「こっちの方がよくないか?」
「子供向けすぎるだろう。シンプルなのが一番いい」
台所から聞こえる声にイリヤスフィールは耳ざとく反応した。そっと席を立って、不思議そうな顔をするセイバーに向かい唇の前に指を立ててみせる。いわゆる、“しーっ”だ。
「だけどなあ。イリヤとか、喜ぶと思うぞ。かわいいって」
「凛には馬鹿にされるだろうな。男のくせにかわいい趣味をしていると笑われるぞ、衛宮士郎」
「シロウ!」
ふたり並んだ“エミヤシロウ”はその声にびくんとそろって身をすくませる。振り返るタイミングまで同じで、イリヤスフィールはますますおかしくなってしまった。笑いが止まらない。
慌てふためく弟たちの間に割って入って問題のブツを見る、「Dies ist schon!」思わず感嘆の声が漏れた。
「Ein Kaninchen……Ist es ein Bar, ein Fuchs, ein Hund?」
ちょっとした動物園だ。その他にも花の形に形抜きされたクッキーの生地を見て、イリヤスフィールは目を細める。
「すごいわシロウ、とってもかわいい」
「ほら言っただろ」
「だが、凛や桜……ライダーには」
「大丈夫よ。女の子はみんなかわいいものが大好きなんだから」
歌うように言ってイリヤスフィールはふたりの弟に向かってちょいちょいと手招きをする。怪訝そうな顔をした“エミヤシロウ”たちはそれでも姉に逆らうことはしなかった。身を屈め、小さな姉と目線を合わせる。
すると彼女は満足そうに微笑んだ。
白い手がぽん、ぽん、と赤銅色の頭と白銀色の頭にそれぞれ置かれる。
「わたしたちがあなたたちを大好きだと思うのと同じことよ」
ふたりの弟たちは顔を見合わせ互いに違った反応を見せた。小さなシロウ、衛宮士郎は照れたように笑い、大きなシロウ、アーチャーは赤くなってむっすりと眉間に皺を寄せた。その顔を見てまたイリヤスフィールは微笑む。
「Meine wichtigen jungeren Bruder」
いとしげにささやいたところで、セイバーが台所に入ってきた。どうやら様子が気になったらしい。彼女もまたひとりの少女だ。それは仕方ないことだろう。
「あらセイバー、ひとりがさびしくなっちゃったの?」
「いえ、そういうわけでは……」
慌てて手を振るセイバーの瞳が形抜きされた生地をとらえる。一気にきらきらと輝く碧色。
「これは……」
ときめきを隠せないといった様子で顔を近づけまじまじ眺める。そしてときおりうんうんとうなずいて。
「動物の形をしているのですね。とても愛らしい」
「ほら、わたしの言ったとおりでしょう」
胸を張るイリヤスフィール。士郎は誇らしげに、アーチャーはどこか渋い顔だ。
「食べてしまうのがもったいないほどですね、いえ、もちろん出されたものならばわたしは残さず美味しくいただきますが」
「セイバー、これはあなたひとりの分じゃないのよ」
「わかっています。わたしはそれほど欲の皮は張っていません」
失礼な、と言わんばかりの口調の後、すぐに士郎とアーチャーを見つめてセイバーは問いかける。
「それで、獅子はどこにいるのですか?」
…………。
三人の姉弟がそろって黙りこんでしまったのを見て不思議そうにセイバーは首をかしげる、そこに救いの主が現われた。
玄関に気配。呼び鈴を鳴らすことなく彼女たちは中へ入ってきた。
「衛宮くーん、来てあげたわよ」
「お邪魔します、先輩」
それは姉妹の声。声はしないがきっとライダーもいるのだろう。廊下を歩く足音がして、すぐに彼女たちは姿を見せた。
士郎は内心ほっとしながらエプロンで手を拭い、居間へと顔を出す。
「よく来たな遠坂、桜にライダー……って、なんだよ遠坂、その顔」
「なに? わたしどこか変?」
「いや、変っていうかなんていうか……」
なんともいえない、と言葉を濁して士郎は顔をそむける。満面の笑みをたたえた凛はそんな態度にも調子を崩さず、完璧な笑顔を保っている。
その顔に書いてある。
先月のお返しは、三倍返しでお願いね。
「そうね、ちょうど欲しい宝石があったのよ。だけどちょっと手持ちじゃ足りなくてね―――――」
「とおさかっ!」
「冗談よ冗談」
あんたにはそこまで期待してないわ、とあっけらかんと言って、凛は優等生じみた完璧な笑みをいたずらな少女のそれに変えた。
「せいぜい宝石の形したキャンディとかが関の山でしょ、オチは読めてるんだから」
「オチってな、おまえ、ああ……もういい」
疲れ果てた様子の士郎を見て、桜が横目で姉をたしなめるように見つめる。
「姉さん」
「はいはい、わかってます。ごめんね? 士郎」
軽やかに首をかしげて詫びの言葉をのべると、凛は台所へ顔を出す。
そこではせっせとアーチャーがひとり形抜きに励んでいた。ふうん、とつぶやいて凛は口元を上げてにんまりといった様子で笑うと、
「ずいぶんかわいい趣味してるのね、アーチャー?」
「…………」
ついさっき自分が士郎に言った予言がまさか自分に的中するとは思わず、アーチャーはとっさに切り返すことが出来なかった。
クッキー生地、かわいく動物型に形抜きされたそれに視線を落として、ぼそりと。
「なんとでも言うがいい」
まったく、“エミヤシロウ”はあかいあくまにつくづくかなわない。


