ピンポーン、と玄関から間延びしたチャイムの音。ちょうど洗い物を仕上げたエミヤは手を拭いてからパタパタとスリッパの音を響かせそちらへと向かう。
「はい、少々お待ちください」
ピンポーン、ピンポーン、と繰り返されるチャイムの音にそう返してエミヤは玄関のノブに手をかけた。チェーンを外して、開く。
するとそこに立っていたのは、
「チワッス、奥さん」
「あ……ああ、君か」
大きな袋を抱えて帽子をかぶり、エプロンまで付けた完全装備の男。青い髪を後ろでひとつにまとめ、笑顔で玄関先に立っている。
「ご注文の品、届けに参りましたってね。えーと、米10キロと醤油が3本、塩と砂糖が1袋ずつに後は――――」
つらつらと並べ立ててはどすり、どすりと重そうな袋を肩から下ろしていく男に、エミヤは申し訳なさそうな顔で。
「済まないな、わざわざ出張までしてもらって。さぞかし重かったことだろう?」
「こんなもん何でもないっすよ。でも、もし重かったとしても奥さんの顔見られただけで帳消しになります」
「?」
不思議そうな顔になるエミヤにいやいや何でもありません、と男は溌剌と笑う。
そうすると一気に外見と比べて年齢が幼く見えて、まるで子供のようだとエミヤは思った。確か、前に聞いたときには二十代の前半か、もしくは後半だったはず。それが十代にも見えるのだから不思議なものだ。
「なあ、君」
「はい?」
「今、ちょうど家事も一段落ついて時間が空いたんだ。一人でいるのも何だかなと思っていたので、よければ上がっていって話し相手にでもなってくれないか」
「は、あ――――」
男は。
目を丸くして、「…………」と沈黙した後、にっかりと笑って。
「もしかしてそれはお誘いですか?」
「? そう、なるのかな」
「そんじゃ、遠慮なくお邪魔します!」
そう言って一度は下ろした荷物を再び背負い直す男に、エミヤはわずかにだが慌てた。
「あ、いや、それはいいんだ! 私が持っていく、から――――」
「いいんですよいいんですよ、オレがやりたくてやってることなんすから」
持たせてください。
そう笑顔で言われればエミヤも断わりようがない。数十キロはあろうという荷物を男は抱え、こっちでいいですか、などと聞きながら、リビングの方に足を踏み入れたのだった。


「君、紅茶とコーヒーのどちらが好きかね? ああ、もし何なら緑茶もあるが」
「あ、基本的には何でもいけます。ですんで、奥さんがおススメのものを煎れてください」
うーん。
そう言われてエミヤはわずかに戸惑う。さて、おススメのものと言われれば何だろう。ちょうど菓子棚にはクッキーがあったはず。だとすれば紅茶かコーヒー……いや、紅茶だろうな。
「それでは、紅茶を」
それに、にっこり男が笑うのを気配で感じ取りつつもエミヤは用意を始める。カップを二人分にポットに茶葉。砂糖とミルクも用意して。
「君はその年で三河屋などやっているが、家業がそうなのか?」
「ええ、親父の親父の代から始めたんですよ。オレはフリーターやりつつ仕事探すつもりだったんですけどね、親父たちがやれやれってうるさくて敵わなかったんすよ」
茶葉を蒸らしてカップを温める。茶葉の種類は癖がないものを選んだ。万が一好きでなくとも飲めるようにとの気遣いだ。
あ、そういえばパウンドケーキも作って冷蔵庫に入れておいたのだ――――とエミヤが気付いたときだ。
「あっ」
運悪くカップが肘に当たってしまって落下しかける。慌ててそれを取ろうとすると、白い手がエミヤの代わりとなって受け止めた。
「……あ?」
れ。あれ。あれ?
「危なかったっすね」
いつの間にか男が傍にいて、にこにこと笑っている。いつの間に。
「大丈夫ですか、奥さん。……奥さん?」
男の。
顔が、間近に迫ってきていて。
「奥さん……無防備すぎっすよ」
何がだろう。
危機感が薄い薄いと言われるエミヤだ、このときもまったく気付けなかった。自分の身に危機が迫っているということに。
「こうなったら言っちゃいますけどね奥さん……オレ、あんたのこと……好きなんですよ……」
初めて見たときから一目惚れでした。
なんて言って顔を近づけてくる男の名は、名は、ああ、えっとなんて言っただろうか――――。


「ランサー……君……」
「好きですよ、奥さん」
だから家庭なんて捨ててオレのものになってください。
そんな危うい台詞を吐いて、三河屋であるところのランサーはにっこりと、大変華やかに笑ってみせたのだった。


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