ペーパーに乗せてた季節ごとの小話集です。オール槍弓。/back.

cherry blossoms in full bloom.

桜の開花宣言をテレビが告げたその日は、馬鹿みたいに空が青く澄んだ暖かな日だった。
サクラ。知り合いの少女の名と同じ花。
聖杯によってもたらされた知識では知っているが、実際に見たことはなかった。
『暖かく、絶好の花見日和となるでしょう……』

「なあ」
傍らの黒い背中に向かって声をかける。すると彼は首だけで振り返り、視線で続きをうながした。余計な言葉はいらないということか。
なんだか“以心伝心”めいていて思わず笑ってしまう。喉の奥でくつくつ音を立てると、不満そうな顔をされた。
「なんだね、一体」
「いやよ。愛されてんなあ、と思って」
とたんに眉間に皺。我慢できなくなって、思いきり噴きだした。
ちょうど洗濯物を畳み終えたようで、黙って立ち上がろうとするその足元を掴む。
スラックスにはたるみがあって掴みやすい。くわえて筋力の差。逃すことなどけしてありえないのだ。
「オレが悪かったって。機嫌直せよ。そうだ、ハナミにでも行こうぜ。きれいなもんでも見りゃいい気分になるだろ?」
まだ笑いが滲んでしまう声を懸命に引きしめてそう誘う。もともと、それが目的だったのだ。変な方向に行ってしまったのは完全に噛みあわなかったせいで。
「嬢ちゃんたちや坊主も誘ってよ。虎の姉ちゃんにも声をかけたっていい。なあ、楽しくやろうぜ。おまえだって毎日家の中にこもりっきりで家事ばっかりやってりゃ、気がめいるだろ」
「生憎と私はこれが好きなのでな。君が心配するようなことはないよ。……しかし」
ふつ、と言葉を切って彼はうつむいた。不思議に思ってその顔をのぞきこむ。
油断していた。次の瞬間に、爆弾が落ちてきたのだ。
「そんな騒ぎも、たまにはいいかもしれん」
ぽかん、と目と口を丸く開けてその顔を見る。つい手を離してしまって、すたすたと廊下を歩いていこうとするのを慌てて追いかける。
「おい、待てって、もう一回その顔―――――」
暖かな日。彼が浮かべた笑顔は、テレビに映った桜よりやわらかなものだった。


Lain. peppermint. cigaret.lain.

しのしのと。
音を立てずに雨が降る。六月の雨というのはひどく静かだ。バケツをひっくり返したようになんてそんなことはめったになくて、ただしのしのと。
雨が降ると眠くなるのだと膝の上の彼は言う。
あくびを聞きながら、湿気が原因だろうかと場違いに真剣に考えた。場を満たす。大気中にこもる、しっとりとした。

義理の父が雨の日に吸う煙草は薄荷のにおいがした。
メンソールだとか洒落たものを吸うひとではなかった。雨のせいだろう。
縁側に座って煙草を吸い、空を見上げて“―――――、雨が降ってきたよ、”と、もう自分の名ではなくなった名前を呼んだ。
すると幼い自分は駆けていき物干し竿にかけられた洗濯物を慌てて取りこむのだ。
だから梅雨はいやだと言って。
背後から薄荷のにおい、義理の父は笑って手伝ってくれる。そう言わないでくれるかい、―――――?
僕は結構、この季節は好きなんだ。日本独特のこの季節がね。
―――――、いつかわかるときがくるさ。今はわからなくていい、だから、
記憶はそこで途切れている。
「…………」
眠ってしまった彼の髪を指先で梳く。規則正しい寝息。
ふ、と口元で笑む。
わかったような気がするよ。
記憶の中の面影に告げて、青い髪をひとふさ絡ませた指先を持ち上げくちづける。
雨が上がって雲が晴れたなら、この色をした空が見られるはずだ。そして夏が来る。太陽が照って、蝉が鳴き、熱せられた空気はかげろうのように。
彼に似合う季節が来る。
雨の音。
薄荷のにおいがする。
彼もそういえば煙草呑みだった。投げだされた手元を見れば転がる箱。
無言で一本を取りだし、口にくわえて。
見よう見まねでポケットを探って失敬したライターで火をつけ、吸いこむと、眠った彼が起きてしまうくらいの激しさで咳きこんだ。


June bride Ortensia!

