地を駆ける。
がっ、と顔にぶつかったこぶしが衝撃を受け取って歪む。ぱあっと派手に散らされた血の赤さに戸惑うことも今はしない。
「この、――――!」
続いて振り上げたこぶし、だがそれは交されて反対に腕を取られ、ばきんと捻られる。
「ッ、痛ぅ、」
そのまま関節を決められて埃が立つ地に這わされた。ぼきぼきとリアルな音と共に極まっていく骨。
「ハッ、おらよ、言え、参ったって言え……!」
上乗りになった男のめったやたらに熱い声に、誰が、と叫んで暴れ出す。ぱしん。気の抜けた音が上がって、肌に触れた手の甲が血に濡れた。
「まるで芋虫だな――――!」
嘲りにも毒はなく、ただただ熱だけが満ちている。だが虫と言われたからには黙っていられない。苦しく茹だった息の下から、
「ならば君は、狂犬病を患った狗だな……!」
「……何?」
熱い声が、一気に冷える。狙っていたのはそれだ。
「ッ、この!」
跳ね上がるように体を振るい上げて、男を弾き飛ばす。端正な顔の大体中央、鼻からぼたぼたとやはり止まらぬ血を流しながら、男がこちらを見据えていた。
「君は、体力では勝っているけれど、頭の回転はそう良くないな……?」
外れた関節をはめ直しながら無理矢理にでも笑う。赤く輝く男の瞳。
そうして。


「……ぁ、ん、さぁ……」
熱の下がらぬまま、男の名を呼ぶ。
口の中には血の味。鉄錆臭くて、驚くほど甘ったるい。酩酊しそうなその甘味に、引きずられるのを感じていく。
体のそこかしこに打ち身擦り傷打撲傷。あちこちが痛くて発熱していたが、それでさえ心地良く気持ちよかった。
それは目の前の男も同じなのか、呻くことすらせずぺろぺろと己、そしてこちらの血が混じった肌の上を舌で舐めている。くすぐったくて息を吐けば、さも奪うように唇を重ねられた。
喧嘩の発端はたぶんとても簡単であっけなく、くだらないことだ。覚えてもいない。忘れてしまった。
今はただこうしていたい。仲直りだと言って体を重ねてきた男の熱を、味を、蕩けるような全てを、感じていたいのだ。
「ん、ぁぅ、」
頬に飛んだ飛沫なり何なりを舐め取り終えたらしい男は今度は頭を下げ、喉元を舐める。やわやわと時々肉を齧りながら、鎖骨に辿りつき、唾液の泉を溜めて、啜ってはごくりと喉を鳴らす。そうして乱暴にシャツのボタンを外して胸を露にし、すっかり緊張して火照った尖りに触れてくる。
ちゅるちゅると唾液を絡めては、吸って。
その頭を抱え込んで、もっと、と言うかのように押し付ける。もっと。言いたくても喉が腫れて言えない。思う様叫びを上げたそこ。怒声を、罵声を、放った。
そんな喉で自分は、擦れたような喘ぎを漏らしている。
「……アーチャー」
抱えた頭を少しずらして、男が上目遣いに見上げてきた。瞳が興奮で澄んでいる。濁りはどこにもない。一片の曇りもなく、ただただ澄んでいた。
欲情して舐めてしまいたくなったが、その前にと白い指が伸びてくる。それを躊躇いなく迎え入れ、万遍なく舌と溢れる唾液で濡らせば男は満足そうな顔をした。
「よおし」
いい子だ、と震えの来るような声が聞こえて、スラックスを濡れた指先が中途まで引きずり落とす。
それから、含まされた。先端を、それが受け入れられれば中程を、それが受け入れられたのなら根元まで。
くちくちと音を鳴らしつつ慣らしていって、三本に増えた頃には体も意識も蕩けきっていた。早く、早く、と強請るようにランサァ、と擦れた声を上げれば男はちゅくり、と濡れた指先を引き抜いていって。
「そんなに――――欲しいか」
その答えを待たず、息を止めるように押し入ってきた。
「あ、あ……、ラン……ッ……!」
名前を呼ぶこともままならない。舌がとろとろに蕩けている。たぶん男が口内に舌を入れてきて吸われたのならば跡形もなくなってしまうだろう。互いの体に、刻まれた傷跡。行為の前に綺麗に舐め取った男の血はひどく甘ったるかった。胎に火を灯されたのならばきっとこんな風になるんじゃないかと。冷たい中へと、熱の根源を入れて。溶かして。形のあるものを。そのまま絡み付いて、中に入り込んできたものの形を覚えてそのものになる。覚えてしまって戻れない。
それでも、いいと思う。
「だ、めぇ……、だ、そん、な、こん、な、こと、まで、あぁ、」
言っている意味が釈然としない。それでも喚き続ける。
「から、だ、が、あついか、ら、とけてしま、う、きみの、かたち、に、」
いいと、思っているのに。口はそんなことを言って。
――――聞いた男が、早くそれを実行に移してくれるようにと浅ましく罠を張る。
「形にされてぇか……?」
ほら。
「なら、してやるよ……っ……!」
罠に、落ちてきた。
「ん、は、ぁ――――!」
足で腰を抱え込み、もっと奥へと誘い込む。ぐちゅん、と濡れた音が鳴った。あからさますぎる水音。
それはぱちゅん、ぐちゅ、と続いて律動の示しとなる。
「ぁ、なか、おおき、くな、って、かたち、――――ッ、あ……!!」
「アーチャー……ッ……!」
中に迎え入れた男自身が大きく膨れ上がり、名を呼ばれたかと思うと暴発する。一気に内壁へ叩き付けられる熱、飛沫、精液、それに追い上げられるようにして。
「ん、んん、あ……!」
達して、男と自分の腹を汚して荒い息をつく。ちゅ、と目蓋の上にくちづけが落ちてきた。
「……アーチャー」
「ん……」
ずくん、とまた内側で男が大きくなる。解けかけていた足をもう一度腰に絡めて、引き寄せて、つぶやくのは。
「……ランサー……」
簡素な、男の、名前だった。



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