「まだですか?」
「まだだよ」
「まったくセイバーったらさっきからそればっかり」
「もうしばらくだ、おとなしく待ちたまえ」
「藤村先生の分は取ってあるんですよね」
「藤村先生、もしもらえでもしなかったら自分だけ仲間外れだって騒ぎそうだもの、いかにも」
「おや、」
クッキーを焼いている間、紅茶で喉を潤しながら雑談しているとひとり本を読んでいたライダーが顔を上げる。
それから一瞬だけ間を置いて、
ピンポーン。
呼び鈴が新たな来客を告げた。
「アーチャー。あなたに客人ではないですか」
「私に?」
眼鏡の奥の瞳が微笑んでいる、早く行ってあげなさいと。
「少しでも待たされれば彼はきっと焦れて、挙句の果てに拗ねてしまいます」
「あー、」
凛が思いついたようにうなずく。桜も。
「結構子供っぽいのよねえ、あれで一児の父だっていうんだから」
それでアーチャーは気づいた。ため息をついて席を立ち、玄関へと向かう。ご苦労様、といった面々の中で、ひとりセイバーだけが気づかずきょとんとしたままだった。


「聞こえてんだけどな、全部」
誰が子供っぽいってんだ、とランサーは口を尖らせてつぶやいてみせた。
まさにその様が“拗ねている”ものだとは言えずにアーチャーは苦笑する。上がらないのかと聞けばこれからバイトなんだと残念そうに言う。
「今日は夜までシフト組まれててな」
すぐ行かないといけねえんだわ。
後頭部を掻いて心底残念そうに言う。
どこかしょぼくれた様がおかしくて、ふ、と吐息をこぼせば怪訝そうな顔で見つめてくる。
「なんだよ」
「いや、なんでも。……それで? 用件は?」
「わかってて聞いてんのな、おまえ」
そういうところ好きだぜ、とさらりと吐きだしてランサーはポケットを探る。
「ほらよ」
投げ渡すように放られた小さな袋。中には、赤いキャンディ。
「苺味だってよ」
「自分の好みで選んだのではないかね?」
「まあ、それもあるが、赤っつったらやっぱおまえだろ」
にっかりと笑う。
「それで美味そうだな、と思ってな」
どっちが?
問いかけようとしてやめた。
「じゃ、そろそろ行くわ」
「しっかり働いてこい」
「おう」
かわいらしく結ばれたリボンを取って一粒をつまみあげると、出ていきかけたランサーが後ろ髪を引かれるような顔でそれを見る。
「……な、いっこだけ」
ねだる子供の口調で言うランサーの目の前でアーチャーはぽいと大き目のそれを口に放りこむ。あっ、という声が聞こえた。
「おま、わざわざ目の前で」
文句を言おうとする唇がふさがれる。ランサーは目を丸くした。
「…………」
離れる、そっと。
「一月前の仕返しだ」
眉を上げ、笑みを浮かべて言うアーチャーに頬をふくらませたランサーはまばたきで答える。ぱちぱちぱち、とせわしなく繰り返して、かと思うとしばらくの間まばたきを忘れたように固まった。
ごろん、と口の中でキャンディが移動する。
「……はっ」
それがスイッチになったとでもいうかのようにランサーは前かがみになって笑い、くつくつと肩を揺らした。
「やっぱ、オレ、好きだ。おまえのこと」
そうして今度こそ玄関を開けて、外へ出る。
「浮かれて失敗などしないように気をつけることだな」
「誰に言ってんだ、誰に」
軽口を叩きながらランサーは戸に手をかける。嬢ちゃんたちによろしく、と言って完全にそれを閉めた。
ひとり取り残されてアーチャーは思う。思いだして、思い返して、小さく笑った。
その息は、甘い苺の香りがした。



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