scene:12 
士郎は居間に入ろうとして足を止めた。あれ、という顔をする。
ランサーと桜。珍しい組み合わせだ。
しかもランサーは正座してへこたれ、桜はなにやらおかんむりの様子。……珍しい。凛とランサー、もしくはイリヤとランサーならまだしもこの組み合わせで何かが起こるというのはほとんどないに等しい。どんな化学変化が起きたのか。
「何やってんだ、ふたりとも」
足を踏み入れると桜が顔を上げた。ちょっと纏う気が黒かった―――――ような感じがして後ずさるが、よく見てみれば、ぷうっと頬をふくらませたいつもの桜だった。
心臓に悪いので無闇な黒化はダメ、ゼッタイ。
「先輩。聞いてください、ランサーさんったらひどいんです」
「なんだ。ランサー、桜に何かしたのか?」
たとえば隠しおやつを食べたとか。
口にはしないが、脳内で可能性を上げてみる。体重のこととか胸のこととか……まずい、ボディ関係のことしか思い浮かばねえぜ……!
どこかの虎口調で嘆いて士郎は気を取り直す。聞いてみればいいのだ。それとなく、やんわりと。向こうから話してくれればよし。こちらは悪くない。
「わたしにじゃありません。アーチャーさんにです」
思いだしたのか桜の声が尖る。とたんランサーが身を縮こまらせた。女の子というシュガーな生物をこよなく愛してやまない(恋人とはまた別の領域で)ランサーが女の子の見本のような桜の前でひたすらにどうしよう助けてスター、状態。
珍しいので見ていたいけどそれでは話が進まないので、桜先生どうぞ、と手で促してみた。
桜は胸を張って語り始める。

