scene:09 
昼下がり、特売チラシを見ていると後ろからぎゅう、と抱き寄せられた。
「ランサーか」
「なんだ。驚かねえのか」
「生憎と」
驚いてほしくば気配遮断スキルを用意してこいと言えばそりゃあ無理さなあ、だそうだ。聖杯を通るとき冬の聖女に告げられたそうだが“あなたはランサーじゃなければバーサーカーね”とのことで。
バーサーカーに気配遮断スキルを求めるのは酷というものだろう。確かに。
瓦礫のあいだを抜き足差し足で歩いている暇があったら、全壊させながらやってくるだろうから。
「それでそのバーサーカー候補が何の用かな?」
腹部に回された腕がその問いに力を増す。服の布地が多少皺になる程度、きゅ、と包囲を狭められても視線は背後に投げない。
「居間で、おまえがここにいて……することって言ったらそりゃ、限られてくるだろ」
「昼間だぞ」
「昼間だな」
「昼間だが」
「昼間だろ」
「…………」
誰もいねえ。
にんまりと、笑う気配がする。セイバーは商店街に出かけてライダーはバイト、藤村大河、衛宮士郎、遠坂凛、間桐桜は当たり前に学校だ。ときどき庭からやってくるギルガメッシュや、こちらは玄関からやってくるイリヤスフィールはさてどうだか。
それについては、
「ああ、結界を張った」
とりあえず押しこんでみたシャツを引っぱりだしてきながら首筋をいじり、とんでもないことを背後の輩は言った。庭を基点にルーンを刻み、察知と幻惑の効果を高めたものを施したと。
気づきやすく気づかれにくく。
神代の北欧の魔術刻印もまさかこんな現代で光の御子の悪戯に使用されているとは思うまい。神秘の無駄遣い、栄光の無駄遣い、英雄のイメージダウンだ。栄光は地に墜落した!堕落した栄光よさらば!
「抵抗しねえのか」
押し黙っていると先程と同じような口調が問いかけてきた。なんだ、と意外そうな残念そうな。
「してほしいのかね」
「いいや、そりゃあ協力的な方がいいに決まってる。手荒くするよりは合意が好みだ」
「それにしては君の残した伝説は随分と情熱的だが……」
「だが基本的には合意のはずだったが? 強要した覚えはねえよ」
「本人ではなく実父に拒否されたのだったな」
「なんでそこで笑う。……おい、まさか、おまえの義理の父親とやら、」
「安心するがいいさ。彼もそこまで子煩悩でも盲目でもないよ、黄泉から戻ってきてどうこうなどと出来ようもないしする義理もない」
「義理たあなんだ、義理とは。親ってのはそういうもんじゃねえのか。オレもまあ大抵ろくでもねえ父親だけどよ、親ってのはそういうもんだろ」
「なるほど」
「そうだよ」
「なるほど」
「だから、なんで、そこで」
「だったら早く伴侶の元へと帰らねばな、クー・フーリン? 彼女の泣き顔を見るのは辛かろう?」
「…………ああ、もう、っとに、ったく」
くすくすと笑うとぼんやりとした悪態が吐かれて、さらに強く抱きしめられた。
次いで胸元のボタンが外され指が数本、それと長い髪のひとふさが中へ忍びこんできた。くすぐったさにぞくりとする。
「オレはうちの姫さんを全力で愛した。だからもういい」
そこにこめられた確かな愛情。口元から半分ほど笑いを拭い去る。そうかと答え、さて次は何を言おうかと考えていると、
「ろくでもねえこと考えてんなよ弓兵」
わざとぞんざいな口調で言って背後の輩は指を進めてきた。鎖骨を撫でていた指の腹がその下の骨を探す。主張しない、見つけにくい骨をだ。
おまえみたいだとつぶやく声が聞こえる。
「どういう……」
「そのままだ」
首筋にくちづけられて、そのまま噛まれた。弱く。強く。
軽い痛みに眉を寄せると顎を掬うようにとらえられて持ち上げられる。今度は喉元を噛まれた。
「跡が残る、やめたまえ。……マーキングとは狗か、君は」
「言うと思ったぜ、それ」
くつくつ笑う。ざらりと喉仏を舌が辿っていく。
「オレはやりたいようにやる、惚れれば抱くし、疼けば戦う、何もやりたくないときは何もやらねえ。今はやりたいからこうしてる」
「合意……が、好みのはず、では?」
「おまえが本気で嫌がってんならやめるさ」
「…………」
「…………」
「…………」
「……ん?」
笑い声。
目を閉じて投げやりに。
「君は趣味が悪い」
「そうか? 結構いいと思うがな」
「どこがだ」
「わたし―――――」
黙ってろと言うかのように唇をふさがれた。それ以上の自虐はごめんだと。
長い時間奪われていた。覆い尽くすような唇の感触と熱。
離れた後、見つめてきた赤い瞳を少々下から見上げるような位置関係になっていたと気づく。無言で見つめていると子供のようにあっけらかんと相好を崩して雰囲気をゆるめる。
ふっと体勢を変えて耳元に吹きこまれる吐息に、また眉を寄せた。複雑な構造の内部が侵入してくるその熱さで湿るようだ。
「舐、め」
「別におかしかねえだろ。それとも齧ってほしいか?」
「え、え?」
「まああんまりしねえよな。するけど」
「ん、ちょ、君な、」
「おとなしくしてなアーチャー。穴の奥まで舌突っこんで舐めてやる。だから体の力抜いておとなしくして」

