scene:13
どうしても見に行きたいのだとアヴェンジャーが言った。
「別名流氷の天使だって聞いてさー。オレ仮にも悪魔だし、だったら見ておかないとって思って」
関連性も意味もよくわからないが別に断る理由もないので行くことになった。目指すは新都の水族館。男三人で、いざ、出発。
着くやいなやさっそくあちこちの魚たちに興味を示し「なにこれすっげ派手!」だの「ねーこれ食える?」だのと大はしゃぎのアヴェンジャーを、士郎とアーチャーは慌てて追う。通路を走ってはいけません。これ、子供でもわかるルール。
当然のように財布など持っていないアヴェンジャーの分まで支払った士郎は小銭をしまいながら呆れたようにため息を漏らす。
「……はあ。別に悪くはないけど、少しはしゃぎすぎなんじゃないか? 水族館くらいで」
「随分と余裕のある発言だ衛宮士郎」
「む。なんだよその言い方」
いつものように黒の上下のアーチャーは唇を尖らせた士郎にはん、と鼻で笑い、
「あれは精神的に大人でだが子供だ。成熟してはいるが世の中を知らん。―――――特に、与えられて当たり前の幸福など」
言われて。
鋼色の瞳がどこか遠くを見ていることに士郎は気づく。同時に蘇ったのは義父である彼との。
爺さん爺さんと呼んで腕を引き、家族連れであふれる場所を引き回した。煙草をくわえて苦笑いしながらついてきてくれたやさしいひと。人の多い場所は疲れるなあと本当にくたびれた口調で、そう言って。
「アーチャー」
自分より成長した相手のはずなのに時に見間違えてしまう。
たとえば、こんなときのふとした横顔だとか。
聞けばきっと本人は覚えてはいないのだと言うだろう。私は磨耗してほとんどのことなど忘れてしまったよと。だけど嘘だ。士郎は思う。覚えてる。きっと、アーチャーは覚えている。覚えていないならあんな目をして遠くを、過去を見ることなどない。覚えているから。
だから。
「素直じゃない奴」
「何?」
「何でもない!」
変だろう。
道を違えてまったく別個の存在になったとはいえ、“自分”に向かって保護欲を覚えるなんて。
しかも自分よりも全然がたいのいい。
「……衛宮士郎。その視線が大いに癇に障るのだが」
「さあ? 気のせいじゃないか、ほら、」
通路の向こうでアヴェンジャーが飛びはねている。手に割高な紙コップのコーラ、パーカーにジーンズは、普段のあの格好ではさすがに外出できないだろうと士郎が調達したものだ。
身長が同じなのは知っていたが、足のサイズまでぴったりだったことに士郎とアーチャーはそろって少し、驚いた。
「なにオレほっといていちゃついてんだよー! 妬けちゃうんですけど! いいから早くー!」
人ごみの中で飛びはねるアヴェンジャーに集まる視線。家族連れの多い中でこういった施設、はしゃぐのは間違いじゃない。ただ。それには彼の見た目が少々規定ラインを上回っていたというだけの話で。
「いちゃ……っ」
士郎が絶句して顔を赤くする。反射的に反論しようとして思いつき、アーチャーを見てみれば訳のわからないといった顔で、
「何を言っているんだあれは。意味がわからんな」
……男心・ブレイカー。
自分がさんざん女性陣から鈍い鈍いとささやかれているのを知らず、肩を落とす士郎だった。どんな道を辿ろうと、どんな形に成長しようとエミヤシロウはエミヤシロウなのだった。
途中でタイミングよく開催されていたイルカのショーを見て三人そろって拍手をし、飼育員にキスをするイルカの真似をしアーチャーに軽いキスをしたアヴェンジャーに士郎がまた赤くなって怒る、などのハプニングはあったがようやく目的の地に到着した。
先客の、五歳ごろの少女が額をガラスにくっつけて見入っているのを見て、アヴェンジャーは楽しみそうにヒヒヒ、と笑う。
「すげー楽しみ! どんなかな? “流氷の天使”!」
「俺も名前は知ってるんだけど実物は見たことないんだよな、実は。アーチャーは?」
「あるわけがなかろう」
言いあっているうちに少女が歓声を上げて駆けていった。三人はそろって反応する。まずはアヴェンジャーが駆け寄った。続いて士郎、最後にアーチャー。
自称悪魔は声もなく感動した。
士郎は目をぱちくりとさせる。
アーチャーは顎に手を当てた。リアクションは薄いが表情が物語っている。外に出ないだけなのだ。
「なにこれかわいい! ちっちゃーい!」
「ホタルイカに似てるな……」
騒ぐアヴェンジャーに、しみじみとつぶやく士郎。小さくてかわいいもの好きなアーチャーにはどう映ったのか、果たして。
流氷の天使は水槽の中を懸命に泳いでいる。かわいらしさもさながら、両脇の翼のようなものがさらに“天使”というイメージを三人に強めさせる。
三人のあいだに流れるほのぼのとした空気。
―――――しかし、それを。
「…………ッ」
突如起こった出来事に、ごん、と水槽に額をぶち当てアヴェンジャーが後ずさる。丸くというには甘く見開いた目。な、と言葉がこぼれ、
「なにこれッ!? こええ、ちょうこええ……ッ!」
「……う」
「…………」
青ざめて怯えるアヴェンジャー、口元を押さえる士郎、言葉をなくすアーチャー。
三人の目の前にはお食事中のクリオネ、流氷の天使。そんな名前は知りませんとばかりにキシャアという擬音が似合うフォルムで、おそらく口にあたるのだろう部分を開き、餌を捕食する。怖い。はっきり言って。子供泣く。見たら泣く。高校生とそれもどき、成人男性が怖がっているのである。子供ならば倍率ドンだ。
というかでなければ三人が情けなさすぎる。
聖杯戦争で死線をくぐってきただろうとか何とかそんなのは甘い。かわいいものがおそろしくなったらギャップで無条件に怖い。
たとえば今日は姉と出かけたはずの春の花の名を持つあの少女だとか。ほわほわと笑っていたのが一転黒化したときの恐怖といえば、恐怖といえば。
似てる―――――?
今、三人の心がひとつになった。
「……なあ、おい、ほら、クリオネの土産いっぱいあるぞ。キーホルダーにガラスの置き物に、あとぬいぐるみ……」
「いやいらないし。ほんといらないです。オレが悪かったです悪い子でしたごめんなさい。どうしても腕に抱えたでっかいソレ買うって言うんだったらマスターダメットの部屋に置いてサンドバッグとかにしてください」
「あ、クリオネクッキーにクリオネ饅頭、」
「食えません逆に食われます!」
コワイヨウコワイヨウと土産コーナーの隅で繰り返すアヴェンジャー。アーチャーはトラウマになったな、とつぶやく。そして己も。
あれは天使などではない、天使などではない。悪魔を怯えさせる天使などいるものか。いくら最弱とはいえ。
ちらり、と横目。
コワイヨウコワイヨウと震える様が子犬のように見えてつい胸が高鳴る。……弱いのだ、犬には。特に青い大型犬だとかには。
土産を買っていかないとふてくされるだろうか。三人でどこかへ出かけることについては最近やっと許すようになったが、まだ、拗ねる節がある。いくら土産と名がついていても土産話だけでは火に油を注ぐようなものだ。
甘いものが好きな大型犬のために箱を両手に見つくろっていると、―――――コワイ クリオネ コワイ―――――と呪文のようなつぶやきが聞こえた。
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