「嬢ちゃん、書くもんねえかなあ」
「はい? 書くもの、ですか?」
居間に入ってきたランサーに、ファッション雑誌を読んでいた桜は顔を上げる。軽く首をかしげて考えて。
「そうですね、確か棚にあったと思うんですけど……ちょっと探してみますね」
「おう、頼むわ」
「色とか、細さとか、好みがあったら言ってくださいね」
「んー……特にねえ……けど、出来たら赤がいいのかもしれねえ」
「はい、赤ですね」
微妙にずれたランサーの要求も飲みこみ、桜は棚をごそごそと探る。ボールペンが見つかった。黒赤青の三色ボールペンだ。
これならどうだろうと振り返り柱に寄りかかっているランサーにたずねてみる。
「ボールペンならありましたけど、これで大丈夫ですか?」
「それって体に文字とか書けたりするのかね」
「そうですね……書けないことはないですけど、ちょっと書き辛いかもしれません」
皮膚に引っかかってこう、思い通りの線は書けないだろう。体に書くとしたら、サインペン辺りが妥当だ。
それにしても一体何の用途に使うんだろう。
ランサーがなんとなく考え込んだ様子を見せたので、桜は気を遣い提案してみる。こういう自然な気遣いが人付き合いを円滑にするコツなのである。相手はサーヴァントだけれど。
「待っててもらえますか。わたしの部屋、見てきます。たぶん学校で使う筆記用具の中に赤いサインペンがあったと思うんですよ」
うん、きっとあるはずだ。なかったら姉の部屋を覗いてみよう。
桜の提案にランサーはうれしそうに笑った。この人は子供のように笑うのだなあ、と桜はランサーの笑顔を見るたびに思う。
男の人はいつまでも少年というけれどあれは本当かもしれない。
微笑ましくなって桜は立ち上がった。自分が恋する人も、ずっとそうでいてほしいなと思いながら。
さて。
結果として桜の部屋に赤いサインペンはあった。ほっとしてそれを手に桜は急いで居間に戻る。ぱたぱたと足音を立てて。
「ランサーさん、ありましたー」
まだ柱に寄りかかっていたランサーは待ち人来たらず、といった風だった。アーチャーさんを待っているのだろう、と桜は結論づける。アーチャーはセイバーと買い物に出かけている。セイバーは見た目は小さいが意外に力持ちなので買出しのときは重宝されていたりする。ただ、買い食いで余計な時間がかかるのがたまに傷だが。
桜の声にランサーは爪先を眺めていた目線を桜の方へと向け、またうれしそうに笑った。
「おう、サンキューな嬢ちゃん」
桜もうれしくなってサインペンを手渡す。ランサーは受け取ると歯で蓋をくわえ、きゅぽんと音を立てて。
しばらく天井を見て。
不思議そうに桜が倣ったとき、あっけらかんと手元に視線を落としてペンを走らせ始めた。
「ま、絵心はねえがなんとかなるだろ。フィーリング……ってやつだ、うん、フィーリング」
それでもって、フィーリングで手の甲に何かを描き上げてしまった。あっというまに。
そうして自慢げに桜へと見せてくる。
「どうだ、嬢ちゃん。初めてにしてはなかなかの出来ばえだと思わねえか?」
「え、え? な、なんですか?」
急に同意を求められて慌てる桜の耳に、玄関が開く音が届く。アーチャーとセイバーが帰ってきたのだ。
ぴんとランサーの頭に犬耳が生えた、ように見えた。
「ちょ、あのっ、ランサーさんっ!」
突然走りだしたランサーは速かった。そりゃあもう最速の神速であるからして。
一瞬の内に目の前から消えたランサーを、我に返った桜は急いで追いかける。
「アーチャー、ご苦労さん!」
「セイバーも荷物持ちを手伝ったのだぞ。彼女に労いはないのか」
「ん? ああ、ちっこくて気づかなかった。はいはい、ごくろーさんセイバー」
「失礼な!」
しばらく玄関で一騒動、桜は苦笑しつつため息をつく。
本当にランサーさんはアーチャーさんが好きなんだなあ、と。
乙女ちっくにそう思ってぱたぱたと居間へと戻っていった。しかし、本当の騒動はそれからで―――――。
「なあ、アーチャー」
買ってきたものを仕分けし、冷蔵庫と棚とにしまっていたアーチャーにランサーはまとわりついてなつく。ランサーがアーチャー大好きなのはいつものことなので桜は何も言わなかった。セイバーは自室に引き上げていた。
いたならきっと「アーチャーの邪魔をするとは云々」とまた騒動が起こったことだろう。
最後の食料品を戸棚に入れぱたん、と扉を閉めたアーチャーはランサーへと振り返る。ゆるやかに問うた。
「何だね、ランサー?」
突っぱねるのではなく聞いてあげるのがアーチャーの甘さだと桜は思う。
思っていた桜の目の前で、ランサーは満面の笑みを浮かべて手の甲をアーチャーへと向かって突き出した。
先ほど“フィーリング”で何かを描いた手の甲を。
「じゃーん!」
……じゃーん?
まさしくアーチャーと自分の心中は同じだっただろう、と桜は思った。
「ごっこ遊びをしようぜ、アーチャー。おまえはオレのサーヴァントになってオレはおまえのマスターになる。おまえは三度オレの言うことを何でも聞かなきゃならねえ。ほら、令呪だってきちんとあるんだぜ」
急ごしらえだが、と手の甲を示すランサー。
そこで桜の頭の中の線がつながった。そうか。そういうことだったんだ。
だがアーチャーは瞠目するばかりでランサーに反応を返さない。やがて桜が見ている前で、アーチャーは、

「好きな人にごっこ遊びで何かを強制させるのなんてそんなの間違ってると思いますっ! それに……それに、アーチャーさんはそんな誓約がなくったってランサーさんの言うことなら何だって聞いてくれる人だったのに!」
桜の目の前でアーチャーは眉を八の字にし、どうしていいのかわからないといった顔をしたそうだ。ものすごく、せつない顔だったと。
それでそんな顔を恋人にさせるランサーは許せないらしい。ひどいらしい。
なるほど、と士郎はうなずいてみる。
「ランサー」
赤い瞳が士郎を見る。
「とりあえず、アーチャーに謝ること。あと桜にも」
「わたしはいいんです!」
「いや、桜にもきちんと謝ること」
でないと後が怖い。この辺はきっちりしておこう。
「ランサー」
かわいそうに、だけど自業自得だ。
縮こまったランサーは桜に向かって深々と頭を下げた。嬢ちゃんちょうこええ。と背中が語っている。
うん、桜は怖い。と士郎は思った。怒らせると実は、凛より怖かったりするのである。
ランサー<桜。新たな力関係が築かれた、とある一日だった。

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