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衛宮邸の庭には巨大な笹。セイバーが豪快に竹刀でエクスカリバってきたものである。もちろん、許可をもらって。
生きてきた年月分の皺を顔中に刻んだやさしい風貌の老人は、荒れ狂う光の奔流を見ても元気のいいお嬢ちゃんだと笑っていた。豪気なことだ。
セイバーは武装を纏ったまま、何でもないというようにひとひとりを簡単に撲殺できる笹を肩へと担ぎ、三人を見やって。
“タナバタという行事に、わたしも興味があります。それに―――――”

「やー、あらためて見るとすっげーよな、ホント、マジで」
縁側に座ってぱっくりと足を開いたアヴェンジャーが、心底感心したようにつぶやいた。蒸し暑いのかうちわを手にして胸元をくつろげ扇いでいる。その視線の先には山ほど短冊が吊り下げられた笹が、その重みに少ししなってうなだれている。
この武家屋敷に住まう者の個性を表すようにまさに色とりどりの短冊。そこに記されているのは、様々な願い。
夕食の仕込みを終えて居間からやってきた士郎……海老茶色に白のラインが入った浴衣を着た……はアヴェンジャーの様子を見て、む、と唸り声を出す。
「男相手にどうこう言う気はないけど、さすがにその格好はだらしなさすぎるぞ」
「えー?」
振り向いたアヴェンジャーも実は浴衣を着ていたのだった。士郎と似た色味だが、わずかに深く、暗く沈んだもの。ラインは黒だ。
すっかり着崩れてしまった己の姿を見て、アヴェンジャーは首をかしげ唇を尖らせる。だって、と拗ねたように。
「だってこういう堅苦しいの、オレ好きじゃないんデスヨ基本的に」
「着たいって駄々こねたのおまえじゃないか!」
しかも着せなければご町内中に衛宮さんちの士郎さんは居候のかわいいお願いも聞いてくれない鬼畜生ですって言いふらしてやるときた。やる。アヴェンジャーならやる。ヒヒヒと笑い声を上げながら楽しそうに、実に楽しそうに実行するだろう。目を潤ませて手を組んで、オレこんなだけど憧れてることがあって、それはすごくささやかで、だけど衛宮さんちの士郎さんは。
と、言葉尻を濁して上目遣いに同情を誘うのだ。主に女性をターゲットに。
なんて健気な“この世全ての悪”。
一度被害に遭ったことがある士郎は、それ以来よっぽどのことでなければアヴェンジャーの要望は聞き入れることにしている。もちろん、よっぽどのことであれば徹底的に抵抗する方針だが。
「怒られるからな。あいつがいくらおまえに甘いからって、だらしないのは基本的に好きじゃないんだから。着付けしたのだってあいつだし、そんな格好見たら」
「ふうん?」
「な、んだよ」
チェシャ猫の笑み。
悪戯な笑顔を表現するのにもっとも多用されるだろう常套句。犬っぽいのに猫、という矛盾したその笑顔でにやりと見上げられ、士郎は思わず言葉に詰まる。
足を組んで(裾がはだけて刺青だらけの太腿が露わになった)さらに首をかしげると、アヴェンジャーは歌うように。
「べ、つ、に。ただ、随分詳しいんだナーとか思ったり?」
「な」
余計に言葉に詰まる。にやにや笑うアヴェンジャー、そこだけは普段通りにその頭に巻きつけられた赤い布。
士郎の頬もかすかにその色に、赤い。
「よく見てるんですね!」
「なんだよその言葉遣い!?」
微妙にズレたツッコミにしかしアヴェンジャーは笑うだけ。士郎は握りこぶしを作ると、
「―――――この、」
「きゃー! ぼうりょくはんたーい!」
ぴょんと庭に飛びだしたアヴェンジャーを追いかけて、裸足で庭へと飛び降りた。

「ッハ、アハハハ、ヒ、ハ、アハハ、ハ、」
「くっ、そ、無駄な、たいりょ、く、使っ、った……っ」
結局そのまま五分ほど庭でぐるぐると某ちびくろのようにふたりで回って、同時にギブアップした。たった五分?というなかれ。若き青少年の全力フルパワーを侮るな。
それはたとえるなら消える前のろうそくに近い。
掠れた声で笑って、アヴェンジャーはまだ荒く息をついている士郎をよそに視線を上げる。ぴん!とその頭に耳、そしてしっぽが。
「あ、こら!」
待てよ!と言われて待つ輩はいない。
どこにそんな余力が、という勢いでアヴェンジャーは笹のある場所へと一気に走り、到達した。士郎は慌ててその後を追う。
「ふん。ふんふん。ふふん。……ふーん……」
すっきり回復した様子で短冊を眺めるアヴェンジャー、士郎はまだまだ荒い息の下からたずねる。
嫌な、予感がした。
「……おい。なに、企んでるんだよ」
「えー、べっつにー」
振り返るとアヴェンジャーは実にまぶしく笑っていた。そうして、
「なんていうかほら! 好きな子のことは知っときたいのが男じゃないですカ? だからですね、オレも」
「駄目だからな、絶対、絶っ、対、駄目だからな! こういうのは絶対のルール! 暗黙の了解っていうのがあるんだ、知らないのか!?」
「知りません」
「即答!?」
鼻歌を歌いながら短冊を物色するアヴェンジャー。士郎は必死にそれを妨害しようとする。
誰の短冊か、なんてもう言わずともわかりきっているだろう。
黒い指先が遠慮なく掴んでは放りだす中、それらを見ないように妨害するもう一方の指先。だから、だっ、めっ、だっ、って、えー知りたいくせにー、ってそんなことないっ!
問答が繰り返される最中、黒い指先がぱしり、と。
赤い短冊を、掴んだ。
「―――――」
ふたつの息を吸いこむ音。
「ゲーットォ!」
大変にご機嫌よろしく、アヴェンジャーはその短冊を引きちぎるように笹からむしり取った。一歩手前で阻止間に合わず、士郎はああ!と声を上げる。
さっそく地べたに座りこみくしゃくしゃになった短冊を広げるアヴェンジャーの隣に士郎も座りこむ。
「さって、一体どんなお願いが書いてあるのかなー! ちょうたのしみー!」
「待て。今ならまだ間に合う。そもそもだな、赤いからってあいつの短冊だとは限らないじゃないか、そうだ、赤いっていえば、遠坂の可能性だって」
「それはさっき避けました」
「と、遠坂なら何枚も書いてるかもしれないだろ! なんたってあの遠坂なんだからっ!」
「それ何気に死亡フラグですヨ? まあオレには関係ないけど」
告げ口するかもしれないかもしれませんけど!と笑いながら言われて青ざめる士郎、あかいあくまのえがおが脳裏を過ぎる。
その隙にアヴェンジャーの手の内で、短冊は花開いていた。
「ご開帳〜」
気の抜けるような。
そんな、かけ声と共に。

「…………」
「…………」
時間が止まる。
皺だらけの赤い短冊には筆文字で、慎ましく、
“世界平和”―――――そう、それだけが書かれていたのだった。
色違いの。
まったく似ていない、けれど奇妙に似通っている青少年たちはぽかんとその短冊を見下ろし、次の瞬間。
「いじらしい……!」
「…………」
なんともいえない感情を覚えた。
なんというか……あえていうなら。あえて、いうならば、こう。
すごく、いじらしい。すごく……いじらしい。
抱きしめたい。
「騒がしいぞ、一体何事だ」
ふるふると震えるふたりに、縁側の方からかけられる声。低い響きは短冊に願いを託した人物のもの。
普段の私服と同じく漆黒の浴衣をきっちりと着ている。眉間に軽く皺、鋼色の双眸は怪訝そうな様を見せて笹の前に座るふたりを。
「……ッ、一体、」
何事だ、と。
同じことを繰り返そうとした口は飛びかかってきた黒い影と、庭先に佇み「ことばにできない」といったまなざしを向けてくる赤銅色の影に閉ざされる。
黒い影、アヴェンジャーは乱れきった浴衣も気にせず足でがっちりと腰の引けた声の主をホールドし、その白い頭をかいぐる。
「すごくアンタらしいです! すごくらしいけど、もっとこうさあ! お遊びなんだから気軽に……っていうかもっと自分を出していこうぜ!? いいから! ワガママ言っていいから! 今日だけは聞いてあげるから! オレがアンタのワガママ聞いてあげるから!」
赤銅色の影、士郎は口元を押さえて「ことばにできない」。その通りに、脳内で悶々と思考をめぐらせていた。
なんていうか―――――うん。
世界平和、うん。いいことだよな。オレだってそうあってくれればうれしい。
だけど……この、子供……ううん、幼児……の……おねがい?みたいなのを見ちゃった感は何なんだろう。
せかいのみんながへいわでありますように。
なんて、すごくいじらしいと思ってしまうような。
「何を言って―――――! おい衛宮士郎、これを止めないか! いつも以上に暴走している、手が付けられん! ああ、しかも何だこの乱れようは、着せ付けるときにも大騒ぎして苦労したというのに……!!」
ごめんアーチャー。
俺も、今すごくおまえの頭撫でたい。そいつまでは暴走しないにしても。

“それに、シロウたちのためでしたら、わたしは”

三人のエミヤシロウ。
アーチャー、衛宮士郎、アヴェンジャー。
すなわちエミヤ三兄弟は実は、外見年齢最年長に見えるアーチャーが末っ子扱いなのであった。

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