「……あ、」
「…………」
廊下の曲がり角。
そこで顔を合わせたふたりは一方は頼りなげな声を上げ、もう一方は無言。そしてそのまますたすたと歩き去ってしまった。
「――――ッ」
歩き去られた方の、無言でいられた方の一方。アーチャー、いや、エミヤシロウは洗濯籠を抱えたままその場に立ち竦んで。
きつく。きつく、己を戒めるように――――唇を噛んだのだった。


(何を)
一方、無言であった男は早足になりながら苛々と自分が今、相手に行った所業を悔いていた。
(何をしているんだ、僕は)
すたすたすた、と足音が耳障りだ。まるで逃げるようだと、何となく思う。そうだ。逃げているのだ、自分は。
(僕は、あの子から)
逃げている。そう、男――――衛宮切嗣は、確信していた。


とある平行世界で出会った義理の父子であるふたりだったが、仲はとてもではないが友好とは言えそうになかった。
まず正面から切嗣がアーチャーと顔をまともに合わせようとしない。今のように顔を合わせれば無言で避けて、その場を後にしてしまう。さながらそれは第四次聖杯戦争で彼がセイバーに与えた仕打ちと同じ。でも、そこにあるのは全く違う感情で。
(僕は、あの子に)
まともに向き合うことが出来ないんだ。父親として。まともに胸を張って彼と顔を合わせることが出来ない。立派になったねと少し背伸びをして頭を撫でてやることも出来ない。頑張ったねと手を握って褒めてあげることも出来ない。出来ない出来ないのないないづくしだ。
違うんだ。そうじゃない、嫌っているんじゃない。
照れくさいんだ。君を、立派に成長した君を見ていると。
そんな君の父親だなんて、僕は胸を張って言えないんだ。照れくさくて、とてもじゃないけど目を真っ直ぐ見れないんだ。
でも、そう言ってるだけじゃきっと君は傷ついていくばかりだね。わかってるよ、君の心のこと。
だって僕は君の父親だから。
どんなに駄目な父親でも、それでも。
僕は。
(…………)
切嗣はふと、足を止めた。
いつの間にか脱衣所まで歩いてきていてしまった。顔を上げて鏡に映る自分の顔を見てみる。
――――それは。
とてもとても、情けない男の顔だった。
駄目なんだ。
駄目なんだ、このままじゃ。あの子はこのままじゃ傷ついていくばかりだ。僕の手で傷ついていくばかりなんだ。そんなのは嫌だ。
でも。
(……出来ない)
バン。
壁についた手が鳴らした音は。
派手な音がしたけれど、ただそれだけだった。


「…………っ」
「し、」
ろう。
その日の夜、切嗣はアーチャーの部屋を訪れた。そこはとても簡素な部屋。何もない、と言ってもいいのかもしれない。だが、そこには。
家族全員の服が、畳まれて置かれていて。
そこには当然、切嗣のものもあって。
それを見て、切嗣の胸は締め上げられるように痛んだ。ああ、こんな子に、僕は。
こんな子に、僕は自分の感情すら制御出来ないで身勝手に苦しい思いをさせて。
そう考えるとたまらなかった。自分がみっともなくてみっともなくて仕方がなかった。こんな父を、父だと選ばせていいものか。慕ってくれているとはわかっているものの、自分は彼に頼むべきなのではないだろうか。
君から僕を切り離してくれ、と。
「しろ、う、」
「…………!」
それでもようようやっとといった風に切嗣がつぶやくと、アーチャーの表情が見る見るうちに変わっていった。
驚いた顔。それからすぐに。
嬉しそうな、けれど泣きそうな、そんな顔になって。
それを見た瞬間に切嗣は、アーチャーの元へと走っていった。
「じい、さん」
涙声。ああ、ごめんね、ごめんね僕の大事な子。
傷つけていたね、ずっと困らせていたね。悪い親でごめん。でも、これからは。
これからは、頑張るから。
君に胸を張れるような、立派な父親になれるよう頑張るから。
そんなことを内心で切嗣が考えていると、涙声でアーチャーが微笑んで。
「いいよ、爺さん」
爺さんは、そのままでいいよ。
その声に切嗣は、目を見開いて。
既に我が息子を抱きしめていた腕に、決意と共にさらなる力を込めたのだった。



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