scene:24 
剣士のサーヴァント。最優の名を誇るセイバーの姿を見たそれは雁夜の制御を振りきり言葉とは呼べない奇声を上げて突進していった。
制止の叫びも罵声も舌打ちすら間に合わない。クラス名だけを口に出した瞬間、弾丸のごとく飛びだしていったそれの勢いにあっけなく雁夜の意識は押し流された。
前に進んでいく黒い甲冑とは逆に雁夜のぼろくずのような体は地へ吸い寄せられていく。
蟲が大喜びして体中を暴れ回る激痛の最中、雁夜は見た。
低い視点。成人男性である雁夜の視点とは明らかに異なる視点から、雁夜は自分に笑いかける男を見た。
やつれ、無精髭を生やした男は笑いかけて雁夜の……いや、雁夜が見ている記憶の持ち主の頭を撫でる。男が何か言ったが、聞こえなかった。映像は鮮明であるくせに不完全だ。周囲はどろどろと腐った汚濁。なのに映像だけは総天然色に美しく、モノクロかセピアがふさわしいサイレント映画のように雁夜へと場面を見せつける。
映る場面ははっきりとしているのに音がない。走ったノイズは唐突に展開を打ちきって次へ飛ばす。
少しずつ育っていく視点。
高くなっていく目線。飛びながら雁夜は成長していく。他の誰かの殻をかぶって。幼虫から蛹へなるかのように。
空が暗い。男はだいぶ弱っている。雁夜と同じで先は長くないだろう。和服、浴衣だろうか?
着崩した男がやはり笑って何かを言い、唐突に、うそつき。
そう幼いのか年老いたのかわからない声が聞こえて雁夜は闇へと投げだされた。うそつき。声が聞こえる。信じて。それなのに。助けてくれた。嘘だった。全部嘘だったんだ。声は遠ざかっていき、次に雁夜が着地したのは少女の目前だった。
金髪の小柄な少女。
着ている服さえ違ったが彼女はまさしくセイバーのサーヴァントだった。
視点はかなり成長し、少し小柄な男子高校生程度に思えた。セイバーのサーヴァントは雁夜の前で笑ってみせ、驚き、ふくれっつらをし、赤くなって何かを言っていた。その笑顔が不意に掻き消え、朝焼けが雁夜の視界いっぱいに広がり。
ひとことつぶやくと少女は消えた。
余韻を残しつつ朝焼けは薄れていき、景色は赤くすり替わる。辺り一面は火の海でそこらじゅう死体だらけだ。空には黒い太陽が燃えている。ゆっくり、ゆっくり生きている人間なんて誰もいないそこを歩きながら雁夜は視点がまた低くなっているのに気づく。
うそつき。あんなに。あんなに。きれいだったのに、なのに。同じだった。殺したんだ。最後のあの言葉もきっと嘘なんだ。
だってふたりともオレを騙してた。
声がつぶやく。視点が揺れ雁夜は倒れる。かなり遅れて後頭部を無防備にアスファルトに打ちつけることを危惧したが、そもそもここは現実ではない。その証拠に何も感じないではないか。こんなに辺りは燃えて、地獄の有り様だというのにちっとも。
視点が空に固定される。動けないらしい。そこへ、ふと影がさした。ぶつん、とフィルムが寸断されるように暗転。
声が遠くから響いてくる。
……なら、そうするよ。
あんたがやってきたことだから。救えるんだよね、間違っちゃいない。ただちょっとだけ、殺すだけ。間違ってないよね?オレちゃんと出来るよ、ねえ褒めてよ―――――さん。
オレはあんたが救った命の末路だよ。
立派に育ったってちゃんと褒めてくれよ。声は訴える。
ねえオレはあんたたちが招いた結果の犠牲者だよ。熱かったよ、苦しかったよ。みんな死んだよ、みんな死んだオレだけ生き残った。
助けてくれたよね。ありがとう。オレに生きる理由をくれてありがとう。
だけど殺したんだよね。みんなをあんたたちが殺したんだよね。熱かったよ、苦しかったよ。みんな死んでたよ。
助けてくれたときは神様っているのかなって思った。
……ねえきれいだったよすごく、あんたたち、特にね、―――――は金色の星みたいで…………。


