「おまえが!」
毒々しい男の声が響き渡る。
「おまえが、おまえが、遠坂のサーヴァントが!」
おまえさえいなければ。
血を吐きながら、蟲を吐きながら男は叫ぶ。ぼたぼたと靴を、床をそれらが汚していくけれど、男はそんなことはまったくもって気にしていないようだった。
ただ男が吐き散らすのは怨嗟の声。おまえが。おまえが。おまえがいなければ。
アーチャー。英霊エミヤ。遠坂凛のサーヴァント。
だが男はかつて“凛ちゃん”と呼んで愛していた少女のことなどもう忘れてしまって、呪いを吐き散らすだけの装置となっていた。
アーチャーは黙っている。動かない。罪と罰。それの在り方を知ってはいたが、弁解などしもしなかった。黙って、男の的外れの恨み言を聞いていた。
それで男が癒されるのならと、間違った悪意の飲み下し方をしながら。
アーチャーは時空を飛ばされて、十年前の世界へとやってきていた。第四次聖杯戦争。アルトリアが“セイバー”として初めて召喚され、そして聖杯を、切嗣の命によって破壊させられた時へと。それを男はまだ知らないのだが。
彼は関係者との接触を避けた。時代が壊れないために。けれど出会ってしまった。間桐雁夜。バーサーカーのマスターである、もはや死に体の男に。
もはや狂いかけた男は直感からかアーチャーを遠坂時臣のサーヴァントとして認識し、呪い、疎い、蔑んだ。おまえさえ。おまえさえいなければ。
おまえさえいなければ彼女たちは苦しまずに、泣かずに済んだのに。


けれどもう、男には――――雁夜には、彼女たちというのが誰なのか、もう、わからなくなっていたのだった。


大事だった。愛しかった。手に入れたかった。それだけが雁夜の持つ思い。けれどそれが誰なのかはわからない。凛、桜、葵。その名を忘れて、ただただ愛しい存在だったのだと思考停止し、アーチャーを遠坂時臣……凛や桜たちの父のサーヴァントであると錯覚して思う様に詰った。
アーチャーは慣れていた。そんなことに、呪われ、疎まれ、蔑まれ、詰られることに。そしてその結果として体を犯されるということにも慣れていた。
衛宮士郎ではなく、エミヤシロウと成ったときにはそんなことは日常茶飯事となっていたからだ。
だから蟲倉で恨みの声を上げる雁夜には何の抵抗もしなかった。もっとも雁夜の体は蟲に侵され、とてもではないがアーチャーを犯すことなど出来やしなかったのだが。
アーチャーは遠坂時臣のサーヴァントではない。遠坂凛のサーヴァントである。しかしそんなことを言ったとしても雁夜が聞くはずもなく、また聞いたとしても納得するはずもない。
哀れな男だと、そう思った。同じくらいに哀れな自分を棚に並べ、それでも哀れな男だとそう思った。かろうじて今のアーチャーは思考が出来る状態でいるが、座に戻され抑止力として働かされる身となればただの力となり破壊の権化となる。 殺して殺して殺して殺して、殺しつくして最後に気付く。自分が殺した人間たちの屍の上で殺戮が終了したことに気付く。
初めは泣いた。こんなことが自分のしたかったことではない、と。それでも次第に慣れた。磨耗して磨り減って。この男と同じだ――――アーチャーは思う。
どうして、どうしてこんなにも。どうして、どうしてこんなことに。
哀れな男だ。などと下に見ることも出来やしない。あまりにも自分に近くて遠い男。間桐雁夜。
アーチャーは知っている。
この男は今後愛する女を手にかけて、狂いながら死んでいくのだ。助けようとした桜に蔑まれ、意味のわからないことを言うおかしな大人――――だと思われて。凛は幼い身で呆けた母と遠坂家を背負って生きていかなければならなくて、とてもじゃないが彼のことなど思い返せなく。 忘れられて、忘れられて、間桐雁夜は死んでいく。
ブゥゥゥゥン……。
はっとアーチャーが顔を上げてみれば辺りを取り囲む無数の蟲たち。それは耳に痛い羽音を立てて、男と同様に狂い悶える。
コロシテヤル。
コロシテヤルコロシテヤルコロシテコロシテコロシテコロシテ。
泣き声のように、その羽音は響いた。
「やめろ! 君の体でこれ以上の蟲の行使はもう……」
「うるさい!」
ブゥン、と鋭い音を立てて一匹がアーチャーの顔面を狙って飛んでくる。眼球を狙って。鋭い針。
だがアーチャーは障壁を張ってそれを弾く。弱った男の放つ弱った蟲など英霊の敵ではない。雁夜は一瞬驚いた顔を見せたがすぐにその面は怒りに変わり、また一匹、二匹、三匹と蟲を放ってくる。パシンパシン、とアーチャーの目前で暗色の霧となって弾ける蟲たち。
「貴様――――」
「もう、やめろ」
このままだと確実に雁夜は死ぬ。どうあっても雁夜は死ぬのだが、結果が変わるだけだ。凛の笑顔も桜の笑顔も葵の笑顔も見れぬまま。
間桐雁夜は、死に至るのだ。
「――――ッ、殺せ! バーサーカー!」
蟲の集中砲火が弾かれるのに焦れて雁夜が叫ぶ。同時にその背後に現れる黒い靄、それは■■■■■――――と、人には判別がつかない絶叫を上げた。
「本当に死ぬぞ! 君のしたいことは何だったんだ!? こんなことじゃないはず……」
「うるさい、うるさいうるさいうるさい黙れ!」
とある時間軸で「答え」を得たアーチャーだったから、目の前の雁夜があまりにも痛々しくて見ていられない。彼はいつかの自分だ。憎悪に焦がされて何もかもわからなくなったあのときの自分。
殺す?
殺さない?
殺せない。
いつか死ぬ運命だったとしても、今ここで雁夜を殺すことは出来ない――――。
「■■■■■――――!!」
黒い靄が襲い掛かってくる、アーチャーは干将莫耶の夫婦剣を構えかけて止める。第四次バーサーカーの能力、それは。
それは、相手の武器を自分のものにする能力だ。
「く――――!」
無限に武器を練成するアーチャーにとってこれほど扱いづらい相手もいない。剣を生み出す度にそれは相手の武器となるのだ。
捩じれて曲がる時間軸。目の前の雁夜の顔も悲痛に歪んでいる。引き攣った顔の半分、そこに表情はもう二度と戻らない。
笑うこともない。怒ることもない。泣くことさえ出来ない。
残った半身だけが彼の感情を、過剰に主張するかのように騒いで喚いて叫び立てるのだ。
「く、っ……!」
「遠坂のサーヴァントだ! 殺せバーサーカー! 惨たらしく殺してその首を時臣に届けてやれ!」
怒鳴り声を上げる雁夜。アーチャーはその様を見て一種の絶望的な感情を覚えるが、ふと気付いた。トレースオン――――投影の呪文が口をつく。
その手に握ったのはルールブレイカー、とある時間軸で意図せず桜を救った宝具が今、手の中にある。
アーチャーは障壁を解除して、無数の蟲とバーサーカーを従えた雁夜に向かってそれを目の前に、構えてみせたのだった。



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