scene:19 
「ごきげんよう。普段は幸薄そうなあなた方ですが、本日は幸福そうで何よりです」
昼下がり、にっこりと手を組んで微笑む見た目薄幸そうなカソック姿の少女。だが侮るなかれ。その中味はなんというか……とにかく、すごい。なんといってもあの英雄王(注・成人体)を手玉に取る猛者なのだ。ゲット。だとかつぶやいて、赤い布でぐるぐる巻きにしたのをドナドナよろしく教会へと引きずっていく姿を見たときは驚いたものだ、心底。
アーチャーは微笑みを浮かべる少女を見て、首をかしげた。正直対応に困ってしまったので。
セイバー、遠坂凛、間桐桜、ライダー、イリヤスフィール、藤村大河といった面々になら個別に対応マニュアルを完備しているものの、目の前の少女についてはデータが足りない。そもそもろくに話したこともないし交流もない。
つながりはといえば、
「…………」
膝の上で気持ちよさそうに眠るランサー。それしかない。
「……何か用かな、お嬢さん」
「カレン、と。気安くそう呼んでいただいて結構です。わたしの下僕……いえ、使い魔のひとりと懇ろなのですから。わたしとも親しくしたとして、何の問題がありますか?」
いや、問題はあるだろう。
親しくする云々ではなく、懇ろといった単語にだが。
「ではカレン。……その。年若き女性がそのような言葉を口にするのはどうかと思うが?」
「あら」
色素の薄い瞳を丸くする少女、カレン。口元に手を当てて意外そうにつぶやく。
「わたしとしてはこれでも随分と甘口にしたつもりだったのですけれど。あなた、余程の初心なのですか?」
初心だの懇ろだの。言ってくれる。しかしこれで甘口とは、本気を出せば一体どのような始末になるのか。アーチャーには全くかけらも想像出来ない。
いいかアーチャーあの外道シスターには気をつけろ、とランサーはある日真顔でそうのたまった。
なんだ、その。
あれはあの外道神父と同じ魂の色をしてやがる。
……外道神父に外道シスターとは、ランサーもつくづくマスターに恵まれない。聖職者が主だというのに外道外道と繰り返す日々はいかなる苦難の道か、と思いを馳せたアーチャーにカレンが不思議そうに瞬きをする。そうすると年頃の少女に見えるのだが。
「それにしても幸せそうに眠っていますね。本来サーヴァントには睡眠など必要ないというのに。わたしは魔術師ではありませんが必要最低限の魔力は供給しているつもりです」
不穏な沈黙が満ちた。アーチャーはカレンを見やる。少女の顔には再び微笑みが浮かんでいた。
「昨夜は余程激しく獣のように交わったのですか?」
「―――――」
「冗談です」
否、間違いなく本気だった。
アーチャーはランサーの言葉の続きを思い出す。
あいつは幸福そうな奴を見ると見境なくつつきにやってくる。おまえ心は硝子なんだろ。……オレが守ってやるけどよ。一応、注意しとけよ。
今。自分は“つつかれている”状態なのだろうか?