「まあなんていうかな、結果出来婚なんだけどよ、それでも幸せそうだったわけよ。六月の花嫁っていや女の夢なんだろ? かわいいもんじゃねえか」

出来婚。
アイルランドの光の御子の口からそんな言葉が出るのはとてもシュールだ、という顔をしている。
彼は幻想を武器に戦うせいか一部がだいぶ夢見がちだ。現実主義者などと言われてはいるが、どこが?という感じである。
元の少年の方がよっぽど現実を見ている。師匠にあかいあくまを持っているせいかおかしな甘えは削ぎ取られてきているようだ。それで夢見がちなまま育ってしまったのが、目の前にいる、と。
「……なんだね」
「別にオレはなにも?」
笑ってみせると複雑な顔を見せた。
「結婚式には来てくれだとさ。同僚みんなを招待するらしいが、都合つくのかね。あの妖怪爺いまで正装して出てこられた日にゃ、オレはどうしたらいいのか」
「などと言いつつなぜだらしなくにやにやと笑っているのかね」
「おまえ、そりゃ。こうくればオレたちもどうだっていう話になるだろうよ」
けじめは大切だと言うと一瞬ぽかんとして、それから眉間に皺を寄せた。
「オレの嫁御として正式にだな、おまえを娶りたい。六月もあと一日で終わ……」
「それならば」
難色を示すかと思いきや。
眉間の皺がほどけて、彼は笑う。変わらぬ黒の上下が頭の中で白いドレスになり、
「ブーケには紫陽花を。君のマスターにちなんでな」
こなごなに、幻想は、砕けた。
「聞いてもいいか。なんでそこであいつが?」
「六月の花と言えば紫陽花。Ortensia、彼女の名だよ」
にこやかに笑う。その顔を見ながら煙草のフィルタを噛んだ。
式はもちろん教会でなどと言っているのを見て口を塞ぎたくなる。いっそそうしてしまおうか。
わかっててやっているんだろうから。
奥歯でもう一度フィルタを噛む。ああもう、あいしている。
「この、皮肉屋が」


You Are My Sunshine.

庭で水をまいている。

きらきらと水が光を反射し小さな虹さえ作ったりしてちょっとしたアートだ。
白い髪にも光が反射して素直にきれいだと思う。裏から回りこんで考える必要が、一体どこにあるだろう。
きれいなものはきれいだし好きなものならなおさらそう見える。
ただ、横顔。一番好きな鋼色の瞳がこっちを向いていないことだけが少しだけつまらなかった。夏でもきちんとした献立の朝食を食べ終えて二、三時間経ちこなれてきた腹具合を思いながらあぐらをかき直し、鼻を鳴らす。
なんだか拗ねた子供のようで自分でも笑った。
「ランサー?」
小さな笑い声を聞きつけたのか、手はそのままにこっちを向く。なんでもないと手を振った。笑った顔はそのままで。
そのままで、頬杖をつく。
「おまえよ、似合うな」
「なにがだね。主語を抜くな、会話する気があるならきちんと……」
口うるさい。余計に笑ってしまうだろう。堪えきれずぐしゃりと心にまかせて笑みに崩れれば、不満げに名を呼んできた。
ああ、かわいいの。
「夏がよ。似合うなって、言ったんだ」
うだるくらい暑いっていうのに長袖の、色気がない黒の上下はどうかと思うがそれもいい。小さな虹との取り合わせが合うんだ。全然逆だっていうのに。
庭に下りると太陽光が一気に視界を焼いた。まぶしくて目を細める。 父親の統べるものだし、いろいろと馴染み深いから嫌いじゃなかったが、しばらく暗い奥に引っこんでいた目にはどうにも辛かった。
目の前の姿もよく見えないから大股に近づいて顔を寄せる。驚いてまばたきをする顔が引いていくのに合わせてさらに遠慮なく鼻先を寄せた。
軽く擦りつけて頬を両手で押さえ、つかまえた、と。
言えば呆れた様子で眉を寄せるからおかしくなって声を立てて笑う。どうして自分に夏が似合う、この肌のせいかなどと弓兵のくせに的外れな問いを受け流し、
「そんなもん、自分で考えろ」
無責任に言って、鋼色の瞳がこっちを見ているのに満足すると素早く唇を奪った。


Twinkle,twinkle, little star?

最近ではコンビニエンスやスーパーで格安な値段で大量に花火が手に入る。
独特のにおいがするバッグの形をしたビニル袋にぎっしりと詰まった数々の花火に目を輝かせる神代の英雄ひとり。
「これで五百円程度なんだっていうから、すげえよなあ」
声に子供の無邪気さがこれでもかというほど滲みでていて苦笑してしまう。
自分たちにとって“夜”といえばある種特別な意味を持った時間なのに彼はそれを違う理由で心待ちにしていたのだ。
夕飯後くわえ煙草でサンダルをつっかけ、縁側から庭へと出る。
他の面子は本日は柳桐寺にて執り行われている夏の合宿に参加中だ。合宿といっても何をするわけでもない。ただ集まって騒ぎ、はしゃぎ、簡単な食事を作ったり夜に怪談でもする、そんなありきたりの。
―――――さて、どこに行ってしまったんだろう、“特別な夜”は?

