scene:16/01
とことん不器用な奴だと思った。
一応現代人だというのに、神代に生きたランサーよりも現代のイベントに慣れていないというのはどういうことだろう、とも。
苦笑いを浮かべた士郎に引率されたセイバーが持ち帰り、大河が絶賛し、イリヤが驚嘆し、ライダーが呆れ、凛が笑い、桜が戸惑った笹。よくもまあここまで、というほど立派な笹は衛宮邸の庭へと当然のようにセッティングされた。七月七日、七夕。その前日のことである。
深夜までバイトのシフトを入れていたランサーが帰宅したとき、巨大な影となって立ち尽くすその迫力と来たら思わず、概念武装を纏いかけたほどだ。すれすれで気づいたのは本当に運がよかったとしか。
笹相手に戦闘態勢を取ってどうする、という話だ。
次の日は無事に晴れて、朝から居間は大騒ぎとなった。ちゃぶ台の上に所狭しと広げられた色紙。それらを短冊や輪細工に仕上げていく女性陣たち。大河やイリヤは大はしゃぎ。凛と桜の姉妹はセイバーとライダーに作法を教え、教えられた彼女たちは不器用ながらそれに倣う。
士郎は前日に続き苦笑いを浮かべて土蔵から引っ張りだしてきていた別のちゃぶ台に朝食を用意していた。
冷めないうちに食べちゃってくれよ。
そう言った彼の言葉を何人がきちんと聞いていたかどうか。
がじり、と煙草のフィルタを噛んで、ランサーはそんな一幕を見つめていた。
「ん」
反応にかまわず、もう一度、ん、とだけ言って差しだした短冊をアーチャーはやはり困ったように眺めている。仕方ないとランサーは、言葉を付け足しうながしてやった。
「おまえの分だと。嬢ちゃんたちから預かってきた」
「私の分……と、言われてもだな」
「言われてもだな?」
「困るのだが」
それはその顔を見ればわかる。どこからどう見たって、困った顔でしかないからだ。後頭部を掻き、んん、と唸ってランサーは机の前に正座するアーチャーの顔を見やる。困ったとしかいいようのない顔を、覗きこんだ。
「どうしてだ」
返答を待たずに、
「どうして困る?」
子供に問いかけるように。膝の上に置いた手をやわらかに動かして、続けて問いかけた。アーチャーはしばらく逡巡する様子を見せて、それから。それから、至極あっさりと。
「願いなど。私には、ない」
訂正する。
イベントに慣れていないのではない。
この男は、アーチャーという男は、ランサーのこいびとは、願う、ということに慣れていなかったのだ。不器用だというのは間違いではなかったけれど。まったく見かけと内面が違いすぎる。奇術師のような戦い様を見せるくせに、言葉、主に皮肉で人を惑わせるくせに、根が不器用だなんて、なんて。
ランサーはため息をつくと膝の上でいまだ動かしている手をそのままに、もう一方の手を褐色の頬へと伸ばす。冷たい頬だった。
ひたりと添わせてさらに覗きこみ、なあ、とつぶやく。
「ないってこたねえんじゃねえのか。なんかひとつはあるだろ」
「言われても、思いつかんものは思いつかんのだよ」
「キスしてほしいとか」
「それは君がしたいことではないのかね」
「否定はしねえが。んじゃあ、抱きしめてほしいとかよ」
「それも君のしたいことだろう。……まさか、書いていないだろうな、そのようなことを。短冊に」
「なんで変な順番で問い詰めてくんだよ。短冊にそのようなことを書いていないだろうな、が正しいんじゃねえのか、日本語的に」
「……アイルランドの光の御子に日本語の文法について教えられるとは」
「話逸らすな。おまえの願いだ、願い」
話と同時に視線も逸らしたアーチャーに視線を合わせ直して、ランサーは問いかける。ちなみに短冊には“アーチャーと”とだけ書いて後は省略した。こう書いておけばもしかして後を読み取って様々な願いを叶えてくれるかもしれないじゃないか?
引き裂かれた恋人たち、という伝説の存在が。
それにしたって川で遮られたくらいで惚れた相手の元へと向かうのをあきらめるとは、随分根性のない男もいたものだと思う。ランサーなら得意の素潜りで簡単に向こう岸へ渡ってみせる。どんなに深く、大きく横たわる川だとしても、だ。
ランサーも一応伝説上の存在ではあるが、だからといって同じ伝説上の存在すべてと手を取り合えるわけでもない。
……話が、盛大に逸れた。
「うあ」
間の抜けた声をアーチャーが上げた。額に手を当て、ランサーを見て、あ?などと言っている。状況があまりよく掴めていないようだ。
ランサーはその顔を見て、その額にくちづけた唇をゆっくりと見せつけるように動かして、
「なら、ひとつひとつ潰していくしかねえな」
「は、?」
「こうやってひとつひとつやってってよ。でもって最後に残ったしてほしいこと、がおまえの願いってことでいいじゃねえか」
虱つぶしだ。
言ってランサーは、今度は髪にくちづける。な、あ、とまた間の抜けた声。明らかに状況に対応できていない。
それでも。
「ひとつ、ひと、つとは、ランサー! まさか、」
「ああ、まずは体中だな。口でだ。その後は手で、その後は抱きしめたり、一緒に」
「ば、たわけ、そんなもの、どれだけかかると思っ」
言いかけた唇にくちづけて、ランサーは真顔で。
「なら、早いとこ願いを思いつきやがれ」
鋼色の瞳がまばたく。
鎖骨にくちづけたところで硬直が解けたらしい。だが意味なく手が畳の上を動くだけだ。抵抗しようだとか反論しようだとかそういった普段のアーチャーらしい対応は望めないようである。
ランサーは褐色の体のそこここにくちづけながら思った。
自分の願いは、割と叶っている。めでたくも。
かさかさと畳の上を転がっていく短冊。それは小さく丸められて、アーチャーがようやっと願いを思いついた頃にはもう、使い物にならなくなっていた。
back.