「へぇ。ちゃんと主婦……っていうんですか? やってんですねぇ」
昼間にインターホンを鳴らして突如尋ねてきた男は、軽々しい口調でそう言った。
軽薄という言葉がとても良く似合う男で、それは昔からそうだった。
「発音がわずかに異なりはしないか? 主婦ではなく、主夫だ」
「旦那がいるんなら主婦でしょう。それとも人妻って呼んでほしいんですか?」
「な、」
あまりにもな軽口に用意していたティーカップを落としそうになったが、事なきを得た。
さて、この男は一体どうしてやってきたのか。
そりゃあ旧知の仲である。大学時代にはよく議論し合った。それはもうくだらないことを山の
ように。
だが、今ここに尋ねてくる理由が見当たらない。
交友関係が広く、きちんと今では職にもついている。忙しい男だろうに。
それが何故、こんな時間にこんなところに?
「あ、どうも」
「砂糖とミルクはいらなかったのだろう?」
「そうですそうです。よく覚えてますね」
ストレートティーをふたりぶん。自分もミルク・砂糖・レモンなどは必要としないから。
必要とするのは夫だけだ。かなりの甘党で、ミルクと砂糖を大量に入れる。
「あれ」
「ん?」
「あれ。旦那ですかい」
言われて視線を移してみれば、そこには夫と写した一葉。写真立てに入れて飾ってある。
「ああ、そうだよ」
「今、姿が見えませんけど。仕事ですか」
「当たり前だ。こんな時間にのらりくらりとしていられるはずがない」
「はっ。それは俺に対しての嫌味で?」
「別にそんなつもりはなかったのだがね」
本当にそんなつもりはなかった。大学時代ならば、“そんなつもり”で口にしていたかもしれないが。
丸くなったと思う。夫と出会って、日々を過ごすようになってから。
それでもまだ、こうして旧知の友と会えば昔を思い出すこともあるけれど。
でも。
でも、嫌味を応酬し合っていた頃には戻らない。
「ケーキを焼いてあるのだが。食べていくかね?」
「頂きます。あ、あんまり甘いのは苦手なんですけどね」
「知っているよ。ベイクドチーズケーキだ、君、好きだったろう?」
「……ほんと、無防備ですよねぇ、あんた」
「?」
首をかしげる。
何か、引っかかるものがある。
でも、それが何かはわからなかった。
「無防備……とは?」
ちゃんと相手を確認して家に上げたし、それまでは鍵もチェーンもかけていた(夫が言うので)し。
「わからないならいいんですよ。ただの軽口です」
「…………?」
ティーカップに口をつける男。それに倣って自分も口をつけた。
「夫婦生活はどうなってるんです?」
「!?」
紅茶を噴きだすことはなかったものの、気管に入って軽く咳き込む。今のはまずい。今の質問はまずい!
「き、君に答える質問ではないだろう!? 他人の君に!」
「ですよねぇ……」
他人ですよねぇ、と男はそうつぶやいて。
「そんな他人を簡単に家に上げちまうあんたは、本当無防備ですよ」
嫌になるくらいね。
その表情が、悔しそうなものに見えたのは気のせいだろうか?
「ケ、ケーキを切ってくる」
立ち上がろうとした、その動きを男の声が止める。
「いいです」
「え?」
「いらないんです。もう俺、帰りますから」
敵情視察はこれで充分。
そんな意味不明なことを言って、がたりと男は椅子から立ち上がる。あまりに突然のことで理解が追いつかない。
「ロビンフッド!」
立ち去ろうとする背中に呼びかける――――が、男の歩みは止まらない。
「……本当。憎い相手ですよ、あんたは」
ただ。
去りがけに漏らした男のつぶやきがリビングに落ちて、ばたんとドアが閉じられた。



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