煙草用のライターで次々と花火に火をつけ、舞い散る火花に歓声を上げている。
特に勢いよく光と音が炸裂するロケット花火が気に入ったらしくまとめて束ねて火をつけては派手な笑い声を負けずに炸裂させていた。
白い顔を、腕を、手首を玩具箱の中味じみた色たちが彩るのがきれいだと思った。
ひときわ目立って輝く赤い瞳より淡いが充分に派手な色とりどりの火花は、夜空に散る星々に似ている。
「おい、なにぼっとしてんだよ!」
呼びかけられ見惚れていたのに気づき、内心で渋面を作る。
「早くこっち来いって、すげえんだって、ほら」
「わかったからそうはしゃぐな。それにそんなペースで消費していてはすぐに……」
「なくなる? オレがそんな間の抜けたことすると思ってんのか?」
ん、と顎先で示された足元を見れば六つほど存在感のある袋の影。
「……夜通しやっても夜明けに間に合わんかもしれんな、これは」
「寝かせねえぞ、今夜は」
ふざけて言って自分で笑い、袋から掴みだした数本を握らせてくる。
火が怖ければつけてやろうかと指先をくるくる回して眺めるのにまさかと笑い返し、闇に明るく火花をまき散らす手の中の一本を横取ってそこから種を移した。
それを見てよく同じような目的で触れてくる唇を思いだし、まったく、と。
「たわけめ」


A snow scene, I and you.

「オレの生まれ故郷も冬になればこんな風に雪が降ったかって? さあどうかねえ、なんせ古代人なもんでよく覚えてねえや」

そう言っていつも通り煙草のフィルタを噛み、あっけらかんと笑う顔はいかにも楽しそうで心情が透けて見えた。
空には重たげな灰色の雲。隠れて見えない太陽のような笑顔だ。そう思う。
「ならあの雲はおまえの目の色だってのか」
やめろやめろ景気が悪い、とまた楽しそうに飽きず雪が降る中で。……景気が悪いとはどういう。考えていれば手が伸びてきて頬に触れた。
音もなく昼も夜も雪が降り積もる冬なのに。あたたかい手だ。
「冷てえ」
「なら離せばいいではないかね。凍えてしまうぞ」
ただでさえ寒いのにと言えばやだねと子供じみた返事。正反対と言っていいほど異なる温度は交わることはなく互いに干渉しない。けれど赤い瞳は満足げで、唇は弧を描いている。
端正な造りの顔。灰色と白を背負う青と赤がひときわ輝いて眩しく、片目を細めた。
「過ごしやすかったことは覚えてる」
不意に触れたままそうつぶやく。
「暑かったり寒かったり、そりゃあったんだろうな。けど肌で感じりゃなんでも楽しかった。雨がよく降ったがそれもまた楽しかったぜ」
笑う。子供のようにきっと駆け回ったのだろう、その雨の降る中を。子供のように。
年甲斐もなく、みっともなくなどではなく見ている方が心躍る様で生き生きと。
「そういえば君はわざとかというほど傘を持っていかない」
思いだせば藪蛇かと言い悪びれず笑う。今もなお、降り積もる雪には足りない雨、それに濡れて髪の青味を濃くしタオルを渡そうとすれば抱きついて。
「自然がそんなに好きかね?」
「ああ、好きだがおまえの方がよっぽど好きだ」
片手を当てて言うのに嘘はない。虚言を相手は知らない、それだから困るのだ。
沈黙し額を押さえ目蓋を閉じると雪の降る音と共に笑い声が。
言葉はなく手が伸びてきて両頬を挟み、啄ばむようにくちづけられた。
冬の終わりか本番か。しん、と冷える。上から覆う温度は交わらないが雪のごとく積もっていきゆるやかにいつか自分の一部となってしまうのかもしれない。


Hurry ! hurry up ! make it quick!

二月というのは実に短い。
一ヶ月は平均して三十一日、たまに三十日の月があるが二月は二十八日しかないのである。二十八日。十の位からして違う。
「急かされてる気がすんだよな、どうも」
頬杖をつき言えば、ちょうど台所から出てきた顔が怪訝な色を浮かべた。それでものれんを持ち上げた自然な動作によどみはない。足を止めもしないし。
「何を言いだすのかね突然」
「んーん」
ごろんと頬杖を崩して顔をこたつ板につけた。視線だけで見上げる。
まるで甘える犬のようだと、湯呑みを置きながら言ったのは勘弁してやろう。いつか後悔させるかもしれないが愛ゆえだ。
「二月ってよ、他の月と比べて短いだろ。えらく」
「……、まあ、そうだな。うっかりすれば普段のリズムが崩れ慌てることもあるかもしれん」
「それ嬢ちゃんのことか?」
「ノーコメントだ。ただ彼女はひどく耳聡いとだけ言っておく」
とっさに顔を上げて周囲を見回してみる。その間数十秒。あかい気配、なし。
元通りに伸びればそれで、とたずねてきた。
「それで?」
「ん?」
「それで、一体どうしたと」
何も意味がなく言う君ではあるまいと続いて茶菓子を横に置く仕草は実に手馴れている。崩れないリズム。だが“仮に”だ。見なければわからないこともある。
「この月はどうも急き立てられる気分になる。暦の上じゃ冬の最後だっていうのに、なんでゆっくりと味あわせてくれねえかねえ。シワスだったか、あれとはまた違った急がされる感じがどうも気に食わねえんだ」
こたつに伸びて。
「おまえと過ごす時間も全然足りなくてたまらねえ思いになる」

固まった。途端に長い間。ほら、実際に見てみないとわからない。
「……たわけ」
「さてあと二十日間、その決め台詞は何回聞けるんだかなあ」

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