なんとも言いがたい音がして、廊下を通りがかった黒髪の少女がその発言に口をつけていたペットボトル500mlのミネラルウォーターを噴きだしていた。

「……え?」
「……凛?」
「……あ?」
「…………」

しばらく沈黙があって、
「……君、学校は?」
「休んだの。体調がいまいちよくなかったから。衛宮くんに言っておいたわよわたし」
寝て、た?
ぽかんと目を丸くしている隣の輩はそれを聞いて、
「内部にいる相手までは索敵対象に加えてなかった……」
擁護するわけではないが。
少女の存在は想定外だったのだろう。あくまで対象は外部からの、であり内部で動くものに関してはノータッチ。というか自分たちだけだと思っていたのだからああいう恥ずかしいせりふを臆面もなく吐いていたわけだし、クランの猛犬も油断していたというか。
地獄の番犬ケルベロスも歌を聞いて眠ってしまったという逸話を持つことだし。
不思議と感情が麻痺していて、まあそう気を落とすなとその場に合わない慰めをつぶやこうとしたときだ、既にそこに相手がいないのに気づいたのは。

「これでどうだ嬢ちゃん。そっちも困ってんだろ。条件としちゃ悪くねえと思うが」
「ふう……ん、駄目ね、もう一声」
「はあ? マジかよ、オレとしてもぎりぎりの譲歩なんだぜ」
「なら交渉は決裂ってことで。残念だったわね?」

何をしているのか。
「だけどランサー、あんたはわたしの出した条件に逆らえないわ。自分のためじゃない。アーチャーのためよ。アーチャーのことを思ったら没交渉なんてとてもじゃないけど選べないでしょう、違う? 違わないわよね。小娘だと思って侮ってもらっちゃ困るわ」
「誰が小娘なんて言うかよ、このあかいあくま。師匠にゃまだちょいと劣るがおまえさん立派に人外の領域に足突っこんでらあ」
「サーヴァントからの褒め言葉なんて恐悦至極だわ。ねえアーチャー?」
声をかけられ焦点を搾ると、目の前で少女が微笑んでいた。
「愛されてしあわせね」
正しく猫撫で声にええと、と、とりあえず脳内を検索して出てきた返事は。

「地獄に落ちろマスター」
あと衛宮士郎は百遍ほど死ぬといい。

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