雁夜はそこで接続を切った。
きれいなもの、神様のように美しいもの。それでまかり間違って雁夜の幼なじみである彼女やその愛娘たちのことを連想してしまっては困る。
狂戦士の名が示す通り秩序も法則もなく垂れ流される記憶は暗く濃くて、下手をすれば汚染されてしまう。
雁夜も彼女たちにこんな想いを持ってしまいかねない。
ため息をつくと雁夜は徹底してパスさえ切る。あの夜、倉庫街で狂走した目の前の黒い甲冑の魔性を見上げた。間桐邸で雁夜へと与えられた一室。雁夜はそこでそれと対峙していた。
……セイバーのサーヴァントを見、それが暴走した夜から、雁夜はそれの記憶を自在に読み取ることが出来るようになっていた。
狂化ゆえか混沌とし望む通りのものなど引きだせなかったがそれでも雁夜は頻繁にそれの記憶に触れた。
殺したよ、と。
たくさん殺したよ、だけどそれ以上救ったんだと誰かへと訴えかける記憶に。
「…………」
薄暗い室内、雁夜は無言でそれの兜についた飾りを掴む。
女の髪に似て長いそれをわずかに力を入れ引いた。内から蟲に食われ続ける体が悲鳴を上げたが気にしない。現われたものを見る。
―――――薄闇の中に、くすんだ白髪が浮かび上がっていた。
光を宿さない鋼色の双眸が雁夜を通り越し宙を眺める。きっと延々繰り返される記憶を見ているのだ。燃え盛る一面、ねじくれた死体、空に浮かぶ黒い太陽。そして男と少女の笑顔。
不意に褐色の、煤に汚れたような肌の上を雫が伝い落ちる。雁夜は一瞬虚をつかれたかのようにその雫を見ると手を伸ばした。触れる。
醜く引き攣った指先で。
「……ああ。ああ、泣くといい」
淡々と流れるひとすじを手で、指先で塗り広げながら掠れた声であやすのに似て。
笑みを。
形容しがたい笑みを塩辛い、人の身が流す涙そのものをそれの顔中に塗り広げていくのと同じ早さで異形の顔に広げていく。
「そして怒ろう。奴らを全員殺して聖杯を手に入れて大笑いしよう。あの子と一緒に。……泣くことも、怒ることも、笑うことさえ出来なくなった、あの子と」
あの子と。
雁夜はうつむいた。暗いあの場所を思いだす。腐った、おぞましいものが蠢く蟲蔵。
「バーサーカー」
雁夜はその名を呼んだ。
うつむいたまま塩辛い水に濡れた指を滑らせ薄く開いた色褪せた唇へ食ませる。
反応はない。だが抵抗もなく雁夜の指先は生温い口内へと入りこんだ。雁夜はしばらくうつむいたそのままでそれの口内をかき回す。
ぬるぬるとぬめるそこをかき回しながら雁夜は小さく。
「あの子の体も、こんな風に蹂躙されたのか?」
誰に問うとでもなくつぶやいた。
狭く赤く、湿って生温い。
返事は返らない。
雁夜は指を引き抜いた。それの唇はまだ、薄く開いている。自発的に閉じることはなく、物言いたげに、しかし狂化の縛りゆえに意味のある言葉など出てはこない。
雁夜がまた、触れるまで秘めた汚濁は渦巻き続ける。
もしくは決定的な何らかのきっかけを与えるまでは。
「……いいぞ」
雁夜が低くつぶやくと兜が自動的に復元した。それが常に纏い、輪郭をぼやかす靄が寄り集まって不定形な型を成す。
それを実体化させているだけで雁夜の肉体は苦痛に苛まれる。霊体へと変化させれば多少はやわらぐが微々たるものだ。
軽く咳きこむと体中が軋み、喉の奥からどろりとしたものが逆流してきた。かまわず絨毯に吐きだせば赤黒い血だまり。
雁夜は無感動に自らの血を見下す。ほんの一瞬だけ。
あの子の苦痛に比べれば、こんなもの。愛娘を奪われた彼女の苦痛に比べれば、何でもない。
「全部茶番だ。さっさと終わらせるぞ、バーサーカー」
黒い甲冑は答えない。
雁夜も答えは求めていない。
だが、またいつか触れるだろう。あのとりとめもない慟哭に。まるであの少女の代わりのように、いとけなく呪いを吐き散らすのを聞くだろう。
蟲がぎちぎちと体内を食い散らす音を聞きながら雁夜は自らの指を見る。
薄暗い中で濡れた指はほんのりと発光しているように感じられた。


あんたたちが埋めこんだ。
オレに、心に、体に、言葉通り文字通りにね、生き方を、力をね、埋めこんでいったんだよ。だからね、オレは―――――


以前聞いた慟哭を思い返しつつ、雁夜は濡れた指をずっと眺めていた。

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