「神に祈りでも捧げているのか?」
まだ高い少年の声に、アーチャーは返答もなく首を左右に振った。しかしそれでは足りないと思ったのか――――薄い唇を開いて。
「そんなもの。信仰心など私が持っているなどと思ったか?」
「いいや」
少年は……言峰士郎は薄っすらとした笑みを浮かべ、靴音を響かせながらアーチャーの元へと歩み寄ってくる。時折手の中で、ちゃり、ちゃり、と信仰心のシンボルであるロザリオを弄びながら。
「思ってもいないさ。考えたこともない」
「…………」
アーチャーはこの少年がどうも苦手だ。この少年を災禍の中から拾った言峰綺礼も苦手ではあるが、それを上回る強さで少年を苦手だと意識が認識する。
いつまで経ってもその意識は消えない。慣れない。
ただのひとりの少年であるはずなのに。それだけなのに。
……なのに、アーチャーの意識は警鐘を鳴らすのだ。
この少年には関わるな、と。
「そもそも俺だって信仰なんてしていないんだから」
「…………」
「本当のことだよ。嘘なんてついてない」
嘘をついたら神様に叱られるだろう?
冗談のように……本気だろうか?彼は言ってくすくすと笑った。まだ未熟な肩がくつくつと揺れる。
どうして。どうして、こんなにも自分はこの少年に苦手意識を持つのだろう。
力では圧倒的にアーチャーの方が強いというのに。いや、少年はアーチャーのマスターであるから、三画の令呪を持っているのだけれど。
絶対的命令権である、三度だけ使える令呪を。
それが苦手意識に繋がるのか?アーチャーは思ってみたがすぐその思いを打ち捨てて、長椅子の背に添わせた指先を滑るようになぞらせた。
アーチャーが日々磨き上げる聖なる室内は、埃や塵のひとつも存在させない。
神聖な場所として、悩める民を導き入れる準備をしている。
「アーチャー」
「何だ、マスター」
「懺悔室に入らないか?」
「……何故」
「おまえとふたりきりになりたくて」
「馬鹿げたことを」
「綺礼の目に留まったら、厄介なことになるだろう?」
くすくすとなおも笑いながら少年はアーチャーを手招く。その甲には三画の令呪。肌の上に刻まれた赤い痕に、アーチャーは忌々しいものを覚えた。
これが。こんなものがあるから私はこいつに縛られる。幸い己はアーチャークラスである、マスターを失っても数日間単独行動が可能だ。
だからこの少年を今ここで殺してしまって、猶予期間の間に新しいマスターを。
探せば。
「…………」
「物騒なことを」
少年がぽそり、とつぶやいた。
「考えている目をしているな、アーチャー」
「……おまえが心配するようなことは、何も」
「アーチャーは嘘吐きだからなあ」
笑いながら。
なおも笑いながら、少年はロザリオを弄ぶ。信仰心がないというのはもしかしたら真実かもしれなくて、その手付きには揶揄するような彩りがあった。
そう。
アーチャーをからかう時のような、彩りが。
「……私は、君が苦手だよ」
「あ、それは本当だな」
きっぱりと言ってのけたというのに、少年は正解を得たのが嬉しくて仕方ないといった様子でいっそう派手な笑みをこぼした。
「わかってたさ、俺のことなんてアーチャーは大嫌いだって」
でも、嬉しいな。
「……嬉しい?」
「好きか嫌いかってさ。どっちでも相手のことを深く想ってるってことだろ? 無関心なんてものじゃなくって」
「……随分と、自分に都合よく考えるものだな」
「そうじゃないと人生、楽しく生きていけないからな」
少年はその時だけ――――にっこりと年相応の子供のように笑って、アーチャーに向かって手を広げてみせた。まるでその腕の中に彼を受け入れようとするかのように。
飛び込んでくるのを、受け止めようとするかのように。
もちろんそんなことは有り得なくて、アーチャーは目を細めて少年を見ると、深い深いため息をつく。
全く、底の知れない子供だ。
「おまえが楽しく人生を過ごそうなどと、考えているとは思ってもみなかったよ」
「そうかな? 俺は日々愉悦を求めて人生を過ごしているよ?」
綺礼みたいにね、と付け足してアーチャーの眉間の皺を楽しむように首を傾げると、少年はロザリオをちゃり、と鳴らした。
そうして舐めるようにアーチャーを見つめて、手を差し伸べてくる。
「さあ、アーチャー。……おいで?」
微笑む少年。
沈黙するアーチャー。
教会の一室の空気は、奇妙なふたりによって今日もまた血塗られるように赤く染まる。


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