じっとカレンの顔を見る。ランサーの寝顔を見ていたカレンは顔を上げて、瞳と同じく色素の薄い髪をさらりと揺らした。
「安心してください。ついさっき、衛宮士郎とバゼットの苦悩と懊悩をダブルでいただいてきたところです。しばらくはこれで事足りるかと」
思いだすだけで、と頬を赤らめるカレン。初めてアーチャーは衛宮士郎に感謝した。
「それにしても」
カレンがゆっくりと唇を動かす。
「よく眠っていますね。余程疲労しているのか……それともあなたの膝枕が心地良いのでしょうか? ふふ、クランの猛犬が可愛らしいこと」
笑い声はくすくすとひそやかに。
「……知っていますか?」
物語を紡ぐようにカレンは語りだす。アーチャーの答えを待たずに。
「地獄の番犬ケルベロス。三つ頭の青銅の獣。獰猛で、掟を破る者は容赦なく喰らったという」
ああ、それは知っている。有名な逸話だ。名前だけなら知らない者を探す方が難しいだろう。
恐ろしい獣として語り継がれる存在、だがその一方で。
「ですが、蜜入りの菓子に目を眩まされ、また歌声で赤子のように眠りについてしまったとも伝えられています」
ランサーの顔を覗き込んで、カレンは笑う。
「……果たして彼にとってあなたはどちらなのかしら。舌が蕩けるような蜜入りの甘い菓子? それとも、穏やかな眠りに誘ってくれる歌声? それともその両方かしら?」
アーチャーはその言葉に目を丸くした。それからさて、と口元を吊り上げて笑みを返す。
「生憎とこの男は詩人ではないので、君の期待するような答えは返ってこないと思うがね」
「ランサーは眠っています。わたしはあなたに聞いているのですが、いかがですか?」
「ランサーの心中など私は知らぬよ。起きてみたら聞いてみるといい」
「案外切り返しが素早いのですね、あなた。その手管はマスターから教わって?」
「ノーコメントとさせてもらおうか。怒ると恐ろしいのでね、私のマスターは」
「あら、それではまるでわたしがあなたにとってろくでもないことを彼女に吹きこむような言い草だわ」
「―――――違うのかな?」
軽やかな舌戦は、んん、と小さな呻き声によって断ち切られた。未だ眠りの内にあるランサーはアーチャーの手を掴み、その顔をゆるませる。
アーチャーとカレンはそろってアルスターの光の御子と称えられた英雄の寝顔を見る。
「呆れた。まるで子供のよう。腑抜けているわ、いつか機会を見て躾け直さないといけないようですね」
言うカレンの顔は笑っている。
「程々にしてやってくれ。泣きつかれるのは私なのでな」
アーチャーの顔もまた、笑っていた。カレンはそんなアーチャーへと視線を向けた。
「クランの猛犬なんて勿体無い。駄犬に格下げしておきますのでと伝え置いてください。ケルベロスも不可です。こんな腑抜けた番犬に冥府の門など任せておいたら亡者が山のように蘇ってきてしまいます」
「そのように」
それが会話の終わりになったらしい。カレンは畳についていた膝を上げ、皺になったカソックを指先で伸ばす。光に透けて溶けてしまいそうな少女だとアーチャーは彼女を見て思った。儚げな、紫陽花のような。
もちろんそれだけではないことは今までの会話でよく、身に沁みてわかったが。
良い眠りを、とカレンはつぶやき襖に手をかける。銀色の髪、金色の瞳、うっすら色づいた唇。
艶めいたそれがなめらかに、
「ですが、駄犬にあまり餌を与えすぎないように。舌が肥えると困りますので。甘やかすのも出来れば控えてもらえるとこちらとしては助かります。……まあ、その分はこちらでバランスを取ればいいのですけれど」
飴と鞭という言葉もありますし。
締めくくってカレンは襖を閉めた。ただでさえ小さな足音が遠ざかっていく。沈黙。鞭、とは例の赤い布だろうか?
「やれやれ……」
聞いたままに厄介なマスターだな、とひとりごちてアーチャーは口端を吊り上げる。部屋へ残されたカレンの最後の声は心底楽しそうな響きを帯びていた。抑揚がないのに手に取るように内心がわかる。
カレン・オルテンシアは不思議な喋り方をする少女だった。
地獄の番犬ケルベロスは、甘い蜜入りの菓子に目を眩まされる。
飴と蜜はそう変わりもしないだろう。どちらも甘い。
結論づけるとアーチャーは、せめてもの慰めとばかりに眠るランサーの唇へとくちづけた。

幸福そうに眠る猛犬の行く先には、仕置きの鞭が躾と称して様々を震わせるような笑い声と共に待っている。

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