「もう麻婆は嫌だ」
ランサーが低い声でつぶやいた。
「はあ……」
「もう嫌なんだよ麻婆は! あんなもん人の……いや、英霊だって食うもんじゃねえ! なあ!?」
「我も我も」
と、隣でギルガメッシュが唱和する。まるで打ち合わせでもしていたかのようなスムーズさとリズミカルなテンポだ。
などと感心している場合ではなく。
「それで、君たちは急務であると私を呼びつけたと?」
少し疲れたように返せば、ランサーが不意に手を掴んできて。
「ぶっちゃけオレたちの生死に関わる」
うんうんうんうん、と言うかのようにギルガメッシュが光速で首を縦に振る。せっかくの整った顔が台無しである。
「生死……?」
「あれは死ぬ。おまえも食ってみりゃわかる。いや、食うな。おまえが食って死んだらオレは麻婆を憎む。一生だ!!」
座に還っても忘れねえ、と断言するランサーになおも隣で頷くギルガメッシュ。……そんなに、麻婆という食べ物が恐ろしいのだろうか。
「んん……ちゃんと作られたものはそれなりに、美味いと思うぞ……?」
だから首を捻って尋ねれば、ぶんっ!とランサーは首を縦に振った。ピアスが揺れる。
「あのクソ神父が“ちゃんとした”もんを作ると思うか?」
「……――――ないな」
仕方ない、と勧められて座った椅子から立ち上がった。瞳を輝かせ、食い入るようなまなざしで見つめてくる二対の赤い瞳に過度の期待はとちょっと困りながら、
「これから、私なりの“ちゃんとした”麻婆豆腐を食べてもらおう。それで判断してもらえればいい。麻婆豆腐が、そう恐ろしい食べ物ではないということを」
「了解!」
「つかまつった!」
ランサーはともかく、ギルガメッシュは大いにキャラクターが崩れていた。つかまつったはないだろう。
「時代劇の見過ぎではないかね……」
エプロンは?新品のものがある?用意のいいことで。
やけに可愛らしい柄のエプロンを身に纏うと、期待の視線を背に背負い、つかつか台所へと足を進めた。


ほわー。
「…………」
「…………」
「ど……どうかね」
「美味い」
「え?」
「なんだこれ美味い!!」
ガタン!
椅子を倒し、ランサーが叫ぶ。その首周りには一応の前かけ(オレは子供か、と真顔でランサーは言った。ギルガメッシュは特に気にしていないようだった)。
「美味い……あのクソ神父が作る麻婆みたくやたらに辛くなくて、でもしっかり辛くて……これが本当の麻婆だってのか!?」
ギルガメッシュは無言ではむはむもぐもぐと白米と一緒に麻婆を口に運んでいる。
そのあまりの欠食児童っぷりに、「……おかわりは?」と聞けば、しゅばっと空になった茶碗が差し出された。
「フェイカー……貴様、我の嫁に来ないか……」
白米を並盛りにした茶碗を渡せば、真剣な声でつぶやく英雄王。
まさかの昼食時の求婚に瞠目していれば、「譲って妾でも良い!」などと話を進めようとするので若干焦れば、横のランサーがズビシとチョップを決めていた。
「我は理解したぞ。言峰の味覚はとことん破壊されていたのだな……」
その言峰が好んで飲んでいるワインを飲んでいる我とは……と哲学的思考に嵌りかけたギルガメッシュを、何とか現実に引き戻す。
「まだまだ残りはあるぞ。ゆっくり食べ」
「おかわり! 飯もおかわり!」
「だから消化のためにゆっくり食べ、」
「我にもおかわりを持て!!」
「だから!!」
結局、その日は教会に泊まっていくことになった。ランサーとギルガメッシュは明日の朝は日本食がいいなどと言っていそいそとパジャマと枕と布団を用意してきた。洋風の言峰教会だというのに、ベッドではなくて一律並んでの煎餅布団であった。
「電気消すぞー」
ランサーの声がして、ぱちんと電気が消える。
いち、に、さん、
「ムニャ……」
「早い!?」
思わず驚けば、「しぃ」っとランサーが人差し指を口元に当てる気配が薄闇の中でした。
「こいつ異様に寝付きがいいんだ。やっぱり受肉してっからかな」
「いや……それは関係ないかと……」
「あと寝相も悪いからな。蹴られるから、もちょっとこっち来い」
招かれて、慌ててランサーの方へと身を寄せる。すると、闇の中でも赤い瞳は煌いて。
「んじゃ、明日もよろしく」
……も?
そんなことを思いながら、形ばかりの眠りにつく。眠らないのがサーヴァントであるが、眠れないということではない。
意識がふんわりと溶けていく最中に思ったのは。
ああ、凛が怒るだろうか、というマスターに対する懸念だった。


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