わふっ。
もしくはもふっ。
「セイバー……」
「ああ、思った通りだなあ」
洗濯物を干し終わって縁側に腰掛けていたアーチャーは、頭部を襲った感覚に目を閉じる。
少し尖ったようなそれでも丸みのあるそれは。
「犬でもあるまいし、人の頭に顎を埋めるのはやめたまえ……」
「ん? だって気持ちいいだろうと思ったからさ」
やらずにはいられなかったんだ、と“剣士”の名で呼ばれた青年は言った。
それは甘やかすつもりで耐えていたが、
「こ、こらっ!」
すん、と髪の匂いを嗅がれれば途端に耐え切れなくなった。
一瞬でぷつんと平常心が千切れ途切れる。
「せ、せい、せい、ばー!」
「? エミヤ?」
“セイバー”は並行世界からやってきた存在だ。だからアーチャーを“アーチャー”と、彼自身がいた世界での敵対していた存在であるクラス名で呼びたくないとか言って駄々を捏ね、結局はアーチャーから真名を引き出した。
エミヤ。
英霊エミヤ。
アーチャーが恥じるべきポイントであるそこをダイレクトに口にして。
エミヤ、エミヤと。
楽しそうに、嬉しそうに笑う。
転がってくる犬のように。草むらを転げながら駆けてくる獣。
あたたかくて、ふわふわとして、もこもことした。
けれど。
「どうしたんだい、エミヤ?」
「その、名前は、あまり……」
「どうして? 素敵な名前じゃないか。意味は僕には残念だけど簡単には理解出来ない。でもね、響きの素敵さはわかるよ」
「…………ッ」
ずるい青年だ、とアーチャーは思う。
そんなことを言われて突き放せるものか。
そんなこと、知るかと突き放せるものか。
飲み込んで、存在を受け入れて。名を呼ばれることを受け入れて。
エミヤ。
抱き締めてくる腕から逃げる術なんてない。
「……おいで。エミヤ」
その思考を読み取ったのか。まさにそのタイミングで青年は手を広げた。端正な顔で紡ぐは柔らかな微笑み。
まるで彼自身の持つ金色の髪のように煌くそれで微笑みを紡いでみせる。
いっそ暴力的な、それは優しさだった。
もうほとんど覚えていないけど、本当にアーチャーが子供だった時、アーチャーという名ではなかった時に、憧れた優しさ。
叩く、叩く、叩く、何もかもを叩く。叩いて壊す。殻を。建前を。上っ面を。
アーチャーの纏った全てを青年の笑みは悉く砕いてしまう。
「あれ?」
くるっ、とその笑みに背を向けた。調子が外れたような、予感が外れたような声が背後でする。その声に向かって、
「――――」
ぼすん、と。
アーチャーは背中から全体重をかけて身を預けた。
背中から覆われるように青年に抱かれ、アーチャーは目を閉じてなるべく落ち着いたような声を作って言い放つ。
「……今は、こちらの気分でね」
「…………」
「……何か不服でも?」
かなり。
かなり、苦しい手段だったと思う。
というか恥ずかしい。
とく、とく、とく、と背中で青年の鼓動を感じてしまっている。とく、とく、とくん、とくん、だんだんと早くなってくるそれは。
きっと。
青年は――――セイバーは、アーサーは、きっと――――。
「うん、それじゃあ今日はこっちから存分に君を抱き締めさせてもらおうかな」
「セ、セイバー……」
「ん?」
「す、少し、その、苦しい、」
「嘘吐き」
ふわ、と些か理不尽な体勢から顔を覗き込まれて。
「嘘吐きにはお仕置きをしなきゃね」
微笑みと共に。
アーチャーは、唇を奪われていた。



back.