思って。覚えてねえよ、きっと。そういう薬はきっとそういう風に出来てんだ」
「ランサー、でも、私は」
「うるせえっての」
言葉上は乱暴に、けれど声音は優しく。
そんな台詞を吐いて、ゆっくりと呼吸を同調させていく。
そして眠りに落ちた相手を見て、ほっとした様子で自分はため息をついたのだった。



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