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てっぺんに星はつけないの?

唇に指先を当てて不思議そうにたずねた小さな姉に、アーチャーはきょとん、としてから軽く噴きだした。
「あーっ!」
たちまち眉を吊り上げて睨みあげてきたイリヤスフィールにてのひらを向けて、肩を揺らしながらアーチャーは済まない、と震える声で詫びる。かわいいことを言うのだな、と思ってしまった。言えばきっと彼女はもっと怒るだろう。
“衛宮士郎”に対しては妹として振る舞うその代わりに、“エミヤシロウ”であるアーチャーには弟としての役目を望む彼女だから。
「ちょっと、失礼じゃないシロウ!」
「い、や。そうか、これは日本独特の行事だ。君が知らなくとも問題はない」
けれどあまりにかわいらしかったものだから、つい口調が常のものになってしまった。シロウと呼びかける姉に向かって。
案の定イリヤスフィールは下駄を履いた足で一歩アーチャーへと踏みだすと、姉さん、でしょう!と正す。
「わたしたちの約束よシロウ。ふたりっきりのとき。わたしがシロウって呼ぶときは姉さんって呼ぶって約束、忘れたなんて言わせないんだから。本当はお姉ちゃんって呼んでほしいけど、シロウがそれは恥ずかしいからって」
「わかってる。わかってるよ、覚えているから。だから姉さん」
許してくれないか。
身を屈めてたずねれば、子猫のように毛を逆立てていた小さな姉は頬をふくらませる。ずるいわシロウ。ふっくらとした唇がぼやいた。
「そんな顔して、そんな言い方で。そうしたら、わたしが許さないわけにはいかないって、知ってるくせに」
いちいち聞くのね。
後ろに手を組んで糸の切れた風船のようにふわり、と頼りなく背を向けた小さな姉。さらりと長く白い髪が揺れる。
「だけど、そうね」
わずかな間。声に灯りがともったかと思うと彼女はぱっと振り向き、
「大好きだから許してあげる!」
可憐な。華のような、笑顔を見せた。
アーチャーはその笑顔を見て自らも笑う。無邪気な、小さな姉の笑顔は無条件にアーチャーから笑顔を引きだすものだった。
昔から、そうだった。

クリスマスとは違うのね。
イリヤスフィールはアーチャーの説明を一通り聞くと納得した。こくこくとうなずく。彼女の中では、モミの木にオーナメントを飾ったクリスマス・ツリーと短冊や折り紙で作った輪などを飾った七夕の笹とが微妙につながっていたのだろう。
それで、てっぺんに星、というわけだ。
「だけど願い事を書いて吊るすなんて、何かのおまじないなの? 見たところ魔力は感じないわ」
「いや。単にそう決まっているからそうするだけで、別に絶対に叶うとかではないんだ」
「ふうん。ニホンの作法?」
首をかしげるイリヤスフィールにアーチャーも首をかしげた。
作法。というのとは、また微妙に違うような。
「まあいいわ。わたしは叶えたい望みは自分で叶えるもの」
その発言は誠に小さな姉らしい。
納得したアーチャーに、白い華奢な手が差しだされる。
「……姉さん?」
「ちょうだい、シロウ。ええと……タンザク!」
姉らしい、と、納得していたのでアーチャーは満面の笑みと共に言い切られた要望に、しばらく反応できずにいた。イリヤスフィールが焦れてもう!はやく!と急かしてくるまで、ぽかんと。

だって、せっかくのイベントでしょう。
小さな姉はアーチャーが持ってきた短冊(桃色)に、やはりアーチャーが持ってきた油性マジックで持って何事か書きつづりながらそうのたまった。なるほど。
そういえばクリスマスも、バレンタインディも、ホワイトディも、それからありとあらゆるイベントにはサプライズを用意していたのが彼女、イリヤスフィールだった。シロウー!と甲高い声で突撃してきて衛宮士郎とアーチャーたちを翻弄していく、姉であり妹である、彼女。
書き終えた短冊を手にしてイリヤスフィールはねえシロウこれどうしたらいいの、とアーチャーに向かって聞いてくる。
「ああ、さっきも言ったけれど、吊るすんだ。どこがいい?」
小さな姉は考えて。
「高いところがいいわ。誰よりも高いところ!」
笑って、そう言った。そしてアーチャーに抱きついてくる。ふわりと軽い羽根のような彼女を抱き上げて、やっぱりとアーチャーは眉を寄せた。
ただし、幸福そうに。
「Danke.」
無事短冊を誰のものより上に吊るしたイリヤスフィールはとん、と地面に着地すると母国語で礼を述べる。基本は白地に、桃色が絶妙に混じりあった浴衣の裾を普段のスカートの裾のようにつまもうとして、やめた。
「誰かに叶えてもらう気はないけど、叶うといいな」
「願い事のことを?」
「そう。言っているの」
何を願ったのかとはアーチャーは聞かなかった。もし聞いたとしても小さな姉が教えてくれるとは思えなかったし、そも、誰かが心の内へと秘めた願いを気安く聞くものではないと思ったからだ。
かつてマスターである少女に聖杯に何を願うと聞いたことはあるが、あれはサーヴァントとマスター間での礼儀であり儀式のようなものだし、願いの純度が異なる。
欲望からなる願い、と。ただ望むだけの願い。それは、決定的に。
「シロウ!」
顔を上げるとイリヤスフィールが少し離れたところに立っていた。手を振って、お腹が空いたと訴える。
「シロウの煎れてくれたお茶が飲みたいわ。あと、甘いお菓子が欲しいの」
ねえはやく、と先刻のように急かしてくる声。アーチャーはふ、と口元をゆるめるとゆっくりと彼女の元へ歩いていく。
「なら和菓子を用意しよう。せっかくの和の行事だ」
「和菓子? 大判焼き? それともどら焼き?」
「まさか、とっておきの―――――そうだな……茶道で出すような菓子だよ」
「サドウ?」
白く小さな手と、褐色の大きな手がつながれる。
小さな姉は大きな弟を見上げ、まじまじと上から下までその姿を見て。
「シロウは最近いつも黒ばっかりでつまらないって思ってたけど、似合うわ、ええと、……ユカタ」
タキシードみたいよ、と言って、小さな姉はこぼれるように。
「それでわたしはドレス。白と黒で、とってもお似合いじゃない?」
花嫁と花婿だわ、まるで!



風に短冊が揺れる。桃色の短冊には、幼くも端正な文字で、
“Meine Bruder sind